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「Somewhere…」ドバイのパーティー最前線

Report & Text : Atsushi Harada
Photo: 
Somewhere… Official, Atsushi Harada
Direction : Norihiko Kawai

 アラブ首長国連邦(以下、UAE)のドバイは、現在、大きな転換期の真っ只中である。その状況を大きく変えた出来事のひとつが、2026年2月28日に始まったアメリカ、イスラエルとイランをめぐる軍事衝突だった。これによって中東全域の空気は一変し、近隣に位置するUAEもその影響から無縁ではなくなった。
 
これまで中東地域における「安全な都市」というイメージを築き、ビジネスや観光の拠点として発展してきたドバイは、情勢の変化によって新たな現実と向き合うことになった。観光・飲食業も大きな打撃を受け、クラブを含むエンターテインメントの現場も同様であった。
2026年2月28日、運航停止を告げるドバイ国際空港(DXB)
 
読者の皆様はドバイに関してどのようなイメージを持たれているだろうか?ドバイのクラブカルチャーはラグジュアリーの消費を中心としたイメージが先行しているかもしれない。私もドバイへ移住した当初、クラブに足を運んだ際には、エントランスのチケットが(平均6,000~8,000円)、ドリンクの値段もビール1杯、2,400円には驚いた。
 
クラブカルチャーは中間層から上位層のエンターテーメントだと強く実感したのをよく覚えている。もちろん物価の違いはあるが、クラブミュージック、ダンスミュージックが身近な国とは大きな開きがあるのは事実だ。
 
しかし、最近では中間層、上位層だけでなく、この街に暮らす多国籍なローカルコミュニティに向けて、エンターテーメントの体験そのものの質を高める方向へと軸足が移りつつあるように感じている。観光業が打撃を受け、方向転換を迫られたのかもしれない。あるいは、そうした変化を受け入れクラブカルチャーをローカライズする土壌は、すでに形成されていたと考える方が正しいのかもしれない。


そんな転換期であるドバイのダンスミュージック・シーンにおいて、一際存在感を放つレバノン発のオーガナイザー「Somewhere…」に焦点を当てて、私は取材と撮影を重ねてきた。
 
なぜ、私が「Somewhere…」について興味を持ったのか?

2026年2月14日にドバイのフェスティバル・シティにあるクラブ、Helipadに参加したのがきっかけであった。メインアクトを務めたのがFumiya Tanakaだった。
私自身、Fumiya氏のプレイ体験は、その時が初めてであった。繊細で催眠的である彼のサウンドは、それまで私が経験してきたダンスミュージックとは異なる世界で、非常に難解であった。また、その夜はPhonosoundsystemという2mを越える素晴らしいサウンドシステムが導入されており、パーティーへの深い造詣を持った「Somewhere…」に強く惹かれた。



2m超のPhonosoundsystemサウンドシステム
 
Phonosoundsystemは、ジャマイカで設計されたプロトタイプから始まり、その後ドバイで製造・組み立てられたサウンドシステムだ。クリアで温かみのある高音質な再生を重視しており、音楽が持つ奥行きや細かなニュアンスを、豊かに引き出す設計となっている。
 
同年の1月には「Somewhere…」はなんとルーマニアン・ミニマルシーンのパイオニア的DJであるRareshをドバイに招いていた。こうしたワールドクラスのアーティストを継続的にドバイへ招聘する姿勢から、彼らがこの街にどのようなダンスフロアを築こうとしているのかを知りたくなった。

Fumiya Tanaka at Helipad
 
「Somewhere…」は、2006年にレバノン・ベイルートで同級生たちによって始まったプロジェクトだ。約20年にわたりダンスミュージック・シーンとともに歩み、ベイルートを軸に定期的なパーティーを開催。その活動はロンドン、パリ、リヤド、バルセロナ、ウィーンなどへと広がり、都市や国境を越えながら独自のネットワークを築いてきた。
サウジアラビアやエジプトを含む中東地域のコミュニティとも繋がりがある。彼らが活動の核として大切にしているのは、「音楽を通じて人々の本質的な部分に触れ、対話や出会い、つながりを生み出すノマディックな空間」だと話しをしてくれた。
ドバイという多国籍都市の中で、彼らがどのように人と音楽を結び、新しいコミュニティを形作っているのか?

「Somewhere…」パーティーでの一場面  at Reunion
 
彼らの活動を語るうえで欠かせないのが、ドバイという都市が持つ多国籍性だ。世界各地から集まった人々は、それぞれ異なる音楽的背景や体験を持ち、一つのフロアの中で表現する。そこには、多様なアイデンティティが共存するフロア空間が広がっている。彼らは、その部分を理解しつつ、互いへの理解を深めていくためには、キュレーションに対して誠実性が何より重要だと話してくれた。知名度や話題性のアーティストをただ並べるだけではない。「Somewhrere…」が生み出す空間で最高の対話が引き出されている。その結果としてオープンで柔軟な新しい街ドバイの姿を見せてくれる。
 
そうした中、4月4日、「Somewhere…」はドバイのクラブ「Reunion」にて、より親密な一夜のイベントを開催した。このイベント開催時は、一時的な空港閉鎖、また情勢への不安から、国外への移動や自宅待機を余儀なくされる人々もおり、地政学的な緊張が日常に深く影を落としていた。
私自身もUAEに暮らす一人として、そうした状況下におかれていた。ドバイ在住のローカル・アーティストを軸に構成されたこの夜には、「再会とつながり」がテーマであった。音楽を通して心を許せる時間を生み出したいという意志が感じられた。私はこの夜、本当に感動したのだ。ダンスミュージックを介して人と人が自然な距離感で集まり、同じ時間を共有しながら音楽を楽しみ、笑顔を見せる人々の姿がとても印象に残った。


情勢不安の中、スナップショット at Reunion
 
「Somewhere…」が生まれた街、ベイルートでは、社会的に困難な状況が続く中にあっても、ダンスミュージックのシーンは途切れることなく、社会的制約の中から新たな創造性を立ち上げ続けていると話してくれた。クラブというコミュニティは、エンターテイメントの場だけではなく、コミュニティが集い、感情を共有し、見えない現実の中で音の下で、歩みより違いを理解すること。言葉に言い表せないない、確かめ合うための場所として機能している。
 
彼らは、ドバイという都市が、急速な都市開発と高度なインフラ整備によって世界中から多様な人々を引き寄せ、極めて多層的な文化環境を形成していることを鋭く認識していると思う。また、彼らは、レバノンとドバイのクラブシーンが、それぞれ異なる形でナイトライフの枠を超えたものへと発展し得ることに、強いインスピレーションを受けていると語っている。そこには、単なる音楽的な興味やイベント体験を超えた、より長期的かつ未来志向の視点が存在している。

しかし、その一方で、クラブカルチャーがより深いレイヤーへ突入していくためには、ラグジュアリー志向や大規模イベント中心のイベントだけでは越えられない領域が存在している。音そのものに耳を傾けるリスニングの文化、ラインナップや空間設計、そしてコミュニティが継続的に関与し続けられる土壌。そうした時間をかけて蓄積されていく文化的な厚みが、今後のドバイにおいてより重要になっていくのだろう。



「Somewhere…」の行動と視点では、ドバイにはすでに十分すぎるほどのポテンシャルが存在している事実を証明しており、同時に、それを単なる消費ではなく文化として根付かせていくための余白、可能性もまた、このドバイの都市には大きく残されているという事を定期的なパーティーで示してくれている。

 
中東が世界を巡るアーティスト達の経由地となれば、日本・ヨーロッパ・中東を結ぶ新しいダンスミュージックの動線が生まれていくのかもしれない。
「Somewhere…」は最後により多くの人々へ届く橋渡し的存在になることをダンスフロア内外で担うことの大切さを、日々提示をし続けている。190カ国以上の人々が交わるドバイという街で、「誰がこの街に集まり、どのような背景を持ち、何を表現しようとしているのか」という人間的な側面に光が当たり、多様な人々と共鳴し、進行形で新しい時代をつくっていく。そうした目の前にある未来への可能性を信じている。
https://www.pioneerdj.com/ja-jp/product/software/wedj/dj-app/overview/