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HORIZON presents HOUSE LEGEND ALFREDO again!!

2008年の1月に奇跡の来日を果たしたヨーロッパハウスシーンの伝説Alfredoが一年振りに帰って来る!あの素晴しいパーティーを体験した人もできなかった人も必見!ほんとうのバレアリック、ほんとうのクラッシックを体験して欲しい。



●Alfredo

アルゼンチンで生まれ、「La Capital」新聞社の映画・音楽評論家を経て、1970年代半ばにクラブ・シーン勃興前のイビサ島に上陸する。その後、1982年にDJを始め、「アムネシア(amnesia)」のレジデントDJとなる。そして、1987年の8月のある日、現在も伝説として語り継がれている、ヨーロッパのクラブ・カルチャーにとって最も重要な夜が訪れる。数名のイギリス人の若者達がヴァカンスでイビサ島を訪れ、「amnesia」でアルフレドのプレイを体験したのだ。その若者達とは、当時まだ無名だったポール・オークンフォールド(Paul Oakenfold)、ダニー・ランプリング(Danny Rampling)、ニッキー・ホロウェイ(Nicky Holloway)、トレヴァー・ファング(Trevor Fung)、ジョニー・ウォーカー(Johnny Walker)である。この頃のU.K.のクラブ・シーンは細分化が進み、膠着状態に陥っていたのだが、ロック、ソウル、レゲエからアシッド・ハウスや映画音楽まで一つの文脈でプレイする、アルフレドのオープン・マインドなバレアリック・スタイルは、彼らにとてつもなく大きな衝撃を与えた。すぐさま彼らはイビサで体験したバレアリック・スタイルをU.K.に持ち帰り、ポール・オークンフォールドは「スペクトラム(Spectrum)」、ダニー・ランプリングは「シューム(Shoom)」、ニッキー・ホロウェイは「トリップ(Trip)」と、それぞれ新しいパーティーをスタートさせた。これらの新しいパーティーと新しいスタイルは、瞬く間にU.K.中を席捲した。例えば、今や伝説となった「シューム」には、当初50人の客しか集まらなかったが、1年後には毎週末クラブに入りきらない2000人ものクラウドが道端に溢れ出すという、とんでもないビッグ・ムーヴメントに成長する。この様な状態は1987年から 1989年までの間、ずっと続いた。この3年間は、いわゆる"セカンド・サマー・オヴ・ラヴ"と呼ばれる時期と完全に一致する。つまり、"セカンド・サマー・オヴ・ラヴ"、"レイヴ,ウェアハウス・カルチャー"、"マンチェスター・ブーム"、ひいては昨今の"ディスコ・ダブ"まで、イビサに端を発する一連の出来事の引き金を引いた張本人が、アルフレドなのである。もし、アルフレドと彼らの出会いが無ければ、現在のヨーロッパのクラブ・シーンは全く違う物になっていたであろう。彼は正に、バレアリック・カルチャーの伝説の生き証人であり、イビサの代名詞的存在である。