80年代末、フリフリ袖の衣装を身にまとい、DJ(コモエスタ八重樫)+パーカッション(パラダイス山元、ゴンザレス鈴木)という世界で唯一のパノラマスタイルで活動。芝浦ゴールド、下北沢ZOOなどのクラブで盛り上がりまくる。
のちに作ったビッグバンドでは、一流のプレイヤーをバックに歌謡ショーやヌードダンサーを登場させ、平成時代に消えようとしていた昭和の香りを振りまきちらす。
その完成されたレトロ趣味と過激なパフォーマンスのライブは常に大ウケ状態。争奪戦の末、1991年「マンボ天国」で、禁断のレコード会社(!)「テイチク」からデビュー。踊り踊る踊れの68分13秒の夢のダンスアルバムは全25曲。収録曲「マンボのビート」はフジテレビ「ごきげんよう」のテーマソングとしておなじみとなったが、このアルバムのほかの楽曲も現在においてもTVやラジオで使われている。これは、10数年後も少しも古くならないマンボボーイズの楽曲の完成度の高さ、時代を超えた唯一無比なサウンドという事に他ならない証拠であろう。
1992年リリースされたセカンドアルバム「マンボスパイ2」は、架空のスパイ映画のサントラで、マンボスパイが世界を駆け巡るという設定。同年、「ロンドンクラブサーキットツアー」を実施。事前ブッキング1本という無謀さにも関わらず、話題を呼び、多数のクラブでプレイ。情報誌「タイムアウト」巻頭に写真入りで紹介。また、MTVの取材を受け、「パチンコ」のPVがローテーションに入るなど快挙を遂げる。
1993年 惜しまれつつ解散…………しかし、
2006年何故か、フジロックフェスティバルにて、14年ぶりに復活。若いミュージシャン、オーディエンスの中、ハイテンションなパフォーマンスを披露。
2007年、マンボ親父3人組は、禁断の「マンボ再復活」を果たすべく、本格的な活動を再開!福岡サンセット・ライブをはじめ、出演したイベント、夏フェスでは、老若男女問わず、"マンボ熱" に感染、会場は "総マンボ化" した。
そして、2008年初っ端から、マンボボーイズ活動再開を祝う、究極のマンボな3タイトルをリリース。パフォーマー、プロデューサー、DJと経験も積んで来た3人が再び集合した東京パノラママンボボーイズ。21世紀のマンボな展開に乞うご期待!