「ひとつですね。お客さんを盛り上げるというだけです。」
これは、DJ HAZIMEに本企画のインタビューから少し脱線したところで聞いた「HAZIMEさんの中でのプロとは?」という問いに、彼が迷いもなく口にした答えだった。

93年からキャリアをスタートして20年が過ぎ、日本のヒップホップの聖地"HARLEM"の土曜日に行われている「MONSTER」でのレジデントをはじめ、全国各地、常にフロアーを揺らし続けているDJ HAZIME。

「お金をもらってDJという職業をやらせてもらっていて、人前で最低でもつまらないことはできない。100%面白いかどうかは一旦置いておいても、少なくともいる人が全員が面白いと思える空間を作れないとプロとしては失格だと思っています。それだけです。」と答えるDJ HAZIMEを形成した音楽とはなんだったのか?DJ HAZIMEのSOUNDTRACK OF LIFEを聞いた。


Interview & Text : yanma (clubberia)
Photo : 難波里美 (clubberia)

SOUNDTRACK OF LIFE #01
Soul II Soul - Keep On Movin'

DJ HAZIME:
エピソードって言うよりは、1番最初にブラックミュージックみたいなものを聴いて、クールでこんなにかっこいい音楽があるんだって思って、どっぷりこの手の音楽にのめり込むきっかけになったのがこのアルバムなんです。「Keep On Movin'」はファーストシングルだし、彼らのもっとも有名な曲じゃないかと思います。

アルバムのリリースが89年なんで中2くらいだったと思うんですけど、今マンハッタンレコードがある向かいのローソンの上がタワレコだったんです。俺、家がそこからチャリで5~10分のところだったんで、あの辺によくいたんです。タワレコでこの作品が”激プッシュ”って書いてあって、よくわかんないけど買ってみよっていう感じで買ったら、すごい良くてって感じでしたね。俗にいうヒップホップDJとして知られるようになった俺の全ては、この曲からって感じです。



- 音楽好きな従兄弟の影響はあったものの、聴く音楽は今で言うJ POPやロック。当時は、サッカー少年であったり、渋谷センター街のゲームセンターで遊んでいたと語るDJ HAZIME。少しませてはいるが、いわゆる中学生らしい少年だった彼の人生を大きく変えたのは、Soul II Soulのファーストアルバム「Keep on Movin」だった。収録曲全部が好きだと答えるDJ HAZIME。そうとうこのアルバムを聴き込んだのが伺える。自宅が渋谷の中心から近かったということもあり、新しい音楽やファッション、さまざまなカルチャーに触れられる恵まれた環境の中、より貪欲に音楽へと傾倒していくこととなる。

SOUNDTRACK OF LIFE #02
The Notorious B.I.G. - Big Poppa

DJ HAZIME:
ヒップホップとかブラックミュージックにハマったHAZIME少年は、ニューヨークに行きたくなって(笑)。とりあえず94年に何のあても無く友達と2人でアメリカ行ってみない?ったんです。本当にただのノリっすよ(笑)。で、LAから入ってニューヨークまで電車で横断みたいなことをやったんですよ。

それから、ニューヨークに何回も行くようになり、Biggieのファーストが出た時に、ちょうどニューヨークに長期で滞在してたんです。その時に俺が泊まってた所の管理人が「お前ヒップホップ好きなんだろ。今裏でBiggieの撮影やってるぞ」って教えてくれたんです。行ってみたら本当にいて。すげえ、ニューヨークって最高だなって思わせてくれたですよ。その時、撮影していたのがこのアルバム「Ready To Die」の13曲目の「Big Poppa」のMVだったんですよ。その後Biggieは死んじゃったんで二度と会えないんですけど、俺はニューヨークでBiggieを見たぜっていうのが自慢なんです(笑)。

最初にSoul 2 Soulを挙げたんですけど、当時De La Soulのアルバムも同じくらいの衝撃だっので迷いました。ヒップホップなんてあまり考えてなかったけど、面白い音楽って感じで聴いてはいて。そしたら92年がちょうど、やれDJ Premierだ!Pete Rockだ!って黄金世代みたいに言われる年だったんで、その時はがっつりヒップホップ聴いてましたね。たまたま1枚目がイギリスのSoul 2 Soulだっただけで、基本的にはニューヨークのヒップホップにハマっていったんです。



- ニューヨークでは、昼間からレコードを掘って夜はクラブに行っての繰り返しの日々を送ったDJ HAZIME。途中からMUROの店の買い付けも同時にやるようにもなる。ニューヨークの魅力とは?と聞くと、「わかんない!未だにわかんない(笑)。当時なんてニューヨークっぽいことしてなかったけど、ただ楽しかった」と答えるDJ HAZIME。もっとも隆盛を極めた時代と言われる90年代のニューヨーク。自身でも知らないところで、DJ HAZIMEの音楽的な土台が形成された時期なのかもしれない。

SOUNDTRACK OF LIFE #03
NITRO MICROPHONE UNDERGROUND - Nitro Microphone Underground

DJ HAZIME:
2000年のシドニーオリンピック開幕前にちょうどアルバムが完成したんです。発売はされてなかったんですけどアルバム自体は完成してて。
それで、シドニーオリンピックのサッカー日本代表の試合だけを追いかけてオーストラリアに行ったんです。サッカーの試合はシドニーでやらなかったので、友達とキャンピングカーを借りてひたすらサッカーに合わせて追いかけるっていう旅をやっていて、その時にずっとかけてたのがこれだったっていう。まさにサウンドトラックですよ。

ニトロの正式なメンバーではなかったんですけど、ノリ的にはグループの一員みたいなところがあったので、自分たちのグループのファーストアルバムがやっとできたってこともあって、めちゃ嬉しかったですよ。だから本当にこれ聴くと、シドニーオリンピックの時の画をいっぱい思い出しますね。



- DJ HAZIMEの音楽活動の中において、「NITRO MICROPHONE UNDERGROUND」のリリースは、1つの転換だったことに間違いない。そして、その中心人物であるDABOとの出会いも大きい。90年代、日本もDJブームが起こったが、実際はシーンとしてまだまだ小さいもので、まだヒップホップ好きはゴロゴロとはいなかったようだ。だから、ヒップホップが好きなもの同士はすぐに打ち解けあいうことができ、DABOとも共通の友人を介して知り合い、知らない間に仲良くなっていたとDJ HAZIMEは当時を振り返る。

下の世代からみると、当時盛り上がっているように見えるシーンの実態は小さく、実際はまだまだサブカル的な要素が強かったそうだ。それがまた魅力なのかもしれないが、逆に今は月日が経ち成熟したシーンができたといえるのではないだろうか。成熟期を迎えたものはどこへ向かうのか?いち音楽ファンとしては、今後クラブ/ダンスミュージックがどこへ向かうのかは楽しみなところである。 そして、成熟した現代2015年から遡ること14年、DJ HAZIMEのSOUNDTRACK OF LIFEは完結することとなる。

SOUNDTRACK OF LIFE #04
JAY-Z - Izzo

ニトロがアルバムをリリースした翌年、2001年9月11日に出たのがJAY-ZのBlueprint。ニトロのプロジェクトでDef Jam Japanにお世話になったんですが、当時、Def Jam JapanはUniversalの傘下だったので、Universalの制作の人たちにも良くしてもらっていて、JAY-ZのレーベルのオフィシャルミックスCDのオファーをもらったんです。オフィシャルミックスCDを初めてやらせてもらったのがその企画で、さらに上昇気流に乗るきっかけになりました。

オフィシャルミックスCDってすごく価値のあるものだと思ってたんで、それを任されれば一流DJの仲間入りみたいなイメージがあったんですよ。それにメジャー仕事っていうのも大きい。レーベルがニューヨークに連れて行ってくれたり、それこそJAY-Zには会えなかったけど、本国レーベルの社長やアーティストに会う機会をセッティングしてくれたり。今までの俺のニューヨークって、街中のレコード屋でダラダラしてたのが、今度はレーベルのトップに会っているっていう。さらにもう一個上のニューヨークの面白さっていうのを経験させてもらったんで、いろんな意味で自信も付いたし勉強させてもらいましたね。


- 今回挙げてもらったものは全て10年以上前の作品だったことに対し、最近のものはなかったのか?と聞いてみた。そのことについてDJ HAZIMEは、メジャーからミックスCDを出して以降は、プロに徹するようになったため、1曲に対する思い出というのは良くも悪くも無くなってきたそうだ。そうすると、今回紹介できたのは、若かりし良い意味で荒削りの思想をもった頃のDJ HAZIMEを映しだした貴重なインタビューとなったのかもしれない。