Lucianoの秘蔵っ子として数々の傑作を生み出しているエレクトロニック・ミュージック・シーンの気鋭Argenis Brito。ヴェネズエラのカラバスで産まれたArgenis Britoは幼少の頃より音楽的な教育を受け、13歳の時点で、幾つものポップ・グループに参加するなど早くから、その才能を発揮してきた。1985年には、彼のキャリアで初のバンドWAGを結成し、3年間で2枚のアルバムをリリース。ヴェネズエラではポップ・スターとして人気を博すことになる。その後、チリに移住するタイミングでAtom Heart のプロジェクトSe?or Coconutにヴォーカリストとして参加。メレンゲ、チャチャ、マンボといったラテン音楽の要素をエレクトロニック・ミュージックで表現したバンドは、ダンス・ミュージックの新境地を切り開き、鬼才Atom Heartの名を世界中に知らしめることになった。この出来事を機にArgenis Britoはエレクトロニック・ミュージックに一気に傾倒、早速、良き友人でもあったチリ人プロデューサーのPier BucciとMambotur名義でのプロジェクトを始動させる。マンボやサルサのダイナミックな要素をダビーなテック・サウンドに取り入れ、『Atina Latino』と『Al Frente』の2枚のオリジナル・アルバムを発表。ヨーロッパ全土に強烈なインパクトを与えた。2002年にはエレクトロニック・ミュージックの最前線であるドイツのベルリンへ移住。Lucianoと組んだMonne Automne、Jay HazeとのKrak Street Boys、The Basstards、Bearbackといったプロジェクト、SaminとのSamim vs. Argenixなど、数々のコラボレーションを積極的に展開し、その全てがクラブ・ヒットを記録している。ダンス・フロアから絶大な評価を得ていたArgenis Britoは2006年、満を持して本人名義での楽曲「Sentidos Opuestos」を、Luciano が主宰するCadenzaからEP『Micro Mundo』、『Imminent』を立て続けにリリース。ストレートなミニマル・トラックに南米出身らしいカラフルなサウンドを加えた楽曲達はRicardo VillalobosやLoco Diceから大絶賛され、一躍、トップ・アーティストの仲間入りを果たした。その後もMobilee Recordingsをはじめ、Multicolor Recordings,、Lo-Fi Recordings、Crosstown Rebels、Tuning Spork、Disko B、Essay、Karaoke Kalkといった多くのレーベルからクラブ・ヒットを生み出し続けている。