TAMA SUMO
“Music is pure communication – stay in contact and follow your heart!”
音楽は純粋なコミュニケーション。心の赴くままに向かい合って。
心と感情そして情熱に勝るものはない–これらは、一言で言えばこれはTama SumoのDJスタイルそのものです。
クラブへ行く前のウォームアップバーとしてみんなが集まっていたベルリン/クロイツベルクのDRAMA BAR。1993年彼女のDJキャリアはここからスタートしました。
2001年以降、TAMA SUMOは現ベルクハインの前身クラブである旧OstGutでDance With The Aliensというパーティーで定期的にプレイし続け、新しいPanorama Bar&Berghainがオープンすると同時にレジデンツDJを任される事になります。彼女は、ハウス、ディスコ、テクノに少しデトロイトエレクトロとポップを加えるといったようなさまざまなDJスタイルを創りました。 「私にとって音楽は非常に主観的なものであり、常に直感と心でアプローチしようと試みます」とTAMA SUMOはコメントしています。
「私にとってDJになるということは、言葉を使わずにオーディエンスとコンタクトし、対話し、同時に自分に忠実でありながら、みんなにとって必要なものをプレイすることを意味します。音楽、オーディエンス(DANCER)、そして自分自身を自由に走らせることに成功することも私のDJプレイの基本です。無駄な考えを止めて、流れに沿って行かなければなりません。さまざまなムードや雰囲気で創造して何をプレイするのかを決定するのが大好きです。
そして、私は音楽がとてつもなく大きなエネルギーと快楽を解放できるという事にずっと魅了されています。」
LAKUTI
Lerato KhathiことLakutiは幼い頃から母親が持っていた沢山ののソウル&ファンクのレコードコレクションに触発され音楽に深い関心を受けながら南アフリカのソウェトで育ちました。彼女の祖父がジャズをいつも教えてくれたことも重要な役割を果たしていました。彼女は祖父が亡くなったときに彼のジャズコレクションを継承し、今でもこのコレクションのすべてのレコードを保存しています。しかし、何よりも最大の影響とインスピレーションは初期にリリースされた一連のシカゴ HOUSE MUSICのレコードたちでした。
Lakutiは1997年にロンドンに移りました。当時のLONDONで非常に影響力のあったアンダーグラウンドハブであるPlastic Peopleというクラブで、約1年間、毎月金曜日に関わる事になります。
またLakutiは、Süd bannerのもとでアンダーグラウンドパーティーを設立、運営し成功させます。
このLONDONでのイベントは2011年11月まで11年間続き、Juan Atkins、Move D、Rick Wade、Dj Jus Ed、Boo Williams、Tama Sumo、Prosumer、Lawrence、Efdemin、Carsten Jost、Pantha Du Prince、Shed、ダニエル・ベルなども出演しました。2002年10月にSüd Electronic imprintを設立し、Lakutiは2007年11月にUzuri Recordingsを設立。その後、The Uzuri Artist Bookings&Management Agencyを設立しました。
Lakutiは、Fabric、The End、Plastic People、Corsica Studios、Herbal、Elektrowerksなどのクラブやイベントでプレイし、今年初めて日本へ訪れる事になります。
彼女はまた、タランティズム名義でTAMA SUMO&THE NEIGHBERHOOD CHARACTERとコラボレートし、スウェーデンのデュオThe Knifeの「Ready to Lose」Rabid Recordsのリミックスを担当。
また、Lakutiは、リスボン、ロンドンなどのヨーロッパ各地の様々な都市でイベントを製作しており、特にベルリンでは現在TAMA SUMOと一緒にオーガナイズしているBERLIN / PANORAMA BAR金曜日のイベントも好評を博しています。
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