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CHASSOL

クリストフ・シャソル(Christophe Chassol)は、ピアニスト、作曲家、編曲家であるほか、フェニックス(Phoenix)や、セバスティアン・テリエ(Sébastien Tellier)などのミュージシャンのために音楽監督の仕事も手がける。そのカリスマ的魅力と才能により、どのジャンルにも属さない芸術作品を生み出している。シャソルの作品では、声や音楽や音や映像が、目と耳とで味わうオブジェクトという形式に統合されている。
こうして生まれたのが「ウルトラスコア」である。シャソルという人物について 1976年生まれのシャソルが初めて音楽に触れたのは4歳の時だった。父親がアマチュアのサックス奏者だったこの「黒人の少年」は、ほかの子どもたちが陸軍に入隊するのと同じように、音楽学校に入学した。音楽学校には16年在籍し、和声や音階や旋律を学んでいる。この経験が、その後の音楽活動において欠かすことのできない輝きをもたらすのである。まだ若くて、非常に感受性の強い年頃に、映画『タワーリング・インフェルノ』のサウンドトラックに大きな衝撃を受け、20歳で最初のアルバムを出すなど無理だとすぐに悟る。それは確かにそうだった。シャソルが最初に抱いた野心とは、映画音楽の作曲家になることだった。音と映像とをひそかに融合させ、ジェリー・ゴールドスミスや、ミシェル・マーニュや、クインシー・ジョーンズなどの伝統を受け継いだ、きわめてエレガントな映画音楽を生み出したいと考えていた。1990年代半ばのシャソルはほとんど無名の存在だった。シャソルは薄暗い映画館行きの汽車に跳び乗り、それから15年にわたって映画やテレビや広告の作曲の仕事に携わることになる。
コマーシャルのジングルを作曲するかたわら、1994年から2002年までの間にオーケストラの指揮もしている。その後、フェニックスや、セバスティアン・テリエの『ポリティクス(Politics)』(2004年)に参加するなどポピュラー音楽の世界に触れた。特に『ポリティクス』では、ジャン=ミシェル・バスキア似の若きシャソルは、ほとんどの曲のアレンジを担当している。
このような方向転換から、アヴァンギャルドと、シャソルが目指すものとの間での混乱が思いがけずもたらされた。「僕はミュージシャンとして、ポピュラー音楽の形をとった、真剣で誰からも受け入れられる音楽を作っている」とシャソルが語っているのは、ほかの多くのミュージシャンが何の苦労もなく活動している、ごく限られたニッチな市場から抜け出したいと考えているからだ。シャソルはポップカルチャーを熱狂に愛する一方で、(スティーヴ・ライヒやジョン・アダムズなどの)ミニマリストたちにも傾倒し、常識的なやり方からあえて外れようとするその手法は、『ノラ・シェリ(Nola Chérie)』(後半部分は、最初のアルバム『X-ピアノズ(X-Pianos)』のDVD特典だった)、『インディアモア(Indiamore)』(DVDとCDによる2番目のプロジェクト)、次回発売の『ビッグ・サン(Big Sun)』(三部作を締めくくるアルバムで2015年リリース予定)からなる「ウルトラスコア」三部作(映画の中の音の要素に基づいた「絶対映画音楽」)に表現されている。『ノラ・シェリ(Nola Chérie)』 『ノラ・シェリ』は、ニューオーリンズの現代美術館からの委託により、シャソルが初めて制作した映画である。
シャソルは、ニューオーリンズがライブ音楽の中心地であることを表現しようと考えた。そこでパレードや、学校や、プロとアマチュアのミュージシャンや、詩人の姿を撮影し、音や曲を録音した。ニューオーリンズに捧げるこの頌歌を、シャソルは「fanfharmonisation(きらびやかなハーモニー)」と呼んでいる。動機とイメージと繰り返し用いられることで、音楽と映画の原点への注意が促される。それはアンディ・ウォーホルの映画と、スティーヴ・ライヒの音楽を思い起こさせるだろう。『インディアモア(Indiamore)』 シャソルは、10代の時にインド音楽に初めて接した。ジョン・マクラフリン率いるバンド、シャクティのおかげで、インド音楽の旋法であるラーガや、リズム構造や、インドの楽器をジャズと融合させた音楽を耳にすることができた。
さらにそこから、ラヴィ・シャンカールや、ハリプラサド・チョウラシアや、神への讃歌も聴くようになった。 そして最近では、ルイ・マル(『インド幻想』)や、ヨハン・ファンデルコイケン(『井戸の上の眼』)の手がけたドキュメンタリー映画に感銘を受けたこともあり、『ノラ・シェリ』でニューオーリンズのハーモナイズに成功したのに続き、今度はインド北部の生活、音、動機、雑音、交通の音をハーモナイズさせようと自然に考えるようになった。
シャソルは、インドの古都であるコルカタやヴァーラーナシーを訪れ、シタールや打楽器の奏者、歌手、ダンサー、子どもたち、ガンジス川、街や渾沌とした交通の様子を撮影した。『インディアモア』は全体を通じて4種類のテンポで演奏されており、同じ調性と和声とによる、温かみのあるポピュラー音楽の一連のコードが、タンプーラが奏でる単一の通奏低音に基づくインドのモーダルな音楽と結びついている。 これらの映像を繰り返し、これらの音を曲の素材として扱い、演者の語りを、ハーモニーに対するシャソル自身の執着と調和させることで、ドキュメンタリーの手法を純粋な音楽作品に見事にブレンドさせた。『ビッグ・サン(Big Sun)』 『ビッグ・サン』は、クリストフ・シャソルの3番目となるアルバムである。クレオール語が交わされるニューオーリンズで始まり(『ノラ・シェリ』、2011年)、インドへの道を追い求めた(『インディアモア』、2013年)のに続く、「ウルトラスコア」(シャソルが編み出した、実生活をハーモナイズさせる、「今この場で」という手法)三部作の最後を飾るすばらしい作品である。 2014年3月、クリストフ・シャソルは実家のあるマルティニーク島へと旅立った。純粋に個人的なものから、まったくのパノラマ的なものに至るまで、シャソルが表現したいと夢見ていたすべてのことが凝縮された西インド諸島の島。サウンドミキサーのマリ=フランス・バリエ、サウンドエンジニアのジョアン・ルヴァスールとの3人で協力し、驚くような出会い、日常生活の一コマ、カーニヴァルの様子など、数多くの撮影と録音を行なった。こうして出来上がったドキュメンタリーが、やがて『ビッグ・サン』の鋳型となるのである。
フランスに帰国後、シャソルは作曲、編集、リハーサルにとりかかり、ついに27トラック、70分間にわたる西インド諸島の旅の記録が完成された。『ビッグ・サン』では、鳥のさえずりや、ピポ・ゲルトルド(Pipo Gertrude)の口笛、ジョビ・ベルナベ(Joby Bernabés)による詩と、山で暮らす女性とのないしょ話、シシド(Sissido)とサマク(Samak)のラップ、マリオ・マッセ(Mario Masse)のフルート、フォール・ド・フランス湾のカーニヴァル、コンク貝の響き、海の音、ドミノ遊びの大騒ぎによって織りなされた世界が表現されている。また「トラスの道(La Route de la Trace)」や「ライヒとダーウィン(Reich & Darwin)」などの作品には、道を曲がった先に突然現れて、思わず息を呑んでしまう風景のようなすばらしさがある。