Victor Simonelliはニューヨークハウスを代表する大物の1人である。
ブルックリンで生まれ音楽的に影響を受けたVictor Simonelliは、ディスコミュージックからハウスミュージックという新しいサウンドに変わりつつある時代に育った。そして、そのドラマティックに交差した時代にこそ、彼の心や、彼が手掛けた素晴らしい楽曲の数々が息づいているとも言える。
幼少期からニューヨークのラジオ局のファンであった彼は、クラブに出入りするようになる随分前から、家にある大型のラジカセから聞こえてくるダンスミュージックを楽しんでいた。
彼は後にArthur BakerのShakedown Studiosのインターンとなったが、プロデューサーとして彼の名を一躍有名にした最初の作品は、ニューヨークの名門レーベルNu Groove Records(1992年にレーベル閉鎖)の勢いも衰えてきた1991年に同レーベルからGroove Committee名義でリリースした「I Want You To Know」であり、この曲はLarry Levanのヘヴィープレイも含め多くのDJ達がプレイするヒットとなった。
それ以降の彼の活躍は目覚ましく、同Groove Committee名義での「Dirty Games」(1992年)、「I Wanna Hold You」「You Need Someone」(1993年)、N.Y.'s Finest名義での「Do You Feel Me」(1993年)などのヒットを連発するが、1993年にSolution名義でリリースした「Feel So Right」の世界的なスマッシュヒットにより日本やヨーロッパをはじめ世界各国をDJプレイで訪れることとなり、大量の航空マイレージを貯める結果となった。
そうしてVictorはハウスプロデューサーとしての確固たる地位を獲得することとなったが、彼自身が影響を最も受けたのは、BrazeやSmack Productions、Paul Simpsonらの曲がプレイされた伝説のナイトクラブZanzibarでのTony HumphriesのDJプレイに代表されるニュージャージーサウンドだった。
VictorはNorthcott Productions(プロデューサーであるSilvio Tancrediが設立、後にTommy Mustoも参加)が運営するSub-Urban Recordsとも深い関わりを持つようになり、そこで彼は主にTommy Mustoとのコラボレーションにより数え切れないほどの名曲の数々を世に送り出し、その後はBasslineやBig Big Traxなど自身のレーベルを遂にスタートさせるに至った。
プロデューサー/コンポーザー/リミキサーとして彼の名がクレジットされている作品を幾つかざっと挙げれば、Johnny Dynell「Love Find A Way」、Miss Joi Cardwell「Goodbye」、Robert Aaron「Sax In The Ozone」、Club Z「I Wanna Be Someone」、Sabrynaah Pope「It Works For Me」、Colourblind「Nothing Better」、Connie Harvey「Thank You Lord」、Lovestation「Love Come Rescue Me」、Children Of The Underground「Oh Happy Day」、Federal Hill「I Have Something For You」「There's Got To Be A Way」、The Urban Blues Project「Deliver Me」、Community feat. Fonda Rae「Over Like A Fat Rat」など枚挙に暇がなく、熱心なハウスミュージックファンであれば思わず唸ってしまうような曲ばかりだ。
最近ではStellar RecordsとWest Side Recordsという2つのレーベルを新たに立ち上げ、自身の作品を相変わらず精力的に送り続けるVictor Simonelliである。