本特集第1弾は、長年にわたり日本のシーンを牽引し当時のことにも詳しいDJ NORI氏とKO KIMURA氏と、Space Lab Yellow、Sound Museum VISION、AIRの経営やレーベル
Interview:yanma (clubberia)
Photo:難波 (clubberia)
-まず、この作品を既にご覧になられての感想を教えてください。
DJ NORI:90年代のシーンって時間的には20年経っているんですけど、気持ち的にはそれほど経ったように感じてなかったんですね。でも、この映画を見て改めて時間が経ったことが分かるし、改めていい時代だったんだないう気持ちになりましたね。
村田大造:知り合いの顔がいっぱい出てきたのは面白かったですね。みんな若かったなっていうか、あの時代の勢いが画像に出てたよね。パワーがある感じといいうか、ぶっ飛んでるしギラギラした感じで。
KO KIMURA:NY系のハウスの映画と言えば、よくディープハウスとかガラージクラシックスっぽい感じでマエストロなんかあったんですけど、こうやってニューヨーク全体の文化を記録した物ってあまり見たことが無かったので、ゲイカルチャーもありつつ黒人の音楽もありつつ、経営からダンス、クラブに行っている人、全体を俯瞰的に映している感じがよかったですね。
- 劇中でDavid Moralesが「90年代がニューヨークで最後の音楽的ムーブメントだった気がする」と言っているんですけど、みなさんはどういう風に90年代のシーンをご覧になられていたのでしょうか?
DJ NORI:流れ的にはやっぱり70年代のディスコの時代と80年代のクラブの流れで音楽の変化っていうか、面白い変化が生まれたのが90年代だったし、ニューヨークはそこでシーンをリードしていたのは大きいと思います。
KO KIMURA:ニューヨークが1番成長していって成熟したというか、ビジネスにもなって、MadonnaとかMariah Careyとかもリミックス出したりしてましたよね。
0年代は確実にニューヨークが最先端だったと思うんですけど、2000年からは、ヨーローッパの文化が大きくなり過ぎた感じがするよね。2000年を過ぎるとSashaやDigweedへ人気が移行しましたよね。
村田大造:60、70、80年代ってうのは、それぞれの音楽のカテゴリーが黒人や白人から生まれ、それが国によっても違うものが出てきたりしてましたよね。90年代以降はいろんなものが混ざり合っていったんだよね。国を跨いで音楽が飛んでいって、その土地で刺激を受けてまた形を変えた。逆にヨーロッパの音楽がアメリカに入ってきて、白人の要素が入り込んで、同じハウスでも黒だけじゃなく白の要素が融合して新しい形になっていったのが90年代なのかなって思います。すごく発送が自由で勢いがあって、俺はこうだ!みたいな。ワンナイトを1人でやっちゃう!みたいな自由さが出ている時代なのかな。周りが売れているからどうのこうのじゃなくて俺はこうだ!っていう感じだったよね。ハウス自体がすごく自由に作られていたし、あの時代の音楽は針落として聴くのが楽しみだったよね?。今は何かみんな似ちゃっててね。
なんか変な人がウケた時代っていうか、今は何となく横に画一化されてビジネスっぽくなりすぎている気がしますね。当時はもっと実験的な物ができましたから。
- ハウスに限らずテクノもヒップホップも90年代は1つの隆盛期だったと思うのですが、同時多発的にクラブミュージックがこれだけ隆盛を極めたことは、今までに無かったことだと思うのですが。
KO KIMURA:ちょうど成熟してビジネスになってきて、かつデータとかレコード、CDがしっかりしてきて音楽ビジネスが栄えた時代ですね。
村田大造:流れとしては、ダンスミュージックは70年代からディスコっぽいのがだんだん出てきて、80年代になってニューウェイブとかになって、80年代真ん中くらいにハウスっぽくなっていったよね。アシッド文化とかデトロイトの人たちもテクノになってきたのもこの時期で、ダンスミュージックにとって80年代が細分化の始まりのようでしたね。
- みなさんは実際に90年代にニューヨークに行かれたことがあると思うのですが、その時、印象に残ったことはありますか?
DJ NORI:僕は80年代頭にニューヨークに行って、90年頭くらいまで住んでいたんですけど、音楽の流れとともにクラブも細分化されていきましたね。ハードになっていく音楽もあれば、もっと自然っぽい音楽もでてきたり。
KO KIMURA:90年代頭くらいまでは、ゲイクラブが強かった印象ですね。Juniorとかもいて"Sound Factory"もあったし、そういうところでハードハウスが強くなる反面、"Shelter"があってディープハウスも人気があって。きれいに分かれていましたね。
- 劇中で多くのクラブが出てきますが、当時のクラブに関して教えてください。
KO KIMURA:小さいところもありましたけど基本的には大箱が多かったですね。
村田大造:体育館みたいなフロアがデカいところもあったよね(笑)。
DJ NORI:そうですね、ガラージもでかかったし。
村田大造:この中で1番でかいのは" The Palladium "かなあ。あまりにデカすぎて夢見てるのかなあって思ったよ(笑)。10メートルくらいの建物がドームの中に入ってるから。
DJ NORI:そうとうデカかったですよね。あれは素晴らしいですよね。The Palladiumは、部屋がいっぱいあって面白かったですよね。1つのクラブの中に、小さいクラブがいっぱいあるみたいで。メインフロアの他に迷路みたいにいろんな部屋があるんですよ。
- "ageHa"のアリーナを想像すればいいですか?
村田大造:いや"GOLD"が建物の中に入っちゃってる感じ。
KO KIMURA:でもそういうデカさじゃないんですよね。ちゃんと密度があってみんな踊っていて。
DJ NORI:フロアーがすごく気持ちいいんだよね柔らかいフローリングで。天井も高いし。
村田大造:あの時代は規模もデカいし金もかかってるんですよ。でもだんだん小さくなっていったんですよね。"Sound Factory"、"Sound Factory Bar"、みたいにね。
DJ NORI:"Twilo"は良いクラブでしたね。"Sound Factory"とはまた違ってよかったですね。
村田大造:"Twilo"のほうが少し洗練された感じだったね。
KO KIMURA:音の感じが違いますね。"Twilo"の方が透明感があるっていうか。あとDanny Tenaglia とか
村田大造:"Trax"は明るいイメージなんだよね。照明が馬鹿みたいに動いてて。
KO KIMURA:明るかったですね、ネオン管が走ってる印象があります。このネオン管の感じは好きでしたね。今はLEDになってるけど動かないかなって思います。
DJ NORI:Zanzibarなんかも音がすごかったですよね。昔、Tony Humphriesの家に遊びにいった時もトーレンスのプレイヤーだったんですよね。トーレンスでミックスしてたんだと思ったら、ちょっとざわっとしました。針とかは普通でしたけど。
村田大造:当時はピッチコントロールが付いているターンテーブル自体が少なかったからね。
KO KIMURA:80年代くらいですか?
DJ NORI:うん、80年中半くらいまではそういうお店多かったですよね。90年代は使ってるところほとんどないと思いますけど。
村田大造: NYの箱のDJブースのターンテーブルの置き方は理にはかなっているよね。フローティングしているからハウリングもしないし。
DJ NORI:重低音に耐えられるしね。
村田大造:あれをなおかつゴムで釣ったりしてたもんね(笑)
KO KIMURA:ハウリングは当時いろんなクラブで1番悩まされたところで、専用のターンテーブルの台を使って輪ゴムで何重にもして釣ったりしてたんです。
- 劇中にはWMCの映像も出てきますが、WMCに関しても伺わせてください。
KO KIMURA:マイアミでやってるクラブ系業界人の集まりです。一応パネルディスカッションとかやってるんで、300ドルくらいで登録すると名札がもらえてディスカッションに参加できたりするんですけど、見に行く人は少ない印象ですね。むしろパーティーやレーベルショウケースに遊びにいったり、プロモをまいたり、大きなコミュニケーションの場ですね。
DJ NORI:世界的なコミュニケーションの場っていうイメージがありましたよね。世界中からDJが集まって来ていろんな情報を交換してっていう。今年1年のヒットがそこで決まるみたいな。
ニューヨークから始まってから2004年くらいまでは行ってたんですけど、その当時はもっと音楽っぽかった。89年「Keep on Movin’」のころにマイアミに移ったように思います。
KO KIMURA:「ULTRA」も2000年辺りからマイアミで始まったけど、当時はアンダーグラウンドなDJしか出てなかったですからね。Carl CoxとかSashaとかだったのが、いつの間にかEDMになりましたね。
村田大造:ダンスミュージックがこうやって一般化していって大きなマーケットになっていったっていうことは大きいですよね。グラミー賞を穫ったアーティストのリミックスをしたりしますからね。昔はそこまで無かったもんね。
- さっき大造さんがリミックスに関して仰ってたんですけど、この映像を見ていてみんながリミックスについて言及していて、この時代はリミックスが重要視されていたんだなと感じました。今のハウス/テクノシーンだとリミックスって、この時と比べると重要度が低くなっているような気がするんですよ。EDMに関してはリミックスの需要がすごく高いので当時と通ずる部分があるなと思ったんですけど。90年代のリミックスに関する重要度というのは?
KO KIMURA:もともとはR&Bなどの遅い曲を速くすることが多かったです。今はもう初めから速いですからね。この時代良かったのが、レコードがちゃんと売れていたから、制作費もちゃんと出て良いアーティストをいっぱい使ったこと。今はそれができないからラップトップで作ってくださいってなるよね。だからどうしてもクオリティーは変わってきますよね。
村田大造:ダンスミュージックに形を変えて、よりダンスミュージックにさせられるのは、やっぱり1日何時間もDJしているDJの感性があってこそだと思う。だから必要とされるし、普通にアーティストが作った曲を聴くだけじゃなくてそれを使って踊らせる音楽に変えるっていうのがリミックス作業だから。古い物も現代風に変えて、余分な物ザクザク切ってね。展開を大きくしてみたいな。
- 劇中でDanny Tenagliaが「インディーでも少なくても5000枚くらいは売れる。メジャーになると何十万枚売れていた」って言っていて、今とは全く違う時代だったんだなって思いました。
KO KIMURA:昔は良かったってあんまり言いたくないけど、クオリティーが高いものが作れる環境だったことことは事実だよね。
村田大造:日本人も一時期海外のアーティストにやってもらったりしていたこともあったけど、もう無くなっちゃったね。ボーカルものが減っちゃったよね。それも大きいんじゃないかなあ。メッセージ性が無いもんね。この時代って音楽にメッセージ性があって。
DJ NORI:ハウスは全部がメッセージですからね。歌詞で繋いだり、タイトルで繋いだりしてましたしね。
村田大造:今はもう展開だけで、みんなを結びつける要素が刺激ばっかりで、感情に訴える部分が少なくなっているのも大きいのかな。
- クラベリアにこの記事のせた時にすごく反応が良くて、単純に90年代って人気なのかなって思っていたんですけど。ボーカルものによる感動とかが経験の中で成熟され、この当時のことを未だに好きな人が多いのかなと思いました今お話ししていて。
KO KIMURA:最近はパーティーミュージックって騒ぐだけになってきてますね。昔はゲイのDJが彼氏と別れたんだってDJ聴いてるだけでわかるみたいな。そういうのがあったんですよ。DJをもっと聴いていたし、音楽に集中していたんですが。
- この作品の特徴の1つが、出てくる人の多くがLouie Vegaに対してリスペクトしているコメントをしゃべっている点でした。みなさんLouie Vegaに対するイメージを聞かせてください。
KO KIMURA:90年代の人たちってDavid MoralesにしろFrankie Knucklesにしろ、みんなオリジナル曲作ってるけどDJの延長でオリジナル作ってたんだけど、ルイはちゃんと自分の楽曲も作りつつ、ニューヨリカンソウルとかも作ってたから、その辺がDJの1つ上を行ったというか、そういう認識のされ方で尊敬されているのかもしれないですね。
Louieはかなり若い頃からDJやってるんで、80年代の良い時代も知ってるし。90年代もそれをうまくまとめる才能も彼にはあって、ニューヨリカンソウルとかはそれの集大成じゃないですか。いろんなアーティストも使って。
村田大造:音楽的に作れるからすごいよね。あと絶対外さない優等生DJでもある。点数付けるといつも最低でも80点から85点は取る。ダメな時は全然だめで良い時はすごく良いっていうDJもいるけど彼の場合は安定してるんだよね。
あとLouieは性格が良い。誰にでオープンでニコニコしていて。いいDJは人格も良かったりすることが多いから。中には変わった奴もいるけど、基本的にはそういう大御所が多いよね。DJに人柄も出るからね。
- それと同様にJunior Vasquezも多く名前が出てきたのですが彼に対してはいかがですか?
DJ NORI:やっぱり彼はテクニシャンですし、楽曲も「ELLIS-D」っていう名前で最初は作っていて、アルバムもすごく良かったですね。"Sound Factory"の中でできる音楽があのハードハウスだったろうし、あのシステムから生まれた音楽だなって思う。
KO KIMURA:それをヨーロッパの人が面白いってなって自分なりの解釈でUK風にして、ワープハウスになっていったりしたんですよね。
- "Sound Factory"っていう箱の中でできた音楽と仰いましたが、どういった音だったのでしょうか?
DJ NORI:割と固めだよね。あのハードハウスの音は"Sound Factory"でかけるとバッチリの音圧というか、日本では少し厳しかったから、"Sound Factory"だとちょうど良く出るように作ってるんだなって感じましたね。
KO KIMURA:キックの音がドンドン鳴ってるだけで格好良く聴こえるのがあの空間ですよね。ツッチーツッチーってハイハットが鳴るだけで、おおーってなる箱はあんまりないですよね。そういうところもいろいろ勉強させてもらいましたね。こういう音の響き方もあるのかっていう。
DJ NORI:"Paradise Garage"行った時に思ったのは、あのシステムに合う音っていうか、ガラージクラシックスって言われるのはそういう音楽だったのかなって感じたり、"Loft"に行くと"Loft"のシステムで聴く音楽がロフトミュージックなのかなっていう。だから"Sound Factory"もそれに近いのかなっていうイメージですね。
KO KIMURA:だから、そのサウンドシステムでDJが育てられたっていうか、今はこの曲をあそこでかけたらどうなるだろうとかって考えないじゃないですか。この曲好き、で終わっちゃうから。そうじゃなくてサウンドシステムでこういう音が鳴るだろうなって考えた方が良いですよね。
DJ NORI:この箱ならこういう音がすごく合うだろうなっていうのはありますよね。
村田大造:特に90年代はぴったり合ってたし、みんなどんどん勉強していって、どんどんプロになる人の技術が上がっていった時でしたよね。
DJ NORI:"Yellow"なんかはボーカルがすごくきれいに出てたじゃないですか。"GOLD"は"GOLD"でまた違う特徴もあったし、対照的な部分もありましたよね。
KO KIMURA:その音で聞いてみないと分からないですからね。いくら説明してもわからないし。それを聞くとあー、だからこの曲は格好良く聴こえるんだとか、つまらないと思っていてもそこで聴くと格好いいと思うこともある。
- 現場で聴いてみないとっていうところなんですね。
KO KIMURA:それが本当のDJの技術なんですけど、分かっていないDJが多いように思います。詰まった曲ばっかりをどんどん作ってしまう。
- Kenny Bobienが劇中に「プロデューサーをするまではハウスの意義や技術を理解していなかった」って言っているシーンがあるんですけど、彼が言おうとしていたハウスの意義って何なんだろうと考えていて、みなさんの中でハウスの意義ってあったりしますか?
村田大造:彼が劇中に言ってたのはたしか、彼はゴスペルをやっていて、ゴスペルやってるのになんでハウスで歌うんだって回りから反感を受けたと言っていましたよね。
ただやっぱり彼はアーティストだから神から授かった声を教会だけじゃないところで歌たった。それは、発想自体が自由でもあるし、自分を活かすことで人を繋ぎ止めたり感動を与えたんだと思います。そういう自由な発想自体がハウスなのかなと思います。
クラブ自体がある意味、学校だったり出会いの場所だったりするので、ある意味教会とも言えますよね。若者が集まって刺激を求め踊ることがメインになってるだけで。だからそういう意味で言ってるのかなって思います。
KO KIMURA:まさにそんな感じで、教会と同じですよね。人が集まる感じで。ハウスって黒人音楽もあれば白人音楽もあってストレートもゲイもラテンもあって、いろんなものが自由に4つ打ちの中で1つのジャンルになっているのが面白いですね。
DJ NORI:本当に人を自由にさせる音楽ですよね。時間も場所も関係なく人を移動させたりすることができるのがハウスミュージックのすごさですよね。