そこで価値観ががらっと変えられて、神奈川に出てからバイトしつつ夜遊びしたり、レコード買ったりの日々。そうしたら、ある時、ロンドン留学から一時帰国した友達が“ 遊びにおいでよ” って。当時、ハードコア・テクノが全盛の時期で、表立ってやってるハウスのパーティはゲイ・ナイトくらいだったんだけど、そんなロンドンの街に飛び込んでいったんだ
大人が遊びに来てて、毎回顔を合わせる連中は月を追うごとに顔がトロトロになって、ダメダメになっていく奴らばっかりだったんだけど(笑)、他のパーティとは全然違ったよね。ハーヴィーのプレイはムラがあったけど 、最高な時はフリーキーで本当にスゴかった。集まっている人たちが楽しむっていう一点に向かって意識が統一されていて、余計なことを考えずに没頭出来た。ただ、当時は後に語り継がれるパーティになるとは思いもしなかったけどね
(高橋)透さん、NORI さん……DJ みんなのいらなくなったレコードが¥500 とかで売られていたんだけど、当時のダンス・ミュージック・シーンって、トニー・ハンフリーズとかティミー・ レジスフォードに象徴されるUS ハウスに傾倒していたから、80 年代後半から90 年代初頭のアシッド・ハウスだったり、トラックものが山のようにあって、それがホント面白かったし、色々教わったよ。あと、DJ としては、ラリー・レヴァンが最後に来日した“HARMONY TOUR” のフランソワ・ケヴォーキアン。あの時の彼は本当に凄まじいプレイをしてて、その衝撃は今も脳裏に焼き付いてるね
当時、EMMA くんが借りてたマンションの一室をMALAWI STUDIO と名付けて、持ち寄った機材で漠然と曲を作り始めたのが最初かな。俺はTR-909 でリズムを組むことから始めて、その後、太郎くんから託されたAKAI のサンプラーS3000 を三日三晩寝ずにいじってマスターしたことで、トラック制作の理解が一気に深まっていったんだ
横目でMALAWI ROCKS がメジャーになっていく様を見て、羨ましいなとは思いつつ、自分がやってるパーティも本当にやりたいことをやって、それを受け入れてくれる人たちもいてくれたから焦りはなかったし、群馬で楽しくやれればいいかなって。レコード・ショップに勤める前は週末にみんなで集まって、都内にレコードを買いに行ってたんだけど、その後、高崎にESS レコード、桐生にR レコードってお店が出来たり、前橋にNY から直でレコードを入れてたEBONY SOUNDS というお店があって、そこの品揃えは恐ろしく良かった。その後は自分で店もやってたし、ネットでレコードが買えるようになったから情報格差は感じなかったよね。クラブは、桐生にLEVEL 5 があるし、高崎にWOAL、太田にも昔だったら、ちょっと大きめな浜町ホール、今だと倉庫跡地に出来たRAISE、あとDJ バーもある。この辺は車社会だから、みんな遠出して遊びに行くんだよ
音楽制作はしばらくブランクがあったんだけど、2002 年のある時、PC で曲作りを始めようと思って。そこから量産が始まるんだけど、定期的に出来た曲を(レーベル・オーナー兼DJ の)CHIDAくんに渡していたら、2006 年の始めに出来た“Morning Mist” をきっかけとして、今回のアルバムの話が始まったんだよね
ロックとアシッド・ハウスを並行して聴いていたし、ロンドンでは“MOIST” に通いつつ、ハードなテクノでも遊んでいたり、常に色んな要素が共存していたんだけど、そういう自分でもいいんだって思えたことで、逆に原点に立ち返ることが出来た。さすがに高校生の時に聴いてたJesus & TheMary Chain が2000 年を越えて聴けるようになるとは思わなかったけど、そういうオルタナティヴな流れは自然に受け止めることが出来たし、いらない壁が取っ払われて、また一 段、音楽が面白くなった感はあるかな
このアルバムって、実は3 回くらい選曲と形態が変わっているんだけど、その過程でもある人との出会いがあって。そこで自分の考え方が大きく変わったんだけど、それは埼玉の東松山に住んでいる CARI さんっていう人で、その人の音源をmyspace でたまたま聴いてベタ惚れしちゃって。すぐにコンタクトを取って、いきなり押しかけちゃったんだけど、その人のスタジオっていうのが倉庫一棟を借り切って、その中に1 箱作ってあったんだけど、アナログ卓とJBL の素晴らしいスピーカーがでーんとあって、プライベート・スタジオにしては十分すぎる設備、それから、その人なりにこだわった出音ががっつり出ているし、すごく立体的だったのね。そこで自分の音も聴かせてもらったんだけど、あまりにショボすぎて、これはダメだ、と。そこで ミックス・ダウン環境の大事さに気付かされて、加えて現在オヤイデ電気に務めている太郎くんからアドバイスを受けて。今回ミックスをした"Studio PINK NOISE" の電源周りとケーブルをオヤイデ電気のもので制作環境を整え直して、ほとんどの曲をミックスし直して、今の形に落ち着いたんだよ
連れて行きたいところがあるんだ。この辺は面白い場所が多いんだけど、ここ最近は子供の頃に遊んでいた場所の再発見にハマってるんだよ
曲単位で聴かれるご時世だけど、自分はアルバムを通して、何を伝えたいかを聴くし、そこで自分の感情の変化を楽しむんだけど、そういう物語性は大事にしたいかな。一晩遊んでも、色んな感情があって、楽なところだけじゃないと思うし、今の社会も両手放しで幸せを謳歌出来る状況ではないじゃない? そういう意味でこのアルバムには色んな感情を詰めこむことが出来たと思ってます
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