光に、「光」という名前が無くても、美しいのでしょうか?
「彼」が視た記憶の「光」か…「誰」が視た記録の「光」か…。
その重なりはBlueberry Fieldの幽玄だったのでしょうか?
あの日の「私」が、消滅した「彼」の足跡を追い始めたのは、おそらく愛国心からでした。
この国の「菊」を、散らすような理を阻止したかったのでしょう。
「美しい星」の情報が、私の身体を通過して、光景の重なりを変容します。
その光景は、鏡像としての東京と常世のサギリを漂いながら、あの日の「彼」を呼ぶのです。
その風景は、鏡像としての私と「私」のユラギを重ねながら、あの日の「光」を呼ぶのです。
その風は、消滅したように視えた祝詞でした。
頬に触れた冥加が、「私」を深遠に誘いながら、消滅したマタラと邂逅させる。
それは次元の最果てに存在する量子の確立なのでしょうか?
やはり虚空に潜む彼誰の憶録なのでしょうか?
光⇔波⇔憶録
9の重なりと1の重なりの間に潜むoの加速を、異界の者は聴いています。
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