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■YOYO-C

1973年、横浜生まれ。中学時代にハードコア・バンドを結成し、ヴォーカルを担当したのが音楽的キャリアのスタート。この当時に自主制作された音源がフランスのインディー・レーベルの目に留まり、世界中のインディー・ハードコアの音源を集めたコンピに収録されたりもしたという。80年代後半のダンスホール・レゲエの台頭期にいち早く反応し、レゲエ・ディージェーを目指し、マイクを握り始める。この時期に同時に横浜で活動を開始したサウンドやアーティストが現在のシーンの中核をなす主力となっている。数年の活動後、海外武者修行を決意。が、ジャマイカではなく、キングストン、ニューヨークに続くレゲエの聖地ロンドンに目を向け、94年渡英。ロンドンのジャマイカン・コミュニティの中でストレートなレゲエと同時に、ブリストル・サウンド、ジャングル、ドラムンベース、ニュー・ルーツなどもダイレクトに体感しつつ、ベテランのルーツ・レゲエ・シンガー、故ジュニア・デルゲイドの下で、4年近くに渡ってアーティストとしての修行を続ける。98年、帰国。いきなりジャパニーズ・レゲエ・シーンのトップ・アーティストとして活動を開始。アンダーグラウンド・シーンで基盤を作った国内主要レゲエ・レーベルより軒並みクラッシックとなっている曲をリリース。99年、日本が世界に誇るレゲエ・サウンド、マイティー・クラウンに所属するアーティスト集団「ファイヤー・ボール」に正式に参加し、旗揚げ当時の彼等のレーベル「ライフ・スタイル・レコーディング」の主力メンバーとして活躍。2002年のファイヤー・ボールのメジャー契約の際に、グループとして拘束されることよりも、自由なスタンスを求め、発展的な思考の下に脱退するも、現在もファミリーとしての交流を続けている。その後、自らの音源制作のためのプロダクション「ジューク・ボックス」を設立。ビート・プログラミングの全てを自らこなし、広い音楽的視野を以て制作された2003年のファースト・アルバム「THE SPECIALIST」は、高い評価を得、専門誌におけるその年のアルバム・オブ・ジ・イヤーに輝いている。同年は世界最大のレゲエ・フェス、ジャマイカのモンティゴベイで行われる「REGGAE SUN FEST 2003」に、ムーミン、プシン、ホーム・グロウンに帯同して参加。本場の観衆の前で大ウケをかっさらった。そして2005年、待望のセカンド・アルバムの制作に着手。研ぎ澄まされたサンプル・ネタ選びと優れたセンスで、今回も全編ビート・プログラミングの全てを自らこなし、2006年頭にジャマイカを訪れ、名門レーベル、キング・ジャミーズでのミックス・ダウンを敢行。より完成度の高まったアルバムを作り上げた。生命力溢れるリリックと、歌う様なフロウ・スタイル、レベル・ミュージックとしてのレゲエの反骨精神を失うこと無いメッセージで、ジャパニーズ・レゲエ・シーンに君臨する孤高のアーティストである。"