INTERVIEWS

RUDEBWOY FACE

中2の時っすね。友達とスケボーやるときラジカセで色々かけてて・・・。パンクとかヒップホップ、あとレゲエもあったんだけど、その時は正直ピンとこなかった。で、母ちゃんの知り合いがジャマイカ土産でくれたビッグ・ユースのCDで初めて衝撃を受けたんですよ。なんじゃこりゃあああああ!と。それ以来もう、レゲエ一筋ですね。 間違いないですね(笑)。俺も完全に聴き方変わりましたから。で、小遣いも全部レゲエにつぎ込んで。地元のHMV、タワレコ、あと古本屋に通って。 7インチがあったんですよ。あと、『レゲエ・マガジン』のバックナンバーを集めてたから。まだサイズが小さかった頃のとか。手に入るだけ集めましたね。 とにかくレゲエDJになりたくて。デモ作ってあちこちに送りまくったりしてましたね。日本語でも出来るんだ!って思ったのは、ランキン・タクシーとその仲間たちのアルバム(コンピ『ダンス・ホールから墓場まで』)を聴いてからですね。 最初はレゲエのダンスとかじゃなく、当時流行ってた高校生のパーティーで。工場を改造したクラブで、自分の持ってきた皿を回しながら歌ってました。 そうっすね。2年かな?“モダン・コネクション”で。最初の目標が7インチを出すことだったから、とにかく嬉しくて。CISCOで箱買いしましたよ(笑)。 TASTEEのダンスのラバダブで歌ってたところにCORN HEADがやって来て。シングルにも参加したり。最初はそんな感じでつるんでましたね。 いや、最初はドクター・ヴァイタミンとか適当な感じでしたよ(笑)。で、パン・ヘッドのアルバムを聴いてて、カン高い声質だし、俺とはタイプは違ったけど、何か惹かれるものを感じて。死んじゃったし、その名前を貰おうかなと。 でも、最初は言われまくりましたよ。やめとけ!って。年も一番下のガキだったし。でも、意地でも変えなかった(笑)。今に見とけよ!と思ってたから。 がむしゃら、ッスね、まさに。とにかくレゲエが何よ好きで、自分が一番カッコいいと信じて。何言われようと自分を信じてやり続けるしかなく。 それと、自分で言うのも何なんですけど、一回もフラップしたことがないのは大きいかな、と思ってて。 そう言われるのは嬉しいですね。何せ俺にとって一番の見本なんで。あと、OZROSAURUSのツアーもヤバかったですね。ヒップホップもレゲエと同じストリート・ミュージックだから、濃い形でリンクできる。横浜の土地柄からも。 1stは凄えハードコア。トラックメイカーとかヒップホップの人たちが多かったから、よりハードコアになった。2ndは、より聴きやすいハードコア。 ありがとうございます!もっと色んなヒトに聴いてもらいたいな、と思って。 ですね!(笑)。で、あそこで名前を呼んでる全てのDeeJayを知って欲しい。ジャマイカ行く度に、あーホント俺ってレゲエ・マニアなんだな、と思うし。 ジャマイカでPVもかかってたみたいで。リリックでも言ってるニンジャマンもラガラガ歌ってたのには上がりましたね。 そうっすね。常に、予測できないスタイル、リディムでやるのがラガだと思うんで。トラックも生(バンド)と打ち込みのいい割合でやれたし。 違った意味でコアな(笑)。その筋の人たちからは、俺はパンクみたいで。 そう“夢”がテーマなんですよ。俺自身まだ金持ちじゃないし、夢の途中だから自分に言い聞かせてるところもあり
ますね。どの曲にもメッセージはある。 今回が初のメジャー盤なんですけど、逆にライヴ活動的にはアンダーグラウンドにより一層力を入れたいですね。「横浜ラバダブ・スクール」を含め、いわゆる営業以外でもしっかりスキルを磨き続けたい。そろそろブームが去るとかどうこうといった噂もあるけど、そうした現場を固めてさえいれば揺るがないと俺は信じてるんで。志願者たちへは、そうっすね・・・俺を抜くのは簡単かもしれないし、難しいかもしれない。でも“自分が一番”というのがラガの基本だから、そう信じて、ひたすら努力するのみ。すべては自分次第。それしか言えないっすね。