ニューヨークはHipHopの聖地サウスブロンクスに生まれ、幼稚園/小学校に入る以前の1973年には行く行くHipHopの先駆者達となる音楽を自然に聞き始め、10才には既にマイクを握り始めたPercee P。1988年には、親友のD-Niqueとのデビュー曲"Let The Homicides Begin" (Gotham City Records, 12" single)をリリース。その数年後には、当時シーンに絶大な影響力を持ったStretchとBobbitoのラジオ番組(WKCR)で独特の高速ラップでの彼のフリースタイルを披露することで、その後92年にメジャーレーベルAtlanticから"Lung Collapsing Lyrics" (Atlantic/Big Beat, 12" single)をリリースすることとなる[*現在では伝説的な高速ラップのマスターピース]。しかし、リリース後、シーンではベストラッパーの一人として注目され続けられるも、爆発的なブレイクをすることは無かった。
その後、90年代のほとんどをメッセンジャー(郵便配達)の仕事に従事し、ラッパーとしては時々インディーシングルをリリースしたり、ゲスト参加としてヴァースを披露するのみとなった。ラップゲームに対しての関心が失われかけていたPercee Pは、90年代後半にゲリラ・ディストリビューションキャンペーンを自ら実施し、ニューヨークの老舗レコードストア/レコードディストリビューション会社"FatBeatsRecords"の店頭で自身のCDを手売りし続けることによって、ローカルシーンで自分の名前を再び浸透させていくこととなった。
Fat Beats周辺でのPerceeの奮闘は、自然な流れでヒップホップコラボレイターの新世代であったAesop Rock、Jedi Mind Tricks、C-Rayz Walz、Wildchild, Edan、Jurassic 5などと知り合うこととなり、後にこれらのアーティストとコラボレートすることとなる。
その後、転機となったのがStones ThrowのPeanut Butter WolfとEgonがNYに定期的に訪れた際に、Percee Pのリリシズムに惹かれ、ロサンゼルスへ導くこことなり、2003年にはStones ThrowからのリリースとなったWildchildやJaylib(J Dilla x Madlib)のアルバムに参加することとなった。
Stones Throwからのデビュー作は、選び抜かれたゲスト出演、Chrome Childrenワールドツアー(Stones Throwとアメリカのアニメ番組のコラボレーションによるコンピレーションアルバム)、そして一握りのシングル曲のリリースという3年の時を経て、待望のデビューアルバム"Perseverance"([困難に負けない]忍耐、根気強さ)をレーベルメイトのMadlibが全曲プロデュースのもと、2007年にリリース。内容もアルバムの名前とスピリットを具体化するかのような、自身の今までのキャリアが存分に詰められた集大成となる作品となった。
http://www.stonesthrow.com/perceep