さらなる精度/クォリティーが求められる状況でそれがより顕著になっている

 90年代後半からさまざまな変遷を経て、今の10年代前半は非常におもしろく、先に明るさを感じられる音楽環境になっていると思います。それは1つに、20歳代前半の若手クリエーターがひと昔前から思うと増え、それぞれに自身の表現を発信しているという要因、1つはネットレーベルや多く開催されているイベントといった要因が底辺を支え広げているのかなと。
 またCDの出荷数は、配信のやや右肩上がりと比べるとメジャー寄りを中心に落ちてはいると思う反面、僕らまわりの電子音楽/エレクトロニックミュージックに関して、ツボをついた高い精度の楽曲からなる本当に良くできたアルバムは、00年代初頭頃も今の10年代前半もさほど変わっていない実感があり、良質な固定ファンに支えられているのかなと思います。但しそれはあくまで本当に良くできたアルバムに限った事で、到達できていない内容は、世間の厳しい洗礼を浴びる事が少なくありません。例え、10年以上のキャリアと知名度で音のクオリティーは保っていても、音楽性のアウトプットにちょっとしたズレがあると数年前と異なり出荷に繋がらないという現実が故に、リスナーの選別はハードルが高くなっている印象です。よって実際の作家であっても「自分はコレを表現したい!(がハマればベスト)」という気持ちと同様に「自分をどう見せるか?」というセルフマーケッティングも大切に思います。
 よく印象として思い出すのはリキッドのボスY氏の「やっぱヒットメーカーは強いよね」という言葉。実はこれ00年代中盤以降の僕らまわりの音楽環境がより音楽性を伴っていったのと通じていて、今は、さらなる精度/クォリティーが求められるている感じがします。
 だいぶ前から「誰でも音楽制作できる環境」と言われ、ある程度遜色ないリズムプロダクションをする人は若手含め多い印象だけど、そこにツボを得たメロディーメイキングをどう表現できるかというのが今1番大切かなと感じます。もちろんトラックメイングなアプローチ、池田亮司さんやCarsten Nicolaiに代表されるアートなアプローチは変わらずかっこ良く、SNSで「ヤバい!」という反応がある反面、そこには相応に裏打ちされた相当の+αが自然と備わってないと良い結果を得るのはハードル高いなと思ったり。
 10年周期とは言うけれど、景気と合い舞い今は成熟の時期かな、自由度の高い実験と解体を繰り返す時期が再び来るのはいつかなと思ったり。