FIRE BALLの歩みは、彼らが母体とする日本代表サウンドMIGHTY CROWNの歩みと共にある。MIGHTY CROWNが横浜で結成されたのは1991年。当時のサウンド・スタイルの特徴であったサウンド所属のアーティストとして、当時中高生だったJun 4 Shot, Criss, Truthful(a.k.a. STICKO)らがマイクを握り始める。その後、海外修行を経たMIGHTY CROWNの国内の活動が活発化していくようになった90年代半ば、Jun 4 Shotの同級生であり、すでに横浜/東京の現場でDJとして活動していたChozen LeeがMighty Crownに参入。ダンス(ライブ)の現場でのラフ&ダイレクトな修行を重ねていく。
1997年、CHOZEN LEE、JUN 4 SHOT、CRISSが3人で一つのステージを創ることを目指しFIRE BALLを結成。同年MIGHTY CROWNの「火と拳」ツアーで全国を初縦断し、その存在を日本中のレゲエ・ファンに知らしめた。MIGHTY CROWNがサウンドクラッシュで世界一のタイトルを得た1999年、MC/セレクターをメインにしていたTRUTHFULが兼ねてからのDee Jayへの思いを再燃させ、ロンドンから帰国したYOYO-CとともにFIRE BALLに参戦、FIRE BALLは総勢5名となる。個々の実力をぶつけ合いながら融合させる圧倒的なステージやMIGHTY CROWNのミックステープなどによって、その認知度と実力は群を抜いて加速していった。
2000年MIGHTY CROWNのレーベルLIFE STYLEが設立され、コンピCD『LIFE STYLE RECORDS COMPILATION VOL.1』によってその存在は確固たるものになる。
2002年、現在の4人の形となり6月にファーストアルバム『火の玉』をリリース。意識せずとも、FIRE BALLだけでなく、ダンスホール・レゲエの存在を改めて音楽シーンに真正面に伝えるインパクト作となった。ライブを重ねながら、常に自らをテストし続ける彼らのさらなる成長は目覚しく、続くセカンドアルバム『BOOK OF LIFE』で如実となる。
2003年当時の社会的なメッセージを逆説的、暗喩的に映し出しながら、なおかつ楽しめるものに創り上げた本作によって、より広い層からの注目を集め、<フジロック><カウントダウンジャパン>などジャンルを超えてフィーチャーされるようになった。またMIGHTY CROWNが主催する横浜レゲエ祭はこの年初の野外開催を迎え、1万人を動員。FIRE BALLはホストとしてそのトリを務めてもいる。年末には『BOOK OF LIFE』収録曲から派生したオリジナルバンド、JUNGLE ROOTSを率いて初の単独ツアーFIRE CAMP TOURを敢行。
2004年ジャパニーズ・レゲエがどのメディアでも大フィーチャーされ、そのシーンの重要人物となったFIRE BALLがリリースしたサード・アルバムのタイトルは『火と拳』。情熱や怒り、そして愛などの燃えるような気持ち(=火)と、誇り高い心や未来を切り開くパワー(=拳)が詰まった、まさにFire Ballそのものを表す言葉。熱狂的な盛り上がりの中で、あえてテーマとしたこの言葉はFIRE BALLの原点となった97年のツアー・タイトルでもあり、改めて原点回帰、現場主義の意志を表明する内容となった。8月に2万人が横浜みなとみらいに集結した<横浜レゲエ祭2004>のトリを始め2004年の夏、各地で行われたレゲエ・フェスにもこの”火と拳”をテーマに参戦。多くのファンの胸にその熱い想いを確実に届け続けた。
2005年2月にはJUNGLE ROOTSと取り組んだ初のアコースティックチューンとなるニュー・シングル「JOYFUL DAYS」をリリース。春にはPV&ライブを収録した初のDVDや昨年好評を博したJUNGLE ROOTSとのワンマンツアーが予定されている。現在は4枚目のアルバム制作中。(2005年1月)