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The M + M Mixes Vol.3" CD Release Japan Tour

2013.6.15(土) 0 (Zero) (東京)
DJ John Morales (M+M Mix Productions)
DJ NORI (KONTACTO)
Terry Washizu (ringk/BALL/NY!! NY!!/PLAYAZ)
Open 22:00
Door 2,500yen (w/1d)
With Flyer 2,000yen (w/1d)
http://www.facebook.com/pages/0-Zero/198446586945627?ref=ts&fref=ts



『偉大な音の魔術師~凄腕才能の職人』
John Morales

哲学でもあるオリジナルを最大限に生かし、最低限に必要な音を加え、最高の作品に創り仕上げる、
偉大な才能の職人John Morales。盟友Sergio Munzibaiと共に、M&M名義を含め、星の数ほどの名曲を世に送り出した。一連のSALSOUL 作品からAretha Franklin, DeBarge, Hall and Oates
そしてRolling Stonesまで、80年代のRe-Mix文化に大いなる影響を与え、その方法論を確立した先駆者の一人であると言えよう。

ニューヨークはブロンクスで生まれた彼は、幼少時代から音楽に囲まれて育ち、早くから音楽に魅せられ、わずか12歳の若さで地元のレコードショップで働きはじめる。
フルタイムで働く頃には、彼のレコードコレクションは、膨大な量になっていた。彼の初めてのDJプレイは、ブロンクスにあるinfluential Stardust Ballroomであった。DJでの評判が高くなるにつれて、マンハッタンはダウンタウンのパーティーにも招待されるようになり、Pippins, Bentleys, 1018, そして悪名高きStudio 54でもプレイし始める。

現在とは異なり、当時のレコードのほとんどは、長くても3分範囲で、それはDJをするには非常に短すぎた。 多くの70年代のDJがそうであったように、彼もメドレーやリミックスを作る必要があったのだ。
初めはTeacのカセットデッキのPauseボタンを使って、試行錯誤しながら独学で編集を行い、その後
彼はお金を貯めSonyの "Reel to reel”を購入し、エディットを作るようになる。当時はひたすらエディット制作に多くの時間を費やし、ミックス手法の基礎を築きあげた。
テープからの細かい音源を繋ぎ合わせて曲を作るスタイルの編曲は、時間も掛かるし、簡単ではないけど、それによってクリエイティブなものを作れた。
昔を振り返ると、その作業が今の自分にとってすごく重要だったと彼は言う。
「自分のやりたいことや、編曲の方法とかを教えてくれたっていう感じだね。そのおかげで、実際のスタジオでの作業もスムーズにできたし、一緒に働いていたエンジニアたちも驚いていたよ」

彼の言う通り、NYディスコサウンドの立役者とも言える名プロデューサー、Greg CarmichealとPatrick Adamsの目に留まり、彼らはJohnが独学で手掛けたリミックスに衝撃と感銘をうけた。
彼の名が初めてクレジットに載ったのは、Jocelyn Brownがリードヴォーカルをつとめる最強のサルソウルの血を持つNYダンスプロジェクトInner Life’s ‘Caught Up (In A One Night Love Affair)’でのミックスだ。以前にもThe Universal Robot Band and Musique’s ‘In The Bush’をはじめ、数枚のレコードを手掛けたにも拘らず、クレジットに名前が載ることはなかったのだ。

ニューヨークで影響力のあるWBLSラジオ放送局を訪れたとき、彼は今後の経歴を華々しく変えるであろう重要なパートナーと出会う。それは、キューバ生まれのSergio Munzibaiであった。
彼は、音楽ディレクターとしてそこで働いていた。隣には、伝説のラジオDJ Frankie Crockerもいた。
そこでの出会いは、リミキサーとして次のステージへの幕開けとも言える、運命的な出会いだった。

1982年より、彼らは最強のパートナーとして、共に働き始める。M&Mという名は、セルジオと共に手掛けた記念すべき最初のレコードが、 Mikki’s Itching For Loveだったことから、それに因んでつけられた。以降、彼らが共に手掛ける全てのミックスは、M&M名義の名前を使うようになった。
80年代−90年代、彼らは650曲以上もの膨大な数のミックスを手掛け、音楽に対する愛情は勿論の事、リミックスに関する能力は、自他共に認められる存在となった。

The Fantastic Aleems (‘Get Down Friday Night’), Class Action (‘Weekend’), そしてJocelyn Brown (‘Somebody Else’s Guy’), DeBarge (‘Rhythm Of The Night’), Harold Faltermeyer (‘Alex F’), Shakatak (‘Down On The Street’), Miami Sound Machine (‘Dr Beat’), the Temptations (‘Treat Her Like A Lady’)をはじめ、その他にもTina Turner, The Rolling Stones, Spandau Ballet, Aretha Franklin, Shalamar, Hall & Oates, Dan Hartman, Candi Staton, Melba Moore, Rose Royce, Billy Ocean, Debbie Gibson, Odyssey, the CommodoresそしてPeter Schilling, Rod Stewartまでをも手掛け、ダンスミュージックは勿論のこと、メジャーのアーティスト達も二人の手によってリミックスされた。
当時の音楽シーンに新風を巻き込んだのだ。彼らはリミキサーの代表的存在として、時代を代表するDJ、プロデューサー、アーティストに多大なる影響を与えただろう。

二人は1990年頃まで共に働いた。今も尚M&M名義を使うのも、最高の相棒への尊敬と畏敬の念が込められているからなのではないだろうか。Sergio Munzibaiは、1991年この世を去った。
「彼は素晴らしい人間で尚かつ親友だった。彼の人生は音楽を愛する事に溢れていたし、音楽を生み出す事にいっぱいだった。いつだって、どこにいたって、Sergioは今も音楽を聴いているだろう 」
音楽に導かれ、現役で活躍し続ける彼のプレイは、来日を待たれていた数少ないDJの一人なのでは
ないだろうか。