PheekことJean - patrice remillard (以下JP)は80年代後半、 acid houseに興味をいだき、90年代初期に、ケベック州、 シェブルックにて自身のラジオ番組で、DJのキャリアを開始する。
1997年、モントリオールでコンピュータサイエンスを勉強していた時、 JPは Mateo Murphyに会い、そして、音楽の好みが共通していることを見い出す。ライブパフォーマンス終了後、Gez Varley, Mateoと共に彼らのライブコンセプトを広めるプロジェクトを始める決意を固め、楽曲の作成・発信・ミキシングを行う基盤を共に造り上げる。 この頃、Richie Hawtin/PlastikmanのLiveを体験し、JPの音楽に対する今後の展望が変わり、以降、名義をPheekに変える。 Pheekにとって次に重要なターニングポイントはEloi Brunelleとの出会いによって、ネットレーベル
Epsilonlabと繋がりを持ったことである。PheekのEpsilonlabからの初めてのリリース2002年[Paysages Matriciels]。 それはPheekにとって決定的な成功となり、ケベックの栄誉ある音楽賞ADISQ music awardsにノミネートされる程であった。更に、M_nus がPheekのデモに気付き、 Richie HawtinがMagdaと共に彼の曲をDJで使い始めた。それにより、M_nusの[Minimise to Maximize]、 パリTelegraphの[Too Cool For School Pt.1]といったコンピレーションにトラックが収録され、Pheekは一躍世界的に知名度を上げる。Pheek自身が運営するレーベルArchipelにおいてはRyan Crosson、Tom Ellisといった優れたアーティスト達を紹介すると同時に自身の12インチリリースも積極的に展開。
2006年にはアルバム[En Legere Suspension]をリリース、2007年に来日、日本のパーティーフリーク達を唸らせるLiveを披露したことは記憶に新しい。