4/29 (水)
どれほどの言葉でこの喜びを表せばいいだろう? 最高と言う言葉は、この先もっと素晴らしい状況だって我々みんなできっと起こす事ができるはずだと信じているから最も的確なのかどうか分からないけど、とにかく、とにかくこの日は本当に最高の1日だった。関わってくれた人には本当に感謝の言葉しか出ない。会場に実際に来てくれた人を始めとするみんなのサポートがあったからあの日が成立した。
今実はヨーロッパに居る。今の言葉は日本を出る2日か前に朝まさに目覚めようとしたかという瞬間に頭に鮮明にいきなり浮かんだ文章で今回のこのレポートのスタートに相応しいと思い書き留めた。
あの日から既にもう3週間半が経っている。今思うとホント夢のような1日だったなとさえ思える。ホントありきたりの言葉になってしまうしそれを何回も繰り返す事になるんだけど、とにかくあの日のパーティーは最高の一言だった。
パーティーが終わった直後のその素直な興奮を残した自分のSNSのコメントがあるので、ここに載せておく。
(4/5 RAHA Twitterより引用)
「短くしか言えないけどリキッド本当に最高だった。昨日のパーティーはこの先永久に忘れる事はないだろうな。あれが[a:rpia:r]。この夜は来れなかった人も含めて協力してくれた激たくさんの人本当にありがとう! そして昨日現場に遊びに来てた人、俺ら本当にラッキーだったな!!:))」
(4/6 RAHA Facebookより引用)
【4/4(土) RPR SOUNDSYSTEM @LIQUIDROOM】
土曜日のRPR SOUNDSYSTEM @LIQUIDROOM、本当にすばらしいパーティーになりました。遊びに来てくれた方はもちろん、当日用事等があって来れなかったけれども様々な面で協力して頂いた多方面にわたる実に数多くの方々、みなさんに頂いたこの力強い協力があってこのパーティーは最高の結果を出す事ができました。本当にありがとうございました。
パーティーを少しだけ報告します。まず、オープンする前からあんなに人が外で待ってるパーティーとか、少なくとも俺の記憶にはあんまない。
そしてRPRはその人達の期待にしっかりと応えていた。オープン直後からのあのフロアーの感じ、そして30分から1時間後にはもうフロアーはほぼ人で埋まってしまっていた。今日ここに来ている人達がファッションではなく本当にサウンドを聴きに来てるのがよく分かり、本当に心地よかったね。
とにかく彼らのプレイは本当によかったです。前々から言っていたように、一晩のどの時間を切り取っても素晴らしい具合になってた。3人の色が本当にうまくmixされ、時には1曲交代、時には2曲、はては20分ぐらい一人でやってたりとか、自由な感じだったなあ。俺の意見だけど、b2Bって本当に難しいんだよ。日本で本当にいいb2Bなんて正直なところごく数回も聞いた事ない。彼らの場合は、プライベートでのあの3人の具合から当日あそこに居る彼らのその感じから、もう3人の中での信頼感、意思の疎通やら空間の感覚や色んな価値観・概念の共有さ加減とかが別次元でもう何年もをかけて構築されてきてる上に成り立ってるからやはり別格。
それにしてもあの延々と永久に続くかと思わせるようなグルーブ、やはり彼ら一番好きだなあと再認識させられる。
俺彼らの横にずっと居たり、他のセクションを回ったりと忙しくしてたけど、時間を見つけてなるべくフロアーの中に居るようにもしてた。前から後ろまで全部回ったよ。それで、フロアーの中のお客さん、通常のパーティーでありがちなベチャベチャ喋ってる人がほぼ居ないんだよ。本当に。音楽に対しての、すごくいい客層だったと思う。
あと、俺この日セキュリティーの人が持っているような強い光をチカチカさせるやつを持ってた。なんのためかと言うと、ステージから見ててカメラのフラッシュを焚いて撮影する人をやめるように注意するための用意だった。それが、全ての時間ステージに居たわけではないけど、それでも実際にステージから見ててフラッシュが焚かれたのはたった一度きりだった。ああ、俺がIBIZA through RAHA's eyesとかでその事数回書いてるのとかも少しずついい効果として現れてきてるとしたらあれもやってる甲斐があるなあと、なんかシーンのマナーの進歩がすごく感じられてとても嬉しかった。2、3年前とかだったらあれフラッシュばちばちだった感じだもんね。まあパーティーにもよるんだろうけどね。そう言った点を見てもホントいいお客さんだったよ、土曜日は。
1FのLoung areaもなんか本当にいい感じだったし、さらには2Fのもう一つのフロアーも終止すっごくいい感じだったね。この日出演してた日本人の3人のアーティスト、すっごくいい仕事をしてたと思う。いやあやっぱ間違いなかったな。2Fもいつ行ってもホント楽しかったもんね。
そう、この日途中から俺が感じてた事を、同じ事を20人ぐらいの人が言ってた。「なんか今日、昔のあの超面白かった頃の新宿リキッドみたいな感じがするんだけど」って。何なんだろうね、あれは?本当にその感じだったね。あの感覚、新宿リキッドなくなって以来あまり感じた事なかった感覚だね。これすごくいい意味だよ。
特に俺の笑いがもう止まらなくなってたのは最後の1時間ぐらい、あれ特にヤバ過ぎたね。言ってた通り最後の2時間ぐらい特に完全にマジックがかかって神の感じになってたね。フロアーが。あれは素晴らしかった。
ああ、もうこのパーティーの中身の事に関しては書き出すと終わりそうにないので、続きともっと詳しくは1, 2週間後におそらくアップできるかな~と思う前述のclubberia『IBIZA through RAHA's eyes』に書く事にするからそっちの方、是非読んで下さい。出来上がったらここでお知らせするので。
彼ら3人も今回のパーティー、本当に満足してくれました。色んな事はRAHA's eyesに書くからここでは省略するけど、パーティー前にRHADOOが "If people are happy, we are happy." って言ったのが印象的だった。そしてその通りになったからね。そこに居たみんながそれはもう本当にhappyだったのは彼らにはよーく分かってる。
最後に、この日を迎えるに当たって。。
今回、東京でも他のパーティーの仲間達の中に、このパーティーのフライヤー・ポスターの外販の手伝いをしてくれお店を足しげく回ってくれた人達がいます。全国にわたる地方の知り合いの方達にも、その各地域へのフライヤー配布の手助け等もお願いし、みなさんがそれを本当に快く受けて手伝って下さいました。
いつも遊びに行かせてもらっているみんなのよく知るクラブでは、今回の内容の良さとシーンへの意義の大きさに賛同してくれフライヤーを撒くのにも目をつぶってくれるだけでなく逆にその場に居たお客さん達に、このパーティーは絶対行かなきゃダメだよ!と勧めてくれたりまでしてくれてたんです。
このfacebook, twitter等でも、この日のイベントページのものすごい数のshareをしてもらいました。
開催を許可してくれた今回の大きなキーの一つ「LIQUIDROOM」は、最初から、それは最大級の協力をして頂きました。
挙げていけば本当に言い切れないほどの色んな人達に今回大きなサポートをしてもらってこのパーティーが成立しました。
何度にもなってしまいますが、みなさん、本当に心からの感謝を改めてお伝えさせて頂きたいと思います。本当にありがとうございました。
とにかくこの日のRPR、最高でした!!!
RPRのご三方、今回3人揃ってこの日本に来てくれて本当にありがとう。やっぱりあなた方、BESTだわ!
It was a really amazing party. There were already long queue before club opened(!). So many people came from early time and dance floor were almost full after 1 hour. And it continued till the end. The vibes was super in the floor/club and all the people were smiling and dancing all night. What a night!!
Music was nothing to say of course, RPR was RPR!! and people knew how RPR is!!! This is my opinion but In this country, almost 100% party that was. As I had been saying to the people before the party, it became a really historical party:))
Thanks a lot everyone in this time. So many friends/people supported this party. Really much appreciated. We Japanese underground music scene could have a very big step!!
Huge thanks to RPR to come to Japan this time!! You guys are the BEST!!!
うん、これはもう自分で100回ぐらいは読んでるけど、まあほぼ言いたい事はこれで言えてる。
彼らや日本人の3DJのみんながどんな感じのプレイだったかとかは、俺の仲間の俺よりももっと音楽を説明できてる専門家がResident Advisorで速攻Review書いてくれたから、それ読んでもらうといいかもしれないと思ったので載せとくね。ありがたい事にいいReview書いてくれたから是非こちらも読んでもらいたい。 http://jp.residentadvisor.net/review-view.aspx?id=16736
また、そこにある評価 4.6/5 て言うのは驚いた。世界の他の名だたる良さげなパーティーの点数と比べても抜けてる評価をしてもらえるような1日だったんだな、と後からまたいくらでもあの興奮が蘇る感じだ。
また、同じRAでこの「Event Review」の他に
「Photo Gallery」http://www.residentadvisor.net/photo-gallery.aspx?set=40570
またこのclubberiaではすでに
「Reports」http://www.clubberia.com/ja/reports/2142-RPR-SOUNDSYSTEM/
でいい写真がいっぱい掲載されているので併せてチェックしてもらいたい。
どちらも僕らのオフィシャルからのいい写真を提供してアップされているので、当日の写真に関してはこのRAHA's eyesでこの後載せている写真達の多くがそれらと結構被る部分が出てしまうと思うけどご容赦下さいね。いい写真だけどこにも出さないでこっそりここのために温存しておく、と言う事はできなかったのでwww
この僕のコラムでは、もう少しだけ、いわゆる僕だけしか知り得ない話しとか彼らとのパーティー前、後も含めたやり取りを通しての事実や感じた事などを紹介しておこうと思います。そう言った意味ではここのコラムでの内容は唯一無二だからね :)
いずれにしてもパーティーのレポートと言うよりも、この一大イベントをやるにあたっての数ヶ月を通しての自分の事、俺の思った事、考えとかをたくさん書く事になると思うのでその点よろしく。
また、今日は実は4/29。ようやくあの歴史的な日を振り返る時間を作れたので、昨日今日と必死に書いてる。日本を出たのが4/15。4/4のパーティー終わって最後の一人Pedroを送り出したのが4/8で、それからこのビッグパーティーの多方面に亘る最終着地作業から何から何から、プライベートの他の事や、同時進行の他の作業も山ほどあったし(ちなみに次回のBeat In Meは6/6なのでそれのセッティングも)で日本に居る間に終わらせとかなくちゃいけない事あれやこれや。。。既に身はパンク状態。だけどもこの後で書くけど、どうしても4/15にBerlinに居なくちゃいけない事があったのでとにかく死ぬ気でそのほぼ全てを終わらせて日本を出た。あれはもう俺でなくては出来得ない。ただ一つこのページだけを残して他は全て渡欧までにやり終えた。日本出る前に書き上げたかったけどあれはムリだった。時間なさ過ぎで書けるほどこのコラムは簡単じゃないし時間も細切れじゃなくまとめて膨大に取れる時じゃないといい文章にならないのもう分かってるから。(実際今回これ、この月、火、水と3日かかった)
と言う事でヨーロッパに持ち越してた今回のこの4/4のレポート、今なんとかブカレストで1, 2日絞り出せてるので必死に書いてる。でもホントは昨日も今日も、入るアポイント断りまくってる状態で、でも全部そうするわけにもいかずさすがに時間ないので、今回はそこまで文章ちゃんと精密に書けない。文章の推敲もいつもほどちゃんとはできない。また長くも書かないつもりで書き始めてる。文章いつもほどクオリティーでないし粗くて流れももうメチェクチャになるけど承知しておくれ。
これは一番最初にこのパーティーをやるって一般に公表した時の仮フライヤー。全てはここから始まったな。
2/7のBeat In Meで初めて人に配り出した。今でもその時フライヤー見たみんなの反応思い出す。全員が興奮したね。それ見てて俺もどんどん興奮していったの覚えてるよ。
本フライヤー表
本フライヤー裏
フライヤーをどう作るか、そのバランスは大事だった。俺らの先の目標はね、この裏の色んな説明文がなくなっても同じ数の人が集まるようなシーンにできる事なんだよ。今はそれやってもまだムリだ。そう判断してるからまあ最低限&最大限ギリの文字量を入れてる。バランスは大正解だったように感じる。
ポスター
今回のフライヤー全て、俺はすごく良かったと思ってる。これ以上の情報量載せたらもうダメだし、逆にこれ以下の情報にしてたら同じ成功は導けなかったように感じている。この素晴らしいデザインはKikiorixの手によるもの。今回FBなどのSNSやclubberiaを始めとするクラブ情報サイトへのバナーなどを含めて全部で25コぐらいのバナーを全て手がけたのが彼だ。
そう、その正規フライヤーを街に出す前にまずほんとスタートの一大イベント、一斉情報解禁日をBeat In Me feat. Baracを無事終えてスッキリした後の2/10(火) 正午に定めた。
clubberia, RA, iFLYER, Higher Frequency, BANANA各社から定時に開催情報を発表。周りの身近な人はその前週2/7のBIMで仮フライヤーを既に配っていて既に知っていたり、またその前の2/5にはBaracと共に出演したDOMMUNEにおいて4/4にすごい事をやる、と少しずつ匂わすようにしていたからシーン的に徐々にざわつく序曲は既に始まっていたのだが、一般の世の中的には正式な意味でこれが本当の初めてキッチリ本当の情報を目にした機会。この時のあの数時間の瞬間的なインパクトは正直凄かった。痛快と言えた。
遡って、彼らRPR3人を呼ぶ事をイメージし始めたのは1年半前になる。その間すでにRhadoo, Petreは単独でそれぞれ行う事ができていた。国内外でゆっくりと時間をかけ色々な事を見計らった。当時シーンの真ん中に居るこれ読んでるような多くの人は別として、「Rhadoo」「Petre Inspirescu」「Raresh」の名前は分かっていても、[a:rpia:r] の読み方が分からない人や、いやいやここだけの話しだが酷い人になるとオーガナイザーであるにも関わらず「ラハドゥーかっこいいよね」などと平気で言っている人も周りにいて泣きたくなった事もあった(事実)。ああこれが日本なんだなあと正直ずっと思っていた。女子大生のお姉ちゃんなら全然分かるけど、クラブ関係者でもそういう人が居ちゃうんだなあ、と。。
ましてやRPR SOUNDSYSTEMって名前はパーティー告知始める前みんなまだ耳慣れなかった言葉かもと思う。それもそうだ。Pedroに聞くと、彼ら3人でやる事はあってもこの名前出した形でやるのは1年のうち5回、多くて6回だけだって。世界でも本当に最強且つクールなパーティー/フェスの時に限られてた。そりゃ露出も少ないよ。知ってるような人でさえ俺がこの名前出した時にハテナ?って反応が多かったのはそれより前から分かってた。
そんな状況でこのRPR SOUNDSYSTEMを日本でやるのは相当勇気は要った。正直バジェットだって半端じゃない。彼ら3人のスケジュールだって、正直合わせるの実質1年半かかったと言っていいだろう。そしてただやるだけだったら別に頑張ればできる。あ、これは彼らが来てくれる事になってからの前提の話しだけど。やると言う事実も大事だけど、本当に大事なのはそれをキッチリといい形で成功させる事。これが「このパーティーを開催する事ができた!」と同じぐらい、そして不可欠な非常に大事な事だと強く思っていた。この3人が合体した形での「RPR SOUNDSYSTEM」は言ってみればこの手のシーンの世界のこれ以上はないって言う最上位のコンテンツ。それが大盛り上がりしなかったら、この日本のアンダーグラウンドシーンはじゃあもうどうすればいいんだ?って事にもなりかねない。
プラス、彼ら3人それぞれ、世界のミニマルのシーンではスーパースターだ。だがそこにあるブッキングの難しさは、ビッグネームだから3人揃えるのが難しい、なんていう単純な理由じゃない。その音楽はもちろん、それ以外の見え方や色んな事に対して細部までこだわり抜くアーティストの筆頭である彼らであるから、本当に彼ら自身が出演してもいいと妥協なく認めてくれるものにしかRPRで出る事はないと言うのは、前々から世界の関係者にも言われてるから分かっていた。あの彼らがそう言った事に関して妥協とかする訳が1mmもないのはさすがにだいぶ前からもう理解していた。その彼らが認めてくれてオッケーの判断してくれ3人でやって来てくれる。これは、大成功以外の結果を出すなんて事はもう決してしてはいけないと言う固い決意を固めた。
少しずつ考え始めていた。いつが最もふさわしい "その時" なのか?
やるからには必ず最高の結果を出さなければいけない。人はやっぱりすごく入れなくちゃいけない。これは絶対にだ。でもここで難しいのは、ただ集客人数が多い事を彼らとの間での事に関しては "成功" とは呼ぶ事はできない。人数が増えて質の悪いそれはむしろ "失敗" と言う言葉で呼ばれるのが特に彼らとの間の世界だ。最高の結果と言うのは、ただ人が爆発的に入ったからそう言うのではなく、でも明らかにいつもよりも抜群に多くのお客さんが、ただ人すごく多かったねではなく、客層も良かったしいやあとにかく本当に素晴らし過ぎる一夜だったね、とみんなが心から熱狂しその思いを心に持って帰りまた口々に語り継ぐというようなパーティーにしなくちゃいけなかった。RPRをやるってのはそう言う事だと思ってた。
出した結論は今年の春だった。
日本のシーンにとってRPRを呼ぶのに一番ふさわしい、何が何でもやらなくちゃいけない時、それがこの春だと言う事は僕が感覚で感じていた。理由はうまく言えないが世界と日本を常に同時にオンタイムで見続けていて間違いない感覚だと思えていたし、やり始めてからのみんなとの会話でも、それが本当にこの4月がまさに絶妙、right timingだって事が確信されていった。来年じゃ遅かった。それはみんな同じ事言う。今年の年末とかでもギリどうだったかな。そう、この春に日本でRPR SOUNDSYSTEMを実現させる必要があると痛切に思っていた。
階段は正しく上る必要がある。ただ上るだけだったらすっ飛ばしても何でも上れれば、しかも早く上れるに超した事ない場合もあるんだろうけど、この間違いのない正しい順序・ステップ・時系列・それに要する時間をそれぞれ伴った階段の上がり方が、音楽だけでないいわゆるどの "シーン" にも非常に大切な事だと言うのは、これまでの自分が実体験もして来た様々なシーンの成長具合の歴史を見て間違いがないのは分かってる。100%間違いがない。かけるべき必要なステップを飛ばしてラクをしたり、単に時の幸運がその時の色んなファクターで後押しをしてくれた事によって何だか急激に身の丈以上にシーンが成長したり潤ったりしてしまった場合、本当にいい事はない。自分のためにでなく、シーンそのものの中身の質と、その一過性の世の気まぐれな後押しが終わった後の空洞感と言うか色んな事が伴わないで成長してしまった感と言うか、そういうので後でホントに苦労する事になる。必要以上のtoo muchな速度での成長は、必要数以上の一般の本当の興味がある訳ではないようなその時の流行りのもので騒ぎたいだけのような人達も数多く引き入れてしまうから。引き入れるのはムチャクチャ重要な事でしなくちゃいけない事だけども、どのようなふうに引き入れていくかはそれ以上にもっと重要。その事をダンサーのシーンでもど真ん中で感じる部分が非常に多くありもしたので、それだけじゃないけど特に自分はよく分かる。
そして逆に、とにかく頑張って今このステップを上がる必要があるって言うその時に渾身の力を出してステップを上がる事をせずに同じ高さの一歩をただ繰り返すだけに終始した場合、本当はもっと伸びるはずだったものも機を失って伸びる事を逸してしまうと言う事もまた恐ろしいほど明確にあると言う事を俺は知っている。
だからとにかく理想的な速度と踏むべき段階の正しい通過を心がけて進んでいく事がどんな場合でも本当に大切になる。そして世界との進化度・シーンの規模・現状等の大きな視野でのバランスで見て、この春に日本でRPR SOUNDSYSTEMの来日公演を実現させる事はとにかく本当に正しい絶妙なタイミングと言えた。
あとはその正しい判断の行動を、いかに素晴らしい成功へとしっかり導き通せるかだった。
先に言ったように1年半ぐらい前から考え出した。出した結論は今年の春だった。3月末か4月頭。桜の時だ。
そしてチームを決めて自分の中でも本当に腹をくくって、去年の夏に彼らにちゃんと話して、よしやろう、って賛成してもらえた時、本当に心から嬉しかった。認めてもらえた事が何より嬉しかった。自分と彼らの時間はそう長くはまだないけどここまでの彼らとの間の仕事ぶりとそして日本のシーンそのものを認めてくれた事が。イビサでの出来事だった。去年のイビサでは何度個別での話し合いを持っただろう?
だが同時に本当に大きなものを背負ってるんだと言う事をその日から忘れた時は一瞬もない。
RPRを日本でやれる。
それを彼らに任された。この夜をしっかりとした形で大成功させれば日本のシーンは1段階じゃない、2段階上がる、と思ってた。その2って言うのはさっき言ったすっ飛ばすとは違ういい意味での2。
ほんのちょっと脇に逸れるかもしれないが、これは日本だけではないだろうが、ダンスミュージックシーンと言うのは広い意味を表すと思っている。極端に言うと例えばEDMだなんだと悪口を言う人が多いけど、俺は別にあれ俺どうでもいいじゃんと昔から思ってる。むしろEDM流行ってくれてありがたいと思ってる。なぜかと言うと、多分ここ多くの人がよく言ってる事と違う。みんながよく言ってるのは、そこから色んな利益がこぼれてダンスシーンの中の他のジャンルにも循環するからいいんだよ、などと言う事でたしかにそれも一理あるんだけど、俺の思いはもっと単純なところにあって、本当の純度の高いアンダーグラウンドミュージックのシーンにあまり訳分からんチャラい人は来て欲しくないから、EDMがある事でそこら辺の境目の人はどんどんそっち行ってくれてこっちには目もくれないでくれるからいいな、と言うシンプル且つストレートな理由だ。俺実は結構クールな合理的な考えもするから、そういう感じのは俺の周りには要らない。まだ全然理解の向こう側に居過ぎる人、そんでもってこういうシーンでの遊び方・振る舞い方分かってない人はある程度最低限以上分かってから初めて来てくれればいい、そうでなければシーン人増えなくてむしろ大丈夫だから、って言うタイプ。でないとシーンが変に混ざる。純度も落ちる。それは望まない。だから例えばEDMとか、あってくれて逆に本当にありがとうっていつも感謝してるぐらいだ。応援してるw いやー微妙だろうって言う真ん中の人ほぼみんなそっち行ってくれるからね。化け切ってないけどなんか本当にカッコいいと思えて自分もそのシーンのマナーの人になりたいなって男でも女でも本当に感じてる人にはすごくwelcomeな気持ちは持ちたいけども。そうでなさ過ぎる人、これただの俺個人の考えだけど、要らない。
話しが言おうとしてた世界観の中の話しからだいぶ左右にずれてしまう話しになっちゃったけどもう少し範囲を狭めた中に話しを戻して、このアンダーグラウンドシーンとみんなが言う中でも、さっき例に挙げたように、見てると日本は色んなクラブも混在して特に色んなバランス感の人が居るなと感じてるとこある。今回このRPRを本当にいい形で成功させる事は、この日本のダンスミュージックシーンの中でも、特に本当に純粋で良質なアンダーグラウンドのコアな部分を、いいベクトルでいびつでないいい形で広げていく事に繋がるはずだ、と思っていた。
一方で、もしこの開催がなんかそこそこで今イチな感じのものに終わってしまったら。。。大袈裟かもしれないがある意味日本のアンダーグラウンドシーンが止まる、とさえ思っていた。止まる、と言うか止めてしまう、と言うか。RPRは世界でもこのシーンでは現在最強のコンテンツと言える。いやあれだって、と言う人中には居るかもしれないがまあそれはちょっと置いといて付き合ってくれ。それをやっていい結果出なかったら、、それはヤバいよ。
俺は最初からメチャクチャそう思ってた。そして、やる事にいざなって今回本当にたくさんの人達・仲間達と話しをしたけど、実に多くの分かってる人達が全く同じ事を口にした。
この日本で多くの人が開催にあたって同じ事を感じてたのが分かった。俺達はとにかく必死だった。
そして、なんと多くの仲間達が無償に近い形での協力を申し出てくれた事か。そういう人達はみんな、この開催の意味を分かってた。何人もの仲間に言われた。このパーティーはアンダーグラウンドシーン全員で成功させなくちゃいけない、と。RPRを日本でやるって事はそう言う事だと。大袈裟でなく、日本のシーンの先行きがある意味かかってるなと、それはず~っと肩に乗っていた。それは決して重たく感じなくて済むものではなかった。でもその責任感の中でここ数ヶ月ずっと生きてきたのは、重くはあったけどこれ以上ないほど充実していた。昔からそういうのを背負ってやるのには慣れているから大変なのは大丈夫。でも精神的・体力的にやっぱムチャクチャ疲れた、さすがに。大変だった。
正規のオーガナイザースタッフとして一緒に今回やったのは俺、テッペイ、そしてBeat In Meも一緒にやっているPI-GEの3人。コアは少人数でさすがに大変だった。でもものすごく助けてくれるもうスタッフのような人達はたくさん居た。シーン全体のクラブで会う若者達一人一人が今回はパーティーを押し上げてくれるスタッフにさえなってくれていた。一人一人と今回の意味・趣旨とかを本当に丁寧に話す事をした。うん、今回本当に多くの人と真摯に意図を伝えたくすごく多くの時間喋ったなあ。最初そこまで分かっていない人でもしばらくすると本当によく理解してくれた。それぞれのその一人ずつのあいつらが、何人の友達やその俺らでは世代自体も違い過ぎて俺らの言葉では伝え切れない彼らの周りのフォロアーの人達に今回のこの素晴らしさを伝えてくれた事か。運営してるのは実質たった3人。だけども、シーン全体がサポーターになってくれてた。ものすごく力強くて、利益じゃなくて本心からのサポーターに。
近い仲間達の中には、これは本当にいいパーティーだしさっき書いたようにシーン的にも絶対に盛り上がらなきゃいけない1日だから全然協力するよ、と言って自分達のパーティーでもないのにフライヤーやポスターの店置き回ってくれた人達も居る。
パーティーの10日ほど前に、FacebookのこのEvent Pageの一斉shareを、一体何人の人がやってくれた事だろう?みんなこのアーティストに賛同してくれて、中には知らない人達もいっぱい居た。
今回のこのRPR SOUNDSYSTEM @LIQUIDROOMは、ちょっと書いただけでもこんなように、本当にビックリするぐらいの多くの人々の協力の上に成り立った日だと言うのを、まずみんな知っていて欲しい。月並みな言葉だけど、本当に心から嬉しかったし感謝してるし、何より勇気付けられた。みんな本当にありがとう。これは目に見えてる友達、もちろん。プラス目に見えてない人達も今回ものすごくサポートしてくれてるはずだと思う。みんなのそう言った思いの結晶も、あの日のあの特別な空気の空間に繋がっている重要なファクターだったのは間違いのないところだ。
今回色々模索したが最終的にやはり日本国内で東京1公演での開催に漕ぎ着けさせてもらった。それにあたって、北海道から九州の先まで(沖縄の人知り合い居なかったのでごめんなさい)、各地方の方達にその地方でのフライヤー・ポスターの配布・掲示をお願いして協力してもらった。ホントみなさんビックリするほど快く協力して頂いたからそのみんなには本当に頭が上がらない。各地のみなさん、ありがとうございました。そしてRPR、この人達やっぱりすごいとこう言った色んなやり取りを通してものすごく実感した。
RPRの彼らとはもっと前から徐々に話しをし出していって、そしていよいよ大詰め。去年の9月、イビサで完全に話しを決めに行く前に、日本国内でまとめなくてはどうしてもいけない要件は全てまとめ切った。最も大きなfactorはLIQUIDROOMで開催ができるかどうかだった。これが自分の中でも今回の開催に当たっての3大必須条件があるとするとその一つだった。彼らを迎えるのには、やはり国内屈指のサウンドシステムのところでやらないと本心では互いに喜び合えない。また、RPRだからこそ、集まるお客さん達は全員が耳の肥えた人達ばかり。そういった人達も完全に納得させられて、そしてこの超特別なパーティーを更に飛躍的にプレミアムなものにするのはこのLIQUIDROOMでの開催と言うfactorが欠かせないところであった。
果たしてLIQUIDROOMさんは第1回目の話し合いから、「これはやりますよ、絶対やりましょう」みたいな答えをすぐに用意してもらえた。屈指のプロの方達だからこんな言い方は失礼になるかもしれないが、「さすが分かってらっしゃる」と心の中で祝杯を上げた。正直、もしLIQUIDROOMが何らかの他の理由ででも何でもこの春に開催をさせもらえないと言う事態が起きていたら、おそらくこのパーティー自体行えなかったかもしれないと思っている。感謝以外にはない。
ああ、結局なんかものすごく書いてる、俺。。しかもまだパーティーの当日の事、全然レポートしてないのになんか前振りがものすごくなっちゃってる。
申し訳ない。。
俺ももうあまり時間がない。そろそろ行こうか。
ともかくこのようにものすごくものすごく多くの人達によって支えられてこのパーティーの準備は進められた。俺も11/29のBeat In MeでのPetreをした後は、正直リラックスに宛てる以外の時間は全ての時間をこれに宛てる覚悟でやった。
ここに来るまで何度もマジかよ?って事も裏で起こっていた。その度何とか切り抜け、策を打ち、大協力者の多大なる協力ももらえて乗り越えて来る事ができた。運も味方してくれたんだろう。
運とか天の事を言うと、俺は天みたいなものなのか神と言う言葉なのか分からないけど、とにかくその手の何かが存在する事は自分の人生の経験で分かっている。今回は天が最初から味方していたのは知っていた。
ほっといても4.4なんて日にちにちゃんとなってるからね。こう言う時って、ホントにそう言う事なんだよ。
そしていよいよ時が来た。まず3人の先陣を切って、Pedroがツアー先のNYから直接乗り込んで来た。
3/30。この日の成田はごった返していた。
思惑通りちょうど素晴らしい桜満開花見の時。この日はPedroと2人で、土曜日にはあの3人にこの桜を見せる事ができて本当によかった。Pedroこの日、特にこの目黒川の川面いっぱいに浮かんだ花びらが流れて行くその幻想的な光景に感無量だった。
西麻布のこの鶏屋は味・素材はもちろんその雰囲気がヒットだった。
色々サポートしてくれた友人と
LIQUIDROOMも全面協力してくれた。そこかしこにポスターがんがん貼ってくれてた。普段の作業から、本当に一緒に作り上げてくれていると感じた。
そしてこれはなんとAIRでも。今回のこの4/4のパーティー、フライヤーの裏を見ると分かるけどAIRで行っているBeat In Meがsupportとなっている。と言っても、やってるのは同じ俺とかなんだけどw それを自分とこ以外の店でやるというのを、自分の店の店内にポスター貼ってくれ、しかも当日まで全ての日に折り込みを請け負ってくれた。こういうのもあったから本当に俺達はいいパーティーにしなくちゃいけない責務があった。
この4/4に向けて、去年の10月末にイビサから帰国して以来、ずっと集中してやってきてた。特にここ数ヶ月は生活も含めてホント集中してた。それは当日に向けもちろん加速していき、そう言った事には相当に鍛えられている俺の体もその1週間前ぐらいにはさすがに本当に追い込んだ感じとなっていた。もちろん寝る時間があまりにも足りないから、などと言った体力的から来る部分はすごく大きいんだけど、それと共にこれはストレスから来る神経的な疲れ。これが果てしなく大きい。その週月曜から既にPedroが入っていたため個人的な部分でのPRPがもう既に始まっていた俺だったが、パーティー2日ぐらい前、さすがに疲れがピークに来た。体力も限界一歩手前まで来たのか、リンパが腫れてものすごい事になってた。俺疲れるとたまにリンパが腫れるけどこれは結構ひどい方だった。
そしてさっき書いたようにここまで実は幾つもの難しい局面・事態があったのだが、この2日前にしてまたもや。
翌日金曜日に僕らが組んでいたのがこれ。
『4/4 RPR SOUNDSYSTEM @LIQUIDROOM 前夜祭!5時間!/Pre Party at DOMMUNE!! 5 hours!』
当初これにRhadooが出演してプレイするはずだった。しかし、、、ヨーロッパがこのタイミングでなんと異常気象!Berlinも雪!ブカレストに至ってはこの気象の影響で交通状態はカオス、木曜日の飛行機に乗り金曜日に日本着、そのまま夜このDOMMUNEに出演するはずだったRhadooがなんと飛行機に乗れない事態に!!
ちょっと焦った。でもちょっとだった。まだ前日でよかった。これが明日だったら。。。実際Rareshの到着は当初から当日の土曜日だったから。ゾッとした。マジで。
だが、こう言うのは慣れてる。海外での色んな体験もこう言う時の手助けになる。
俺がこれまでに学んだ事。要は最悪でなければいいのだ。たしかにちょっともしくはだいぶ予定が狂ってしまってベストな進行とは違くなった。だが本番はあさって。土曜日に来れてないだともうどうしたらいいのか本当に分からないが、要はあさってしっかり3人揃っている事ができれば、特に問題はないのだ。翌日金曜日ブカレスト発の飛行機がちゃんと飛んでくれて、それにちゃんと2人して乗ってくれて、土曜日の昼に到着できる事をただひたすら神に祈ってと言う事は当日まで続いたが。
さてそしてDOMMUNE。俺達にはやはりまだ神が付いていた。そう、日本に既にPedroが居てくれた。これで何の問題もなかった。
Pedroは当初プレイをするつもりはなく、Rhadooのプレイでみんなでこの翌日に向けたPre Party5時間を仲間達と遊ぶつもりで生活も完全にリラックスしていた。俺は彼に事態を話して、翌日のDOMMUNEでプレイしてくれるように"頼んだ"。
それに対するPedroの言葉が奮っていた。
「RAHA, of course. You don't need to ask. You don't need to "ask" me.」
RPRはこう言う人達なんだよ。俺は彼らの音楽だけじゃなくて本当に人間として好きだからやっているしフォローしていってる。彼らのそう言うところ、本当に中に入っていかないとなかなか見えない部分なんだけど、[a:rpia:r]って言うのはそう言う感じの人達なんだよ、常に。彼らの魅力は音楽だけじゃなく、その振る舞いから心根から全てなんだ。
翌日金曜日。頬っぺたはさらに腫れ、熱まで出て来た。パーティーの前日の体調としてはかなりよろしくなかった。
その中で、でも自分も含めて色んな事が順調に進んでくれた。
19時からDOMMUNEの特別番組がスタート。この日は金曜日で普通だったらDOMMUNEはお休みなところ、宇川さんが特別にやらせてくれたんだ。しかもぶち抜きで。みんなのトップを切ってまず俺が1時間プレイした。まあいい感じでやれた。
俺は今回の4/4は出演しないと最初から決めていた。もちろんRPR SOUNDSYSTEM @LIQUIDROOMなんて言う歴史的なパーティーにフロアーは違えど共に出演したい。実際本当に世界じゅうの人達がこの日本での開催を注目していた。そこにそれは出ていたいよ。でも俺がDJしてたらその1時間半とか2時間とか、誰が彼らのケアーに対して確実な責任を負えるの?って思った場合、やりたい気持ちは捨てた。俺以上に、彼らが嫌がる事、快適にできる事が分かる人はこの国には居ないの分かってるから今回のこのパーティーに関しては俺が側を離れてはいけないと自覚していた。自分がDJできるよりもやるべき重要なミッションがそこにあると思った。色んな事はこの先いくらでも取り戻すさ、とさほど悔しい気持ちも今回なかったな、不思議と。
その分DOMMUNEで最初をやらせてもらって少し溜飲を下げさせてもらったw
続いてTaro, PI-GE, Kabutoと、当日プレイするこの3人が間違いないプレイを展開し、DOMMUNEでの前夜祭はいい感じで進んで行った。
俺はと言うと、自分のプレイが終わって少しして今度はインターFMへ。RYU, ブライアンがやってる番組に出させてもらってしっかり翌日の告知をさせてもらって来た。章太郎、ありがとう。
また、ラジオで言うと、その1週間前に、Block.fmの『Fake Eyes Radio』にも出演させてもらってDJ&告知をかなりしっかりさせてもらっていたよ。Fake Eyes PRODUCTIONの2人、ありがとう!
その日のアーカイブが残っているので是非聞いてみて下さい :))
http://block.fm/progr…/fake_eyes_radio/archive/20150326.html
Interから戻ると、まあPedroが安定したいいプレイしてたな。すごくよかった。人もいっぱい来て、いい感じの前夜祭だった。
そして同時の情報として、Rhadoo, Rareshの2人を乗せた飛行機が今度は無事に日本に向けて順調に飛んでいる、と言う最も待っていたいい知らせも入った。
さらに言うと、ここに来て前売りチケットの伸びがものすごい。明日が本当に楽しみだ。マジでものすごい日になるとこの時点で確信していた。
さあいよいよ当日。4/4(土)が来た。
花見ウィークの真っ只中と言う絶好のタイミングで行われた今回の開催、数日前から言われていた雨予報も外れ、幸い天気にも恵まれ万全の体勢でこの日を迎える事ができた。
朝起きたら意外にも熱はもう下がった。ほっぺたも少しだけ引いた。うん、大丈夫だ!まあこのほっぺたはストレスがすごく大きいの自分は分かってたから、この夜のパーティーが終わったら急に消えてなくなるとは思ってたけど。
この日俺は10時に羽田へ。定刻にRhadooとRareshが登場!いやあ彼らの姿を見た瞬間に全ての不安が吹き飛んだよ。彼らの場合、揃ってくれさえすればもう俺は後は何も心配しない。今夜LIQUIDのブースにさえ3人揃って立てれば、そのプレイがどうだろうとかは、俺はハッキリ言って1mmも今回心配した事はなかったな。
最初に言っとくと、Beat In Meの時もそうだけど、特にRhadooは写真好きじゃないんだ。それ俺聞いてるから、自分で写真1枚も撮ってないからね。あしからず。
ホテルに荷物置いてPedroも合流して4人で原宿の行きたいって言う洋服屋さんへ。探索散歩してお茶して。これはムチャクチャ楽しいよ。
3人で楽しそうに話してるの目の前でこんな長い間ずっと見てるの初めてだから、ホント仲いいのがわかる。友達であり兄弟のようでもあるんだな。歳が離れているからRareshは完全に弟なんだな。楽しい。代官山でランチして目黒川の桜通ってちょっとあるところも行ってから部屋にチェックイン。ランチ結構しっかり食べたから今夜のdinnerは中止だ。時間までゆっくり体力を回復させる事に。
夜。さあ、いよいよリキッドに出発だ。彼ら3人も11時からサウンドチェック。
さあこっから最後の現場での準備。
照明も入念な打ち合わせ
スタッフの最終確認。熱が入ります。
そして彼らのサウンドチェック。世界屈指の耳を持つ人達のサウンドチェックだ。これだけで本当に身震いしてた。
どうやらLIQUIDROOMの音をムチャクチャ気に入ってくれたようだ。よかった!
何て言われてたんだったか忘れたw
Open前。出てみたらもうたくさんの仲間達が詰めかけてた。あれは本当にアガったよ! ありがとうみんな!
OPEN前から会場外には既に開場を待つ人達の列が。OPEN前でのあんな光景は、東京のクラブシーンでここ数年見た事がありませんでした。
そしていよいよ、23:30 OPEN!
23:30のオープン後、会場は本当に音楽が好きな良質なお客さん達でどんどん埋め尽くされていき、30分から1時間後にはもうフロアーはほぼ人で埋まり、すでに通常のパーティーのピーク時と見まがうような状態になっていた。会場主であるリキッドルームの方達が、こんなのは大晦日とか以外では見た事がない、と驚いていました。
それを迎えるこの日のゲスト、RPR SOUNDSYSTEMはいつものように最高のプレイを披露。フロアーは今言ったように早い時間からもう人でいっぱいに、しかも全員が踊る人でいっぱいになっていたが、彼らのプレイはあくまでも低空飛行を続ける。変に「アゲて~」なんて声をあげるようなお客さんも幸い全然いなく、みんな分かってる感じの人達が本当に音楽とダンスを楽しんでいる感じがよかった。いつも言うように、パーティーって1人2人の人のおかげで簡単に壊れるからね。
パーティーが始まる前に、Rareshと2人になった時にどうしようかなとかなり迷ったが思い切って言った。聞こえ方によっては不必要な感じに聞こえたら逆に不愉快な気持ちに若干でもなる場合だってあるし。だけど、今の時点の俺と彼らの関係性だったら変な風な解釈も加わって取られる事はないはずだと思っていたからやっぱり言った。違う意味が加わらないように超注意しながら。
「いつもと同じようにやってくれ」
俺海外で3人でやるの、RPR SOUNDSYSYTEMって名前の時もそうでない時も入れたらおそらく15回ぐらいは聞いている。それと同じ事をただやって欲しいのだった。日本流のアレンジ・最低限当たり前にあるって言う程度以上の気遣いは要らない。特に今日に関しては。俺これまで、ジャンルにもよるけど8割か9割の外人ゲストが実は向こうで聞いて実際にしびれてたまらなかった、って言うプレイと日本に呼ばれて披露してくれるプレイがちょっと全然違うものになってる、ってずっと思って来てる。海外にも住んでた他の人がいやそうかな、って言ったとしたって俺は確実にそう思ってる。そりゃ彼ら同じヨーロッパ内でだって、イタリアでやる時とベルリンでやる時とロンドンでやる時、それは少しだけずつその土地の感じを意識はするのは当たり前の事だろうなと言うのは聞いてるし見てても思うけど、それとはまた違って全然違う感じになっちゃってたりする事が往々にしてある。今回はちょっとでもそうなって欲しくなかった。大丈夫だと分かっていても、万万が一の時に、あの時にやっぱりちょとでもその話しを出していれば、、って言う防げるレベルの後悔はこのパーティーにだけはしてはいけないと強く思ってたから、ちょっと嫌われてもそれでも言った方がいいと思って意を決して言っといた。
Raresh、自信と言う言葉では表現し尽くせない笑顔でこう言った。
「RAHA, You know:) [a:rpia:r] is always [a:rpia:r].」
ありがとう、もうこれで十分だった。最初から何も心配などしてないけど、これでさらに万全になったよ。オーガナイザーとしてこのパーティーを預かる立場として。
彼らとは、普段からこういった話しを実はものすごくたくさんしている。特にPedroとは。[a:rpia:r]は音楽だけじゃない。知れば知るほど、友人としてファンとして彼らのその素顔の内側にある色んな事や感じに少しずつ触れれば触れるほどにその質感のとりこになっていくのである。
彼らのこの日のプレイ、何も言う事はなかった。素晴らしいグルーブが低いところから真ん中のところの間で続いていた。
また店はオープンして以降、ずっと人が切れず、ずっと素晴らしいVibesだった。
メインフロアーは最初から最後まで、混んでいたが決して不快なほどではなく、俺も多くはない時間を見つけては、フロアーの前から後ろから右から左から真ん中から、感じられる限りの事を確認しつつパーティーを進行しようと思っていたから色んなところに身を置くようにしてみたが、時々ありがちな、ノッて踊っているのはいいんだけど人にぶつからないようにしないとねー、って言うような、空間・距離感を制御できてないようなダンスの人にもまず当たらなかったような気がする。みんなすごくいいクラウドだったように思う。ホントありがたい。途切れる事のない極上の音に、あれだけ本当に音を聞いて感じながら且つその音楽の楽しみ方とかを分かって踊っている人達の割合が多ければ、それはフロアーいいバイブスになるよねと思ったものだった。
そしてこの日は、メインフロアーだけでなくお店全体としてなんだかものすごくいいバイブスが出来上がっていた。あれはなんなんだろうかと今も思う。
上のフロアーの3人も、もちろんずっと聞けてないが、俺が見に行く度に必ずいつもよかった。何よりなんか雰囲気が出来上がっていたからな。下でRPRの3人がやってるのに、彼らを向こうに回してこっちでこんな雰囲気を作り上げられてた、ってすごい事だと思う。今回、この3人にしてホント間違いなかった。まあ最初の時点から何の心配もした事もなかったけども。だけど予想以上の感じを作り上げてくれてた。
DJの後ろや上フロアー全体に居る人もホント楽しんでいるようだったもんね。
そして1F メインフロアー外のラウンジもなんだか分からないけどものすごくいい雰囲気だった。
なんだろうね、あの感じの、外も上も、そして一番はメインフロアーも。
そう、最初に書いてたけど、この日途中から俺が感じてた事を、同じ事を20人ぐらいの人が言ってた。「なんか今日、昔のあの超面白かった頃の新宿リキッドみたいな感じがするんだけど」って。何なんだろうね、あれは?本当にその感じだったね。あの感覚、新宿リキッドなくなって以来あまり感じた事なかった感覚だね。これすごくいい意味だよ。とにかく一晩通してこの日のLIQUIDROOMには魔法がかかったかのような感じになってた。
そんでね、俺が彼らの側を離れて店全体を端から端までちょくちょく見回りで回ってる時に、会う人会う人がものすごい数の人がみんな本当に笑顔。1日通して、ものすごい数の人々に「ありがとう」と言われました。「今まで東京でこんないいパーティー来た事がない」「ここ数年での最高のパーティーだよ」とまで言って下さる人も本当に大勢居てビックリしました。
パーティーで、ここまでみんなから「ありがとう」と言われた事はない。俺の記憶ではビーチパーティーとしては史上最高だったあの2009年のOoooze BEACHの時と双璧ぐらいの感触かそれ以上だったと言える。
それでこれはまた本当に嬉しい事に、彼らも本当に満足してくれているようだった。とにかくまずサウンドシステムがamazingだと言っていた。これはサウンドチェックの時から大満足で言っていた。
あの日のフロアーをこの素晴らしい写真だけでしばらくボ~ッと振り返ってみようか。
そしてこの日はいい意味の大人のお客さんが多く来てくれていた。雰囲気もある人が多かったしお洒落な外人の人もいっぱい居たしね。それもあってなんか全体的にも遊び方を分かってる感じの雰囲気が全体に漂っていたのかもしれないね。
では一部だけどそのお客さんのショットを。
ここではイベントを協賛してくれ、そう、この素晴らしいパーティーの実現に大いなる力を貸して頂いたスポンサーの方達のバナー/ポスターを紹介させて頂きます。この日は店内でもスマートに且つ大いに宣伝させて頂きました。
G-SHOCK様
http://g-shock.jp/
アウローラ様
とどけているのは、 未来を託す若いチカラ 求人広告代理店AURORA
http://aurora.vc/
また、6/6に開催が決定していた Beat In Me始め、5/2~4に東伊豆で開催されるRainbow Disco Clubのポスターなども各所に貼り出された。
再び皆さん
裏では
いやあ長い事一緒に頑張りました。テッペイとPI-GE
ともかく素晴らしい1日だった。疲れも全く吹き飛んでたな。思ってた通りパーティー終わったらほっぺたの膨らみ消えていった。
フロアーに戻ろう。
俺途中から会う人会う人に本当にヤバイねヤバイね、って言われてた。でも特に遅い時間になってからは、特に若い人達にはそう言われたらこう言ってた。
「見てなよ。今ここまでこんなにすごいんだけど、ここから最後の2時間ぐらいがさらに本当にヤバい時間になるからな。特に最後の1時間が。絶対にそこ見逃すな」って。
果たして言った通りになった。まあ多くの人がそうだと分かっているように当たり前だけれど。最後の6~8時はマジックモーメント。ここまでかかっていた魔法が本当に解けなくなって、そこに居る人達にマジックが完全にかかりっ放しになる時間だ。当然フロアーもピークのど真ん中よりは人は若干は減り、要はいくらでも踊り続けたい人、いよいよこっからでしょう、とオープンから手ぐすねを引きっ放しだったような人達だけにだんだんなってくるから、それはフロアーの質自体もその純度が急激に違って来る。
途中で帰っちゃった人、もしキミがそうなら、それはそれでいいんだけど、最高の夜を堪能できた訳だから、でも言わせてもらうともう一踏ん張りしていたら、その見ていたものに輪をかけたものすごいものが感じられたよ。これは間違いない。仕事や子供などどうにもならない人は別として、ただ疲れて満足して帰っちゃった人、次回からもう少しずつ苦とせずに頑張る事ができるようになったら、今までまだ見てない世界を知るようになるかもしれないよ。いちおう言っとくとね。
特に最後の1時間のフロアーはamazingの一言だった。まじプレイが素晴らし過ぎて踊っててずっと笑いが出ちゃってたよ。最高の一言だった。たくさんの人に声かけられたなあ。でも逆にそんなみんなを見てて、感謝の気持ちを持った時に相手にそれを素直に伝えられるってすごいなあと思ったよ:)
今回のこのパーティー、終わりが絶対に朝8時だって言うのは決められていた。翌日曜のライブの人達の準備が入っているから。ダメなものはうじうじ言っても仕方ない。とにかく8時と言うのはみんな分かっていた。当然RPRの3人も。6時半近くにPedroに確認した。
「Pedro、8時ジャストね。」「オーケー、分かってるよ、ラーハ。」
「それで、どういうふうに終わるかはやりたいようにやってもらえばいいから。ただ一つの注文は8時には音が止まる事。それ以外の事はどうでもいいから。8時に音が止まりました、おしまい、っていうのでももちろんいいし、例えば7時50分とかに終わらせて最後もう1曲とか2曲とかかけるのでもいいし、7時半に一度音止めてまたそこから30分やる、っていう形でもいいし。自分達の好きなようにやってくれ」と。
俺が見てる限り、特に最後の1時間主軸でやってたRareshとPedro、彼ら終わりの1時間前から1時間かけてのエンディングをしてるんだな、て見てて分かった。彼らの意図分かってそのストーリーの組み立てを感じながら見てると、凄みが違った。
特に最後の40分ぐらいはRareshが主に担当していた。
俺はそのある時ブースの後ろの方に腰を下ろして,今,回してる2人を見守っているRhadooと一緒に座ってて、その時何気に聞いてみた。「You play?」って。そしたら、彼すごく暖かくニッコリ笑って、回してるRareshを見て、「Rareshがうまくやるよ、見てて」みたいな事言った。
なんて言うかなあ、その時の感じとセットじゃないと同じには伝わらないとは思うけど、なんと言うかこの3人、本当に深く信頼し合って、普通の絆じゃないので結ばれているなあ、ってのがそういう小さな一つ一つのやり取り、態度の中に滲み出てるんだよ。
やっぱこの3人、他にはいないわ、すごいなあ、としみじみ思う小さい出来事だった。
俺、フロアーの感じを感じたいから、って言う彼らを一人ずつ順にPedro、そしてRareshとフロアー真ん中の後ろの方に連れて行った。いやあ言葉にならない素晴らしさだったね。ちょうど後ろの真ん中の方に仲間達もいっぱい居て、お互い感じてる事が同じだから、もうみんなして笑っちゃってしょうがなかった。幸せ過ぎる笑いって言うか、何なんだろうねこれ、って言う笑いって言うか、あれはもう言葉にならない。
彼らもあの日のフロアー、特に最後のあれ、一緒に体験して帰ってくれたからね。これは大きいよ。
最後のフロアーはもう完全に魔法がかかった状態。そこに居るおそらく全員が至福の時を感じていたろうと思う。
あの場に居てあれを感じる事ができなかったら、多分そのコの事それまでどんなに愛して一緒に居たとしても俺それ以降は多分もう付き合えないと思うな。
その時のフロアーはこんな感じだった。
これは8am、音が止まる前の最後の瞬間
そして夢の世界はゆっくりと着地した。もう全てがちょうど満足だった。もちろんOne Moreとコールし続けてくれた人達の気持ちはものすごく分かる部分は半分はあるけれども、俺はもう要らなかった。素晴らしい終わりだったじゃないか。これでいいんだよ。あの最後の1時間の夢の旅行をさせてくれてそしてそれが演者の描く操縦通りに終焉した。これ以上の1日の終わり方はあり得ないんだよ。そう思って最高の仕事をやり切った人に対しては、「お願い、もう1曲、お願い。なんでなんで?」でなく、「もう1曲あってもすごく興奮するけども、今日この最高の旅を演出してくれたあなたが本当に終わりだ、これで、と思ってるんだったらそれが最善だ。心からのありがとう」と言うattitudeで接するべきだと思うよ。これは世界のいいところをきちんと回るようになればそのうち分かるしそういう人になる。
最後に撮った写真。俺がRPR3人の写真撮ったのは今回1枚もない。写真嫌いなの知ってるから。これも友達の申し出で迷ったが、でもあとからやっぱ撮っといてくれて良かったなと思った。これがその唯一の1枚だ。いい写真だよ。
この日の総入場者数は約1,x00人弱。野外のフェスとかでないインドアのクラブパーティーとしては、これ以上望むものはないほどの最高の結果となりました。そしてその人数だけでなくパーティーの内容的にもこの日は本当に素晴らしく、来ているお客さんの質も非常に良く、みんながピースな雰囲気で心から音楽を楽しみに来ており、一晩を通して会場内は、メインフロアーだけでなくどのフロアーをとってもその全ての時間、本当に素晴らしい雰囲気に満ち溢れていました。
朝方に近付くにつれ彼らの音楽の魔法はさらに威力を発揮し、外が明るくなってもフロアーは一向に人が減る気配を見せず、パーティー終了時刻の8:00になるまで、この日のメインフロアーは最後まで人でいっぱいでした。
thank you, Raresh!
本当に素晴らしい1日でした。
心からみなさんありがとうございました。
本当に多方面に亘る多くの人達の協力、本当に本当にありがとうございました。
そして何より、今回僕たちの国へ3人で来る事を決断してくれ実現してくれた
RHADOO
RTRE INSPIRESCU
RARESH
の3人。
この3人から成る
RPR SOUNDSYSTEM
最強でした。
本当に素晴らしい時間をありがとう。
さらに最高の経験ができるように、僕たちもこの日本のシーン自体を、さらにいい形で上昇させていきましょう。
シーンのために、絶対いきなり大きくならないように、少しずつ着実にでいいから本当にいい形で階段を上っていけるように。
パーティーとかをやってる側もこれまで通り、いや以上に一生懸命やります。
踊りに来る側の人達も、あなた達の協力なしにはいいシーンになんてなりっこないんです。
みんなで力を合わせてムチャクチャかっこいい、素敵なシーンを作っていきましょう。
今回ホント各方面の人達が力を集結してくれまた力を貸してくれ、みんなで盛り上げていこうとしてくれました。
みんな一人一人も今回のこの RPR SOUNDSYSTEM @LIQUIDROOM ではだいぶ前からずっと気分が高揚しシーンに活力みたいなものが生まれていたのを僕は見ていました。
この勢い、いい形でどんどん繋げていきましょうね。
この日本に、素晴らしいと思える、ホントにいいパーティーはいっぱいある。そしてフェスだって。
そういう本当にいいっていうパーティーやフェスを引き続きどんどん盛り上げて繋げていく事が非常に重要な事だと思うんです。
RPR SOUNDSYSTEM @LIQUIDROOM は終わったけど、これで終わりじゃない。このいい感じの勢い、このまま日本のホントかっこいいミュージックシーンのために繋げていきましょうね。
一人一人がちゃんと意識していけば絶対どんどんいい方向に伸びていくから。
さあ、こっからです。やっていきましょう。
最後にみんな、心から、
ありがとうございました。
俺の提案する次はこれだ! 信用して遊びに来て欲しい。
6/6 (土) 『Beat In Me feat. Alexandra』
ー B2F MAIN FLOOR ー
Alexandra (Sunrise / Romania)
RAHA (Beat In Me / Ooooze)
DJ PI-GE (Tresvibes Soundsystem)
dj masda (Cabaret Recordings)
ー B1F LOUNGE FLOOR ー
SHAKE M × YASU (ARTEMIS)
Sinob Satosi (Work Them / Flügel / Fasten)
Takashi Himeoka (Rora)
ー NoMad ー
TBA