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SERIE-NOIRE meets"TOBYEBZENO"

ゲームクリエイターとして名高い飯野賢治氏とクラブシーン好きなら、今更説明のいらないベテランクリエイター&パフォーマーのDJ TOBYとcode e aka ebzの三人がタッグを組み、新しいパーティを立ち上げる。飯野賢治氏もやる気満々でクレジットもDJのときのみ使うEno Kenjiとなる。今回は新に"EBZENO"という飯野賢治とEBZの実験ユニットライブも結成し一晩の演出の中に一捻りも二捻りもしてくるところに意気込みを感じると共にさすがという感をおぼえる。もともと、この3人は非常に仲がよく今回のパーティの名前も『TOBYEBZENO』(トビジーノ)と3人の名前を上手くリミックスした感じ。というか、3人で1つの夜をリミックスしていこうという気持ちを前面に押し出してきている。木曜日の大人の夜に大人のクリエーター達がこのような新しいパーティーをスタートさせるのは非常に楽しみである。3人の新しいリミックスの世界を皆で楽しもうではありませんか。



■Kenji Eno(fyto代表取締役・ゲームクリエイター)

東京生まれ。19歳でゲームソフトの制作会社を設立する。「Dの食卓」や「エネミー・ゼロ」といった代表作を中心に、家庭用 ゲームソフトウェアを全世界で出版。売上は1996年までに 100万本、1999年までに合計200万本以上の売上を記録した。「Dの食卓」は国内のマルチメディア最高賞である「マルチメディアグランプリ・通産大臣賞」を受賞。「エネミー・ゼロ」は「BEST SATURN GAME OF E3」を受賞。「リアルサウンド〜風のリグレット」は「マルチメディアグランプリ'97 パッケージゲーム賞」、「ジャパン・ゲーム・オブ・ザ・イヤー'98 サウンド賞」を受賞。1997年には文化学会大賞を受賞。1998年には「ビジネス・ウィーク」誌が選ぶアジアの50人(THE STARS OF ASIA)に選ばれた。現在は、企画、ブランド開発、マーケティング、コンサルティング等を仕事とし、作曲やリミックス、小説の執筆などの執筆活動も行う。



■TOBY

またの名を 『テクノ外交官』 としても知られる TOBYは、1990年よりドイツのテクノシーンと交流を深め、世界最大のテクノフェスティバル "LOVE PARADE" を始め、Sven Vath,Dr.Motte, Mijk Van Dijk等のアーティストをいち早く日本に紹介するなど、今日まで日本とドイツのテクノシーンの架け橋となってきた。



そして、日本のテクノシーンを代表したクラブ "MANIAC LOVE" がオープンした1993年より本格的にDJ活動をスタートさせ、国内有名クラブはもとより、フランクフルトの"OMEN"、ベルリンの"TRESOR"といったドイツ各地、オーストリア、ポーランド、チェコ、フィンランド、ロシア等のヨーロッパ諸国、中国、台湾、シンガポールなどのアジア各国、そして日本最大の屋内レイブ「WIRE」やドイツの「FUSION」といったビッグフェスティバルにも出演。盟友 Misuzuと立ち上げたラウンジスタイルパーティー「Sorbet」においては、ハウスセットの DJ PLAY を中心に、彼の新たな一面を披露している。昨年9月には恒例となった『WIRE06』へ出演すると同時に、自身がオーガナイズする『WIRE前夜祭』を改め開催した『WIRE06アフターアワーズ』が大盛況のうちに終了した。



プロダクションワークにおいては、Mijk Van Dijk とのユニット 「Thebrothers in raw」 、Thomas Schumacher とのコラボレーション「Train to Tokio」 、Gabriel LeMarとのユニット 「Supercruizer」 など、著名なテクノプロデューサーとのコラボレーションを展開。2003年に発売されたインベーダーゲーム誕生25周年記念CD「スペースインベーダー大作戦」(東芝EMI)、シーナ&ロケッツ結成25周年記念CD 「ELECTROKKETS」(ビクターエンタテインメント)、そして今年の2月15日に発売(海外版は昨秋発売)されたPSPソフト「ルミネスⅡ」では、Q'HEY, M.M.M.(映像担当)との共作 "Be-bop Acid" を楽曲提供。近年は、先日Frisbee Tracksから12"EP "Kabuto EP" をリリースしたANDREASKAUFFELT とのユニット「KABUTO」がヒットしている。そして2007年6月29日、初の本人名義アルバム "ELECTRIC SMOOCH" が石野卓球のレーベル 『Platik』よりリリースされる。



■code e aka ebz

90年代はじめから、トラックメイカーとしての活動を開始し、1995、ベルギーR&Sレコード傘下の Genarationsレコードからファーストトラックを発表。その後、R&Sに移籍する。日本ではNS-comの創設に参加し、多くのアーティストのレコーディングにエンジニア、プロデュースに関わる。

96年にスタートしたアンダーグラウンドパーティー、soundofspeed の初回よりライブパフォーマーとして参加し、ライブ活動を始めた。その後、レーベルへと発展したsoundofspeedのディレクター、サウンドエンジニアを務める。

98年よりイギリス、オーストリアのヨーロッパツアーをきっかけに、以降毎年ヨーロッパツアーを敢行し、2003年には総勢55名の日本人アーティストを率いてオーストリア・グラーツ市の芸術祭に音楽監督としてイベントを企画し、5000人の観客を湧かせた。

2000年にスーパーバイザーとシステム基礎設計を担当したゲームソフト `Rez`は日本で通産省マルチメディア賞、オーストリア・ザルツブルグではアルス・エレクトロニカにおいてインタラクティブアート部門にて受賞作品になった。

ダンスミュージックのレコーディング、エンジニアリングを極める為、2001年、東京を離れ渡欧。オーストリア・ウィーン市にスタジオを移転。ウィーンの5スターホテル`Le Meridien Vienna`のShambalaでは毎週火曜日、金曜日のレジデントDJとしてTokyo Tuesdazeを主宰している。クラブフィールド以外にも活動領域をひろげ、映画のサウンドトラック、コンテンポラリーダンスカンパニーとの共演を果たしている。