小橋 賢児

ULTRA JAPAN クリエイティブディレクター BIGBOYS Inc, CEO

1988年、8歳の時に芸能界デビュー。以後、数々のドラマや映画、舞台に出演し人気を博す。役者として幅広く活躍する。しかし、2007年、可能性を広げたいと俳優活動を休業し渡米。その後も世界中を旅を続け、イベント制作会社を設立。ファッションブランドをはじめとするイベントの企画、演出をしている。9万人が熱狂したULTRA JAPANのクリエイティブディレクターも勤めている。

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二年目のジンクス

 スポーツ界ではよく二年目のジンクスなんて言葉で表現されるくらい、一年目で成功したものが二年目に大きく覆さえてしまうことがある。僕がクリエイティブディレクターを担当しているULTRA JAPANも、その魔の二年目を迎えようとしていた。
 ダンスミュージック主体の大型野外フェスティバルは日本では難しいと散々言われながらも、何とか今の世代に世界で起きてる感動を体感してほしいという一心でチーム一丸になって1年目を完成させました。しかし、業界内外お客さんも含め、「二年目はそうは簡単にいかないぞ」って空気をもろに感じざるにはいられなかった。それもそのはずで、イベント開催の9月は二日しか晴れ間がなかったくらいの異常気象でほぼ1ヶ月は雨の日が続き、気温も9月とは思えない寒さでとても夏フェスといえるような雰囲気ではなかった。
 そこに追い打ちをかけるように、開催直前には台風が本州に上陸しようとしていた。野外のフェスを運営している人であったらこのときの心境といったら計りしれないのはお分かりいただけるだろうが、泣いても喚いてもイベント開催日は変わらないわけなので、後は神頼みというくらいに自分たちの運命を受け入れてポジティブに考えるしかない。僕はチームのみんなに、「きっと台風が直前でそれて熱風が送られてくると思いますよ!」って言い放った。みんな、ぽかーんとしてたけど、実際本当に台風は本州上陸直前に急カーブしながら上陸をそれ、さらには台風からの熱風が一夜にして真夏日まで届けてくれたのです。

「奇跡だ!」

 これはお客さんや関わってくれたみんなの想いのエネルギーが自然をも動かした賜物だと確信するできごとでした。そして、この不安や喜びを与えてくれた自然からの演出もあってか、会場の熱気は冷めることなく二年目のジンクスも吹き飛ばし三日間を無事終えることができました。
 そんな2015年でしたが、天候に左右されるような生ものを扱うものにとって自然との調和を計ってバランスをとることは大切なことだと改めて思い知らされる一年にもなりました。イベント三年目に向けて更なる高みを目指すためにも、その自然との調和を計るためにも、僕は旅という時間をとても大切にしています。両極を知って中道を生きる。自分自身の幅を広げ、より深い真ん中を生きるために、数ヶ月ほど見知らぬ国を旅しながら2016年をスタートしたいと思っています。
 2016年も皆さまにとって良い年になりますように、そして素晴らしいイベントが沢山開催されますように。