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Drawers - monday disco -

"自分達の好きな音楽を好きに表現したい"この一言から始まった原宿発のNew Life Style Party、それがこの"drawers"〜Monday Disco〜。第1週目は、DEXPISTOLS、そして自信のブランド"CREPEMAN"のフロントマンを務めるDJ DARUMAと55 DSLのPRやDJとして活躍中のJOMMY、更に"GRILLZ JEWELZ"が歯に装着するオーダーメイドのジュエリーを販売。第2週目は、東京のUNDERGROUNDE界を牽引し続けるDJ KEN-SKEとブルックリン仕込みなGROOVE感で常にフロアーをロックさせるJeff Brownが担当。第3週目は、"RED ZONE"のレジデントを始め、日本のクラブシーンを常に牽引し続けているDJ KANGOとDIESEL,55DSLのPARTYのレジデントやRoc Traxからの楽曲リリースなどで注目を集めているDJ YANが担当。そして第4週目はMIX CD"THE PARTY"にてメジャーデビューを果たし、1万枚のセールスを記録するなど、実力派最注目のGIRLS DJ RIEと、北海道を中心に年間130本のギグをこなすGIRLS DJのアイコン的存在のDJ YUIが担当する。素敵な夜景を眺めながら、美味しい食事とお酒、最高の音楽を堪能する…このLife Styleこそが"Drawers"〜Monday Disco〜の真の狙いである。楽しみ方はそれぞれ自由。日本ではあまり体感できない"Pub Style"を是非とも味わって頂きたい。

■DJ KEN-SKE
新たなスタイルやフォーマットの登場で、いまや誰もが『DJ』と名乗ることの出来るこのご時世・・・この現象は数多の似非(エセ)DJを量産する事態を引き起こしている。
DJ KEN-SKEはモデルでもセレブでもなくトラックメーカーでもない、根っからの現場重視のクラブDJである。
HIP HOPやR&B・REGGAEはもちろんのこと、HOUSE・ELECTRO・DISCO・SOUL・FUNK・RARE GROOVE・TOP 40等、現場に応じて様々なジャンルや年代をブレンドした彼のスタイルは、一般層からクラブフリークまでをもロックし、各所で賞賛を得ている。
また、第一線で活躍するDANCERやDJ、プロモーター等の業界関係者からも熱い支持を受けており、年間100本以上のバーティーでプレイし、国内はもとより国外の著名DJからの信頼も厚い。
パーティーの規模も種類も、はたまた国境や人種も、あるいは時空をも飛び越えて広く深くカバーする力量は驚愕に値する。
そして今も変わらずレコードへの愛情を持つ数少ないDJの中の一人であり、なおかつデータ音源やラップトップ等のデジタルツールも積極的に取り入れる、いわばアナログとデジタルのギャップを繋ぐ架け橋の様な希有な存在である。
現在、HIP HOPの聖地として名高い渋谷のCLUB HARLEMにて長年続く、毎週火曜日開催のモンスターイベント『RED ZONE』の階上、BX CAFEにて『ROYAL FLUSH』という名のパーティーのレジデントDJを務め、古きよき時代のRAPや、DISCO・HOUSE等のダンスミュージック全般のさらなる探求を実践しているが、それは単なる懐古主義とは一線を画すもので、彼のミュージック・ライフが現在進行形で反映されたものとなっている。
その一例として、ストリーミング番組の中でも屈指の人気を誇る『DOMMUNE』に出演し、オールヴァイナルで90's HOUSEのセットを披露、延べ10000人近い目/耳の肥えたビューアー達から高い評価を得た。
また、前述した『RED ZONE』でも不定期でプレイしている他、CLUB AXXCIS『GOLDEN GATE』のような週末のメインストリーム主体のビッグパーティーや、CLUB BAR FAMILY『JETER』のようなアットホームなパーティー等でも活躍中。
制作面では2010年にZEN-LA-ROCKの『MASH-LA-ROCK』にてMIXを担当。世間のおおよその人間を裏切るような想定外のサウンド/キャスティングによってFUNK布教に加担した罪は大きい。
「ゆりかごから墓場まで、iPODからアリーナ級の大箱までをもロックする」がモットー。
B-BOYスタンスで多方面にアプローチし続ける、今後の活動も要注目のDJである。


■ Dj Jeff brown
80 年代末からDJプレイを学び始めた、ブルックリン、ベッド・スタイに生まれ育ちのDJ/プロデューサー、Jeff Brown(ジェフ・ブラウン)。ニューヨークにクラブ/バーを経営する、家族同様に親しくしていた友人のサポートで、マンハッタンのダウンタウンでパー ティーを任されることになった。当時、まだジャズ、ファンク、ソウル、ディスコ、ヒップホップ、ハウスをアシッド・ジャズ/レア・グルーヴといったスタイ ルでジェフのようにミクスチャーなプレイする若手DJはいなかった。その頃ヴィレッジやソーホーではDJブースを設置したバーやラウンジ(Sticky Mike's Frog Bar, Canal Bar, Buddha Bar, Lot 61, Life...)が競ってオープンされ、70'sファンク/ソウルのブームとが重なり、ジェフは週7日オフも取らずDJプレイを続けていた。90年代半ば ニューヨークよりも、ジャズ/レアグルーブ・シーンが面白くなっていた東京に拠点を移したジェフは、UFO, S-Ken, Monday Michiru, Mondo Grossoといったアーティスト達のプロダクションを手がけるなど新たな試みを体験している。その2年後ニューヨークに戻り、J-Live, Smiff-n-wessinといった地元ブルックリンのアーティスト達をはじめ、Pete RockのSoul Brother #1 のプロデューサーとして多くのセッションを重ねてきた。そして現在も、DJ Spinna, Q-Tipらとマンハッタンやブルックリンのクールなブラック・クラウドが集まるパーティーをロックし続けている