彼は1960年にマージーサイド州、マージー川の西側の町、ウォラシーで生まれる。
15歳の頃、友人デリック・ケルシーと共にDJを始め、1975年から1980年の間ニューブライトンのクラブで彼はジャズファンクレコードなどをプレイしていた。1980年、彼はWigan PierのレジデントDJとなり、熱心なオーディエンスに向け彼は新しい音への限界を押し広げる事に夢中だった。ソウルにエレクトロ要素を吹込み、ファンクとディスコを混合させ、ありとあらゆる人々を魅了するスタイル、エレクトロ・ファンクを確立させた。ハウスとテクノが標準化する以前の音楽想像の時代に、彼が創り上げた斬新な世界観は、現在のハウス、テクノ、ブレイクビーツ等のクラブ・ミュージックのスタイルの源と言えるだろう。それはイギリスのクラブ・ミュージックのカルチャーの未来が、ここで始まったと言える。
Wigan Pierでのレジデントを続けながら、マンチェスターで最も影響力のあるブラックミュージックの発信地、LegendのレジデントDJとしても働く事となるが、彼に与えられたのは客足の少ない水曜日だった。Peech Boys, D-Train and Afrika Bambaataaなど、新しい音楽を巧みなミックス技術で披露するスタイルは、瞬く間に話題となった。彼がレジデントを務めるLegend毎週水曜日は満員となり、1ブロックを一周するほどの行列にまで増え、特別なイヴェントには2倍の集客が来るほどの人気ぶりだった。彼のエレクトロ・ファンクの素晴らしき新世界は、主にマンチェスターのLegend、Wigan Pierをはじめ、Huddersfieldのthe Stars Bar、そしてPreston、Manchester、Birmingham、Leeds、Nottingham、Derby、Blackpool、 Wigan とSheffieldで開催した多くの昼間のイヴェントでも体験する事が出来た。
オーディエンスの中には、マンチェスターのピカデリー・ラジオでブラックミュージックの推進をしていたMike Shaftなどもいた。Mike Shaftはパーティーに感銘を受け、彼にラジオ用の複数のミックスを作るように依頼し、彼のミックスはすぐに人気番組となり、今現在も話題にあがるほどの影響力を持っている。当初はLegendのクラブの3台のターンテーブルを使用し、Revox B77のreel-to-reelで制作され、その後は、自宅で自身のDJスタジオを構築し、“The Greg Wilson Mix”とブラック・ミュージック・シーンでの評判が高くなり、愛されるようになったミックスをそこで録音した。彼はUKで3つのターンテーブルを同時に使用した最初期のDJの1人だろう。ピカデリーラジオでの番組ミックスは、彼の先駆者とダンス・ミュージックの伝説の地位を確立させた。そしてマンチェスターのラジオの歴史の中では、少なくとも最も録音されたミックスだったといえるだろう。
1983年、彼はマンチェスターに新しくオープンするクラブのレジデントDJとしての誘いをうける。そのクラブこそが、UKミュージックシーンの聖地であり、マンチェスター伝説のクラブHaciendaだ。Haciendaは、マッドチェスターサウンドのアイコン的存在であり、New Order, Happy Mandays等のスターバンドを生み出しただけでなく、セカンドサマーオブラブと呼ばれるムーブメントの火付け役となり、今日のクラブシーンに多大なる影響を与えたクラブの一つであることは間違いないだろう。
彼は伝説のクラブHaciendaで最初のダンス・ミュージックDJとしてレジデントDJとなり、彼がプレイする夜は、最先端の新しい音楽がかかるクラブとして評判を高めた。Haciendaの名声は広がり、1983年の12月にはGreg Wilsonのスクラッチ・ミキシングDJとBroken Glassのブレイクダンスをショーケースした、ライヴ・イヴェントをはじめる。ここではオーディエンスの目の前で、スクラッチ・ミキシング、グラフィーティ・アート、そして誰も忘れられない最も新鮮で尚且つ珍しい光景、頭でスピンしている男を見る事が出来た。ブレイクダンサーの時代が誕生したのだ。ヒップホップの噂が大きくなり、Greg WilsonはDJとしてだけではなく、その時代の最も有名なイギリスのブレイクダンス・クルーであったBroken Glassのマネージメント、制作もこなした。多くの人にとって、このライブ・イヴェントは初めてのヒップホップのライヴ経験であり、ニューヨークのヒップホップ・カルチャーをイギリスに到来を告げた決定的瞬間であった。未来のFatboy Slimはブライトンで、Hacienda Reviewツアーを見に行き、初めて目の前でスクラッチとブレイクダンスの衝撃を受け、‘The Hacienda Review’と共に次のギグに渡航、そのイヴェントのサウンド・チェック中、Greg Wilsonからスクラッチ作法を教わった。Norman CookはDJとしての初期に影響されたDJとして、Grandmaster Flashと共にGreg Wilsonの名をあげている。
DJ絶頂期にも拘らず、1984年に彼は新しい挑戦に直面するためDJを引退してしまう。Street Soundsからリリースされた 『UK Electro』のコンピレイションのプロデュースをはじめ、マンチェスターのカルト・グループRuthless Rap Assassinsのマネージメントとプロデュース、そして大ヒットとなったMastercutsの『Classic Electro Mastercuts』を監修/コンパイルした。彼の“Electro-Funkのパイオニア”の役割が多くの人に認知され、その後、様々な本と記事の出版により彼がイギリスのクラブ・カルチャーで極めて重要な役割を果たしてす人物として関心を高めた。エディット・マスターとしても広く知られる彼は、 Idjut Boysのレーベルからのリエディット作品をはじめ、数多くの作品を手掛けている。近年では、2005年にTirkより発表した彼のエディット・ワークをコンパイルしたCDアルバム『Credit To The Edit』、そして今年2008年には、20:20 Visionより発表したMix CD『Greg Wilson's 2020Vision』では、人気の20:20 Vision音源を用い、これらの作品はリエディット・カルチャーの源流を探る一枚としても楽しめるだろう。
20年にも及ぶ沈黙を破り、DJとしての復活を抵抗していた彼が2003年にDJとしての活動を再開する。2003年、12月20日のマンチェスターでのThe Music Is Betterのイヴェントが、クラブ・シーンを改める挑戦への実行に拍車がかかったのだ。この日は彼にとって真の転換点だったと言えるのだろう。
Greg Wilsonは現在、再度新しい音楽と新しい技術を活用し、古いものと共に合併させ、独自の並置を現在構築している。ラップトップ、ターンテーブル、その横には彼の信頼するRevox B77 reel-to-reelを武装し、沈金術的なミキシングと特注のエディットは、クラブのDJエクスペリアンズを二歩先へと進む。この20世紀という時代に未だRevoxのオープンリールデッキを駆使したエディティングの技は、正に匠の領域にあると言るのではないだろうか。