INTERVIEWS

Hitoshi Ohishi

DJ をはじめたきっかけというのは特になくって、気付いたら音作りやら DJ をやってる感じでした。ありきたりなんですけど、中学生くらいからロックに目覚めて、高校生のときプライマル・スクリームやストーン・ローゼス、ポッピーズ(ポップ・ウィル・イート・イットセルフの通称)や EMF とかのダンサブルなロックに夢中になったんですよ。その流れで XL のアーティストを聴いていて、そのまま何の抵抗もなく普通にテクノも聴くようになってましたね。

もともと打ち込みをやっていたこともあって、学園祭とかでインチキバンドを組んだりして遊んでました(笑)。ビジュアル的にバンドってカッコイイじゃないですか? いつもつるんでた仲間が 5、6人で、 KLF の CD を流しながら口パクならぬ、ギターやキーボードを弾いてるフリをしてただけのインチキバンドでしたね(笑)。ほんとはみんな全然弾けてないのにお客さんはスゴイ! とか言ってくれてました(笑)。でもライブ中に調子にのって楽器を蹴っちゃったりしてるうちに「あれ? コレ本当に演奏してんの?」って結局バレてしまって。ほんといい加減でしたね(笑)。 高校を卒業してからはしばらく吉祥寺のレコード屋さんで働いてました。そこはどちらかというとパンクとかハードコア、ロックに強いお店で、ソウルやヒップホップ、ハウスといったダンスものもあるにはあったんですが、やっぱりテクノは少なかったんです。だから自分の好きなテクノのレコードを仕入れたくて、レーベルやディストリビューターをいろいろ調べて少ない予算でやりくりしながらどんどん仕入れてました。そうこうしてるうちにテクノコーナーが出来ちゃたんです(笑)。

あるときディストリビューターで眠っていた日本では入手困難なバックカタログを大量に仕入れたことがあったんですけど、「何で今さらこんなレコードを大量に?」って驚かれたこともありましたね。そんなこんなでディストリビューターともだんだん仲良くなっていって「日本ではどんなモノが売れるの?」って相談を受けるようになったりもしました。あるときそのディストリビューターから「自社でレーベルも運営してるからデモテープあるなら送って!」って言われて自分の作った楽曲を送ったんです。今思えば「日本のアーティストを紹介して」という意味だったのかなと。そしたらそのデモテープがレコードになって送られてきたんです(笑)。 3月にフランスのモンペリエってところに DJ ツアーで行ってきたんです。モンペリエは南フランスにある学生街で、効外にでるとビーチもある地中海沿いのリゾート地という、けっこうのんびりとした街です。そこにケミカルブラザーズのライブショウのオフィシャルアフターパーティーにお呼ばれして行ってきました。プレイした場所は<ラ・ヴィラ・ルージュ>というクラブで、ケン・イシイさん、田中フミヤさんに続いて日本人でプレイをしたのは僕が3人目だそうです。パーティー自体はケミカルブラザーズってこともあってお客さんはたくさんいたんですよ。最初はみんな「誰だ、この日本人は?」っていう感じだったんですけど、時間が経つにつれ、盛り上がっていきましたね。あまり、ケミカル・ブラザーズを意識しすぎずにいつもどおりの自分のプレイをできたのがよかったんだと思います。向こうでの滞在は、わけあって長かったんですけど、途中ホームシックになってしまったんです。でも、ちょうど僕がプレイした次の週に出演していたケン・イシイさんにお会いしたりなんかして、結果的にとても楽しい時間になりましたね。

肝心のモンペリエのクラブはどちらかっていうと日本のアゲハに近い感じの雰囲気でした。まあ、土地柄とか建物の造りもあると思うんだけど、クラブで遊ぶことに対してあまりストイックになり過ぎないようなお客さんが多い気がしました。お客さんは結構チャラチャラしてるんですけど、サウンドや空気はなんでもいいってワケではない。よくないプレイをすればすぐに帰っちゃうし、逆にいいプレイをすれば、すごくイイ反応が返ってくる。だから、とてもやりがいがありました。それと遊びに対する意気込みがすごいんですよ。僕は知り合いの家に泊まっていたんですけど、パーティーに行く前に仲間が家に集まった時から、すでにパーティーが始まっているみたいなノリなんです。それにパーティーでも自分たちから積極的に楽しもうっていうスタンスの人がすごく多くてとても刺激になりましたね。で、ツアーの最後にプレイした所が<バー・ライブ>っていうアフターアワーズだけオープンしてるクラブなんですけど、すごく大きなスペースで、朝の 9 時でも 2000 人くらいが「まだまだ!」って感じで遊んでるんです!ここでプレイした日本人は僕が初めてらしく、とても光栄でしたね。先日の<ラ・ヴィラ・ルージュ>で僕を知った人なんかは声をかけてきてくれてとても楽しかったですよ。それにしても万国共通で汗だくの酔っ払いにはビビりますね(笑)。 レコードを買って、その袋を開けないままで DJ しにいったりします(笑)。仕込みとかは苦手なんです。めんどくさくて。曲作りとかはわりと 1 人でやる作業なので、ストイックになってしまう部分もあるんですけど、 DJ に関してはもっと楽しんでやりたいですね。ハプニングを楽しむというか。もちろん買ったばかりの曲の展開なんて分からないので、結果そこに色々な曲同士が違ったアプローチで偶然にミックスされて新しい展開を産み出したりして……自分でもお客さんにも常に新鮮でいられるよう楽しみながらやりたいんです。すごい怠けを正当化してますけど(笑)。

あくまでイベントはパーティーだから、楽しむためにあると思うんです。だから、多少 DJ がミックスをミスしてズレたりしても、そういうのでひかないください(笑)。針が飛んでしまったり、音が止まってしまったりとかのいうハプニングも含めて楽しんでもらいたいって思いますよ。そういうハプニングがあったときにガッカリするよりも「おいおい、ドタンドタンいってるよ~!」みたいに笑い飛ばしちゃう感じのパーティーの方が良いムードだと思うんです。だから僕も DJ やる時は、たとえミスをしても落ち込まず「イエィ!」ってやっちゃうノリで楽しむように心がけてます(笑)。 今度、「 colorve 」というレーベルから DVD を発売するんです。このレーベルは「音と映像のパッケージ」というのがコンセプトで、今までにもヒロシ・ワタナベさん、 Dr シンゴのさんの DVD アルバムを出していて、僕の作品も出したいという話をいただいたんですが、メディアが DVD だというのを聞いて最初に思ったのが、自分のプロモーションビデオとかクラブで流れているような VJ 映像をパッケージングしてもおもしろくないなって思ったんです。プロモーションビデオだとどうしても音楽が主役になっちゃうし、VJ って考えると素材っぽすぎる。だったら映像クリエイターを主役にした作品にしたらおもしろいんじゃないかっていうアイデアが出てきたんです。ふだん、映像をやってる人たちなら、クラブで VJ をやる以外にも絶対に別のアウトプットの仕方を持っていると思ったから、そういうのをやってみません? みたいな感じでお誘いしたんです。

実際の工程としては曲ありきで、それに映像作品をかぶせていったんで、結果的には僕のプロモーションビデオに近いのかもしれないんですけど、意図としては映像作家さんの作品に僕の音楽が使われているっていう形にしたかったんです。だから、曲のコンセプトうんぬんっていうよりも、曲を聴いてもらって何を想像するのかっていうのを大切にしたかったんですよ。聴く人によってはまったく解釈の仕方が違うと思うので「そうくるか!」ていうところを個人的には楽しみたかったんです。自分の作る曲に関しては、 DJ で使いたい曲とは違って自分自身のオリジナリティーを優先します。実際に僕の DJ からは想像できないような感じのものですね。 僕は「ニューディール」って名義で作品を作っているんですけど、この名前の由来って例の学生の頃のインチキバンド名なんですよ ( 笑 ) 。ヒトシ・オオイシとこれを使いわけてるのって DJ なら個人名でもイイと思うのですが、作品を発表するには、個人名よりアイコンとなる表記や記号が欲しかったんです。今後作品をリリースするときは自分を取り巻く不特定多数のプロジェクトとして「ニューディール」があると思っています。