プログレッシヴ、テクノ、ハウス、エレクトロとあらゆるジャンルを縦横無尽に駆け巡るそのミックス・スタイルで、John Digweed や Hernan Cattanero といった名立たるビッグ・ネームたちからも絶賛を浴びている気鋭、 Paolo Mojo。彼のキャリアがスタートしたのは、'01年に制作したプロモーション用の2枚組ミックス CD を関係各所に送ったのがきっかけであった。同 CD を聴いたシーンの重鎮 Danny Tenaglia は、わざわざ Paolo に電話をかけて絶賛。そして、Lee Burridge や Craig Richards に至っては、自身のパーティーのウォームアップ DJ に彼を抜擢するなど、同 CD はこれ以上ないほどの好反応を得ることになるのであった。 その後、Entermusic とのアーティスト契約が成立。香港からブエノスアイレスまで、文字通り世界中のクラブからブッキングが舞い込む大成功を早くも手にした彼であったが、その後数年にわたり、スタジオでのプロダクション・ワークなどを学ぶことに専念することにする。そして、'03年に Music Is Freedom、'04年に Orc Music といった2つのレーベルをほぼ同時期に設立すると、再び自身も作品のリリースを開始するのであった。勢いに乗った彼の活躍は目覚しいものがあり、Luke Fair の "Original Series" や Renaissance からリリースされた Nic Fanciulli のコンピレーションにもその楽曲が収録されるなどして、DJ / プロデューサーとしてワールド・クラスの認知度を得ることに成功。そして、'06年には過去に James Holden、Chris Fortier、Desyn Masiello などが手掛け、参加したアーティストは必ずブレイクすると言われるほどリスナーから厚い信頼を受けているオーストラリアの名門レーベル EQ がリリースする人気コンピレーション・シリーズ "Balance" の第9作目を手掛けて話題を呼ぶ。Wighnomy Bros や Der Dritte Raum、Petter など旬のアーティストから、Underground Resistance や Inner City、Michel De Hey といったベテラン勢の楽曲、自身の楽曲をバランス良くミックスした同アルバムは、またも大きな話題を呼ぶこととなり、彼の地位を更に確かなものへと一歩押し上げたのであった。また同年には、'06年を象徴するアンセムとなったPerydaからの「1983」、'07年には、Pete Tongがホスト役を務めていた人気パーティー"Pure Pach"のそのシーズンのベスト・トラックに選ばれた「JMJ」と立て続けにスマッシュ・ヒットを記録。現在は'06年にスタートした自身のレーベル「Oosh」を中心に、C2r RecordsやGreat Stuff Recordings等の人気レーベルからもリリースを重ね、シーンを代表するトップクリエイターとして、その一身に注目を集めている。