─まずTROOPCAFEがスタートまでの経緯を教えてください。 上田: 僕は20歳の時に弊社代表の若林さんが経営していた「CONCIERGE(コンシェルジェ)」という店で働いていました。当時1995年頃だったんですが、その頃にライブハウスやバーを借りたりして、店主催で「コンシェルジェプレゼンツ……」でイベントしていたんです。昔は神戸にもディスコが何十軒もあったんですが、その頃は時代の境目みたいな時期で遊び場があまりなかったから「だったら自分達で作っていこうよ」ってTROOPCAFEをオープンさせたんです。 ─この場所でですか? 上田: いや、違う場所です。その当時は、右も左もわからない状態でオープンまで漕ぎ付けて、住宅の1階でオープンさせちゃいました(笑)。でも当時は、本当にわからなかったんです。 ─TROOPCAFEの名前の由来を教えてください。 上田: 「TROOP」っていう言葉を直訳すると「軍隊の」って意味になるんですけど、そのほかに「大勢の」とか「1つの集まり」みたいな意味もあって。お客さんとかアーティストとかスタッフとか、いろんな人と作っていきたいって意味を込めて、今のTROOPCAFEという名前になりました。「一緒に作って行こうよ」みたいな意味合いがあるんです。 TROOPCAFE店内 ─1度イベントに行って思ったのが、お店のスタッフの方も一緒にパーティーを盛り上げてくれているというところですね。東京でTROOPCAFEと同じぐらいの中〜大箱キャパシティのクラブでは、あまり目にしない光景でした。 テリー: そうですね、やっぱりみんな音楽が好きで働いてくれているっていうのがありますよね。 (右上へ続く) |
インタビュー中 左から上田氏、DJ TELLY氏 上田: 本当に音楽好きなスタッフが働いてまして。今まで少数精鋭でやってきて、1年ぐらい新しいスタッフが入らない状況でやってるんです。大学1年生で働き出したと思ったら、卒業するまで働いているっていうぐらい、その人の限界を出し切ってもらってるんですよ。 それでそのまま社員になって「最後までずっと一緒に成長していきたい」って言ってくれるスタッフが多くて。今いるスタッフも半分以上が10年以上の付き合いの人ですよ。僕らが今まで、どういう思いで店を作ってきて、昔の場所から今の店に移って、神戸という街に何を発信していくかを理解してくれてるスタッフが多いんですよ。僕らがやろうとしている音楽が好きで、以前からDJしてたスタッフも、働いてからDJに興味もったスタッフもいて。ほんとにクラブが好きな人が働いてくれてますね。ホールのスタッフも、踊りながらコップを下げたり灰皿をキレイにしてくれたり。あと「これやったら人が入るから、これやろやー」とか「こいつら呼んで、こういう風にやったらええやろ」みたいなことはしないんですよ。そういことはやっぱり、スタッフも萎えるしお客さんも萎えちゃうんで。そうしてしまうと、僕らもTROOPCAFEっていうブランディングを保ち続けることはできないので。「自分たちが本当に伝えていきたいものだけをやろう」って大事にしているんです。それってスタッフもストレスなく働けるんですよ。「今日何これ?ブルーやわ」ていうのがないんですよね。そういうことをやっているから、いい空気が作れてるのかな、と思いますね。自画自賛ですみません。 テリー: それはやっていく上で重要ですもんね。それがないとクラブっていうシーンは育たないかなと。 ─愛に包まれていますね。 上田: どっちかっていうと、ストレスを持って働きたくないんで。わがままかもしれないですけど。下手な話、ストレス抱えるくらいだったら、儲けんでええわっていう。よく「○○すると客がよく入るよ」って話聞くじゃないですか。昔から「これやるくらいだったら飯食わんでええわ。ボロボロのTシャツで生きていくわ」いうぐらいの気持ちでずっとやってたんですよ。やっぱり媚びてしまったらシーンって作っていけないんで。僕らがブレてしまったらダメだと思うんですよ。たとえば、神戸の街を代表して、全国でDJしているテリーがぶれてしまった時点で、僕らもどうしていいかわからなくなってしまうので。 TROOPCAFE店内 (左下へ続く) |
インタビュー中 ─神戸にとどまらず、関西圏〜全国にTROOPCAFEという名前が広まっていますが、支持を得るために苦労したことや、工夫したことはありますか? 上田: 努力というか、僕らにとっては自然なことをしてきたつもりなんですけど、今となってはその自然な感じがよかったのかなと。これを言ったらかっこわるいかもしれないんですが、12年前にオープンしたときは、正直シーンに対して知識がなかったんです。 それで住宅の1階でやってしまって、いざ始めてみたら騒音問題やらいろんな問題に直面しまして。その場所では6年間やってきたんですけど、2年目くらいから、今のような環境でやれば、もっといろんな人と楽しさを共有できるんだっていうのがわかってきて。それから新しい物件を探してたんです。最初の6年間は、ローカルのイベントしかやってなかったんです。言ってみれば、6年間で海外のアーティストが来たのは1回か2回ぐらいで、東京のアーティストが来たのも、オーガナイザーが呼んで10回あるかないかぐらい。じゃあ僕らは何をしてたのかといいますと、ほんとに地域密着で神戸の人たちと情報交換しながら「じゃあ一緒に神戸盛り上げましょう」っていう同じ目線で、いろんな人と育ってきたんです。そこで作られた関係って、オープン当初から「東京から○○呼ぼう」「海外の○○を呼ぼう」っていう風にやってたら、たぶん神戸の街との関係って作れなかったと思うんですよ。遊び場を作る中で「○○がDJするから」じゃなくて、「こういう音楽があって、神戸のこういう人たちとやれてるよ」という風にやってきたのが、すごくプラスになっていたと思うんです。その6年間で作ってきた関係が、今のお店に移って、僕たちが溜め込んだものを出せているんだと思うんですよ。 当時は、毎週騒音問題で苦情が来ていたじゃないですか。「それでも僕らは営業せなあかん。じゃあどうしたらいいんだろう」って思案して。それで、PAの人や音響の人たちとどういう音質を作っていけば、近隣の方に迷惑もかけず、営業も続けれるだろうっていう、音のこともこのときに勉強しましたね。だからこそ、現TROOPCAFEをオープンするときに、「長くいられる音で、それだけではなくダイナミックな音」を実現することができたのかなと思います。ちなみに今、何の話でしたっ(笑) テリー: 言いたいこと言えばいいんじゃないですか(笑) 上田: テリーもほんとに世界を見てますし、僕らも「神戸ブランド」という音楽を作って世界へ発信していく気持ちを常に持っています。もちろん全国的にもTROOPCAFEをアピールしていきたいという気持ちもあります。神戸に対して、地元の人と一緒にいいイベントを作っていくっていう部分もあります。僕たちは、この3つのバランスでイベントをやっていますね。 毎月、僕やテリーや代表若林さんが東京に行って、最先端なものやシーン、どういう風にイベントを制作してるかをいろんな人と情報交換して、神戸に持ち帰って発信したり、さらに自分たちのフィルターを通して再現しています。あと、僕たちが毎年レベルアップしていこうというのもあり、今年はどこをステップアップしていこうとミーティングしたときに、じゃあ今年はライティングをレベルアップしようということになったんです。「じゃあどうしよう」となって、やっぱり日本でライティングっていったらAIBAさんじゃないですか。それでAIBAさんに相談して、僕たちの要望を伝えてライティングをプログラミングしていただいたきました。 TROOPCAFE店内 テリー: 毎年ハードの部分はパワーアップしていってますね。スピーカーを充実させていったり、ビジュアル面を強化していったり。そういう設備への投資は絶対必要かなと思います。お店として成長し続ける部分があるからこそ、ずっとお客さんに来てもらえるという部分はあるのかなと。 上田: 感覚的に、毎年リニューアルしているみたいな感じですかね。基本的に常に未完だと思っているんで。「今年はどこをパワーアップする」っていう目標を毎年考えるのって、僕ら自身もすごくわくわくしているんですよね。 (右上へ続く) |
─ブッキングに関してですが、近年のハウス〜テクノシーンにおいては外タレ絶対主義のようなものがありますが、TROOPCAFEのスケジュールを見るとTAKKYU ISHINOやKO KIMURA、SATOSHI TOMIIE、FUMIYA TANAKAなど、国内のアーティストに重点を置かれているように見えますね。 上田: 僕らも今の場所に移って、やっと苦情のない状況でイベントができて、音を出せることがすごくうれしかったんですよ。僕ってもともとすごくミーハーな人間なんですよ。それで「誰ブッキングしちゃう?」みないな感じだったんですよね。それで、日本を代表するアーティストには、ひととおりTROOPCAFEを体験してもらいたいぐらいの気持ちってあったんですよね。あのころは、アーティストをむかえてイベントをするということに慣れていなかったので、来ていただいて、回していただいて、ありがとうございました、みたいな感じで1つ1つのイベントを終えてくなかで、これじゃいけないって思ったんですよ。ある日木村コウさんに初めてきていただいたときに、イベントが終わって「君たち、すごいいい箱なんだからこうしたほうが いいよ」って、1〜2時間くらいアドバイスをいただいたんですよ。ちょうどテリーのイベントで、テリー自身にもアドバイスをいただいて。それがすごい衝撃的やったんですよ。知らないことだらけの中で、発見や反省がくっきり見えてきて。それから今来ていただいているアーティストの方々は、ただ単に来てバイバイというわけじゃないくて、一緒にイベントを作ってくれるって方ばかりで。 うちのスタッフも、ローカルのDJも、みんながアーティストたちとコミュニケーションすることによって、シーンに対してどういう気持ちで音楽に向き合ってイベントを作っていったらいいのかっていうのを、リアルに感じ取っているんですよ。だからそういう情報交換をできる人と、コンスタントにイベントを作って行きたいんですよね。もしくは、僕が英語しゃべれないから、日本人アーティストばっかりになってるのかもしれないですね(笑) テリー: コウさんをはじめ日本のトップDJの方達は本当にアドバイスをくれますね。普通はプレイして終わって「よかったよ」って言ってくれて終わりだと思うんですよ。でも特にコウさんは「今日のイベントはよかったかもしれないけど、ここをよくしたらもっとよくなるよ」っていう要素を的確に伝えてくれるんですよ。だから次にコウさんが来たときやほかのイベントにも、前回の反省点を踏まえて準備できて、イベントもTROOPCAFEも成長していくんですよ。的確なアドバイスをくれるのって、コウさんのキャリアが成せるからこそだと思うんですよ。そういうことってなかなかできないと思うんですよ。 KO KIMURA 上田: プロモーションするにしても、自分たちだけじゃなくて、アーティストサイドからも「神戸でこういうことやってるよ」って発信してくれるアーティストとやっていきたいんですよ。来てもらってるっていう感覚もないんですよね。 テリー: 一緒に作ってるってことなんですよね。 上田: うん、一緒に。一緒に楽しくやっていきたいですし。もちろん、今回のクラベリアさんとのジョイントイベントもそういう気持ちで一緒に作っていきたいですし。 REBOOT @ REBOOT Japan Tour 2010 in KOBE (左下へ続く) |
─先ほど、DJのモチベーションという言葉が出てきたのですが、TROOPCAFEのマンスリーを見ると、ローカルDJもきちんとアー写を揃えていますよね。DJ中にたまたま撮られたような写真を使わずに、自分のブランディングをおろそかにしていないと思ったんですが、それに関して何かアドバイスはしてるんですか? テリー: 昔は、DJがクラブでDJ始めるときは、はじめにちっちゃいキャパの箱でやって、そこが一杯になったら次に行っての繰り返しだったんですけど、神戸にクラブが減ってしまったというのもあって、次世代の人たちの間にそういう流れがあまりないんですよね。だから、ほんとはよくないと思うんですが、あまり経験がにないDJがいきなり大きいステージに立つこともあるんですよ。でも、そうしていかないといけない現状もあるんですよ。だから外に対してしっかり見せないといけないという部分で、撮ったほうがいいんじゃないかなー、くらいな感じで話したりはするんですけど。それぞれが自分のメッセージ性を組み込んだものを持ってきてくれるんで、みんなが自身の意思でやってくれてます。 左から、DJ TELLY、JUNIOR、KENJI ADACHI、KOHJI MATSUDA 上田: テリーに関していえば、こんな神戸の片田舎で「俺は世界でDJやるぞ」とぶれずにやってるんですよ。アホじゃないですか。 一同:(笑) 上田: でも、それぐらいの気持ちでみんなやっていってほしいなと思いますね。プロDJとして食ってやるぞくらいの気持ちで。そんなテリーが若いDJを引っ張っていってくれてるから、自然とプロ意識みたいなもんは持ってくれてますね。僕としても、テリーのロングセットで土曜日のレギュラーは客がどっさり入るような神戸のオリジナルを作って行きたいと思いますし。 去年か一昨年ぐらいから、ブッキングするアーティスト側からテリーのイベントでやりたいって声が増えてきたんですよ。でもそればかりでも、前に進まないじゃないですか。じゃあ、ローカルのDJのアイデンティティを大事にしてレベルアップさせて、テリー以外にもいろんなアーティストを逆指名してもらえる環境を作れれば、おもしろい形が作れるんじゃないかと思ってます。 SATOSHI TOMIIE ─TROOPCAFEというとSATOSHI TOMIIEをむかえてのイベントが印象に残っているんですが、TOMIIEさんとは特別な関係性はあるんですか? 上田: やっぱり世界に対してアピールしていきたいっていう中で、日本人として海外でやってるっていうTOMIIEさんって僕たちにとってスペシャルじゃないですか。 テリー: 世界で活躍されている日本人アーティストって、DJ KRUSHさんや、KEN ISHIIさん、FUMIYA TANAKAさんとかもいるんですが、ほとんどを海外で過ごしているトミイエさんと一緒にやるっていうのはすごく重要なことで、話を聞いていると世界のシーンも教えてもらえたり、コミュニケーションを取ることによって、自分たちのやりたいことが間違ってなかったと認識できる部分を擦り合わせたりするんです。年に2回やってるんですけど、その2回でTOMIIEさんのプレイがすごく変わるんですよ。クラブシーンってそれだけ早い移り変わりがあるので、それをダイレクトに感じられるっていうのは、スタッフやローカルDJ、お客さんにとってすごく大事なことなんですよ。 左から、DJ KRUSH、KEN ISHII、FUMIYA TANAKA (右上へ続く) |
上田: お客さんにとっては、僕らが口で言うよりリアルだと思うんですよね。神戸に来ていただいて、表現していただく。僕らが「こうだよ」って言いたいんですけど、音楽ってうまく言葉では言えないじゃないですか。僕らにとって店のブランディングの1つとして、TOMIIEさんとDUBFIREってスペシャルなんですよ。TOMIIEさんってもともと東京以外ではプレイしない、みたいな印象があるじゃないですか。大阪でDJするっていうイメージもないじゃないですか。初めて来ていただいたときにも、お客さんのリアクションがすごいよかったっていう感想をいただいて。それから来日の際には毎回声をかけていただいています。DUBFIREも3年連続で出演してくれて。そのときは、テリーがフロントを担当してましたね。 Dubfire ─実際にDUBFIREと共演されてどうでしたか? テリー: 7時までやっても人がパンパンなんですよ。ずっと同じ状態で続くんで。やっぱりこういう好きでこだわった音楽をやってて間違いないなっていう感じがありましたね。自分の思うままに進んで行こうと思いましたよ。店の方向性も間違ってないなって思えますよね。 上田: あの手の音で、あそこまで引っ張れる人っていないもんね。一昨年は彼が2時から7時までプレイしてくれたんですけど、僕も1秒も休まず踊り続けてました(笑)。もう、酒も飲まずにずっと誰ともしゃべらず。僕にとっても特別なんですよ。極端にいえば、俺はALI(DUBFIRE)で踊るために生まれてきたんだじゃないかってくらい。それくらいハマってしまって。僕、稲森いずみが好きなんですけど「稲森いずみが裸で誘惑してきても俺はALIで踊る」みたいな(笑) テリー: ゆうてましたね、ずっと(笑) Dubfire @ Bush feat.DUBFIRE ─そういう感覚って体験してみないとわからないですよね。その感覚を伝えたいっていうのもこの業界にいる理由のひとつですよね。 上田: ALIとかTOMIIEさんとか、コア層が好むような音楽のときに、メジャーな音楽が好きなお客さんが来てパンパンのフロアで人が踊ってる様子を見て「なんでこんな音楽で、こんないっぱい人が踊ってるん?」ていう衝撃は受けてるみたいですね。そういう反応を見ると僕たちもたまらなくて。「だろ?これがカッコイイんだよ。それがクラブだよ」って、思うんです。 ─僕も元々アッパーなハウスが好きだったんですけど、以前イエローにMOODYMANNが来ていたときに見に行ったら、なんでこんなゆっくりした音楽でたくさんの人が踊ってるんだろうって思ったんですよね。でも30分くらい我慢してるとよさがわかってきて、どんどんこの手の音楽にはまっていきましたね。 上田: 僕ももともとディスコで育ってきて、20歳くらいのときにDJ始めて、そのころはオールジャンルDJだったんですよ。初めて「ZETTAI-MU」のイベントに行ったときに意味がわからなくなったんですよ(笑)。圧倒的な空間というか雰囲気というか、もう理解できないぐらいの衝撃だったんですよ。それで、一発でドラムンベースにはまってしまって。 (次のページへ続く) |