INTERVIEWS

BEN WATT

わからないね(笑)。ただタイミングが良かったのと、去年は体調が思わしくなくて・・・
それから今年になって、8年間一緒だったエージェントを離れて、自らBuzzin’ Flyで、ブッキングを始めたのも大きかったね。直接オファーを受けることで、よりパーソナルに仕事に取り組むことができたし、様々な種類の出演オファー”YES”と言ってあげられるようになったんだ。二つのレーベルをマネージメントして、3人の子供を育てて、ラジオの番組を持ちながら、世界を飛び回るのは簡単ではないけれど、日本に行くことはとても楽しみにしているよ。 EVERYTHING BUT THE GIRLはたくさんのフェーズを通ってきた。ジャジー・アコースティックな初期の作品から、オーケストラ的ポップを通過し、ハウス、ドラムンベース、エレクトロニカなどを吸収した後期の作品とね。90年代中盤に、エレクトロニカの作品を探求しているときにアンダーグラウンド・クラブミュージック・シーンを初めて深く知ることになり、その高潔さと魂のこもった世界に魅了されてしまったんだ。EVERYTHING BUT THE GIRLにもその要素は反映されたけれど、もっとタフなエッジを表現したいと思った。1992年に、大病を患って、死の淵をさまよったときも、魂のこもったアンダーグラウンドミュージックに、たくさんのパワーをもらった。「オーバーグラウンドからアンダーグラウンドへの移行は簡単じゃない」って言われるけれど、メンタル面でその壁を乗り越えることに、僕はまったく苦痛を感じなかったね。それから、ちょうどその時期、オーバーグラウンドの世界に嫌気がさしていた。15年間もメジャーレーベルで作品をリリースしていたから、何か新しいことにチャレンジしたくて。最終的にはTracey(EVERYTHING BU T THE GIRLのヴォーカリストであり、BEN WATTの伴侶)が「業界を抜けて家族を持ちたい」と言ったことがキッカケになり、現在に至る道を歩んできたわけさ。 BUZZIN’ FLYから産み出される音楽には、パトス(アリストテレス倫理学で、欲情・怒り・恐怖・喜び・憎しみ・哀(かな)しみなどの快楽や苦痛を伴う一時的な感情状態)とエナジーが詰まっている。それは僕のDJセットでも同じことが言えるだろうね。基本はハウス、筋の通ったディープなやつ。そこに幸福感をスパイスとして与えてやるんだ。それから、ジャンルレスな音を差し込むこともある。それは誰もしらないアカペラだったり、映画のサントラだったり、インストのジャズだったり。フロアにいる人たちが「満足感」をもって家路についてくれることを願っているよ。 その通り。レーベルを始めた時から、ビジュアル面の美学は、音楽と同じくらい重要だと感じていたよ。Peter Saville(イギリスを代表するグラフィックデザイナー、ファクトリーレコードの専属デザイナーでNEW ORDERやHAPPY MONDAYSのジャケットなども手掛ける)のアートワークがとにかく好きだった。2002年に僕が運営していたロンドンのクラブCherry JamでデザイナーのJOHN(IWantDesign)と出会って、それから一緒にデザインをしているよ。JOHMがアイデアを出して、僕が手を加える。BUZZIN’ FLYのウェブサイト(ww.buzzinfly.com)は僕のデザインだよ。BUZZIN’ FLYを象徴するあのフォントをJOHNが考え出したときは、これは普遍的でオリジナリティーあるイメージを持ったレーベルになると確信したね。 これまでに、1990年、1992年、1997年とEVERYTHING BUT THE GIRLとして3回来日しているけれど、もう10年も経っているから色々変わったんだろうね。
僕が好きなのは、日本のアートに存在する「美しさと野蛮の均衡」だね。それは、三島由紀夫の小説や、黒澤明の映画の中にも見える。「美しさと野蛮の均衡」は、まさにアンダーグラウンドシーンに無くてはならないコンセプトだし、良いDJのハートにはそれが存在していると思うよ。その文化を日本で体験することを楽しみにしているよ。 「未来は、あなたが予測している方向からは訪れない」
Never expect the future to come from the direction you expect.