INTERVIEWS

Bodycode aka Portable

これは前回のアルバムの続きなんだ。Bodycodeのアイディアというのはその時々のダンスミュージックの解釈を表しているんだ。何年か前にミニマルが時代の音だったのと対照的に、前回のアルバム" Conservation of electric charge "ではその時の音というのはハウスミュージックだった。だから今回のアルバム“Immune”では僕のアフリカの観点から解釈したハウスミュージックを表したかったんだ。アルバムタイトルの“Immune”というのはタイトルトラックで僕が歌っている" nothing in this world is immune from change " (“この世に変化に免疫のあるものは何もない“)からつけたよ。その時ちょうど3年間住んだリスボンからベルリンに移り住むことを決めた時だったからそれに関連しているんだ。 そうだよ。空港で待ってる間にフライトのアナウンスが流れて、ちょうどレコーダーを持ってたから録音したんだ。実はその日の日本のギグで早速使ったよ!日本語のサウンドは音楽的で大好きだね! 実は前にヴォーカルを使っていろいろやったことはあったんだ。でも音楽をやり始めた当初でずっと前になるね。彼女の声はyore recordsからBodycode名義でリリースしている" body to body"というトラックで使っているよ。 僕のアフリカの血筋というのは僕の音楽の中ですごく重要な役割を果たしているんだ。アフリカンミュージックのリズムというのは最も重要で、例えばどんどん成長していく木のバックボーンのようなものなんだ。僕はそんな風に自分のトラックを構成させたくて、全ての音の中から共通のパターンを探してそれを織り込むように作りあげるんだ。音のカーペットのようにね。 そうだね。ルーツはアフリカで育ったことから来ているよ。いつもアフリカの音楽とリズムの中にいたからね。 僕は南アフリカの黒人居住区のケープタウンという町で育ったんだ。ちょうどアパルトヘイトの強圧政権の時だよ。僕がティーンエイジャーの頃、南アフリカは孤立していたけどそれでも初期のシカゴハウスミュージックが手に入ったり、いいパーティーがあったりしたんだ。それが僕が最初に受けた影響だったね。
好きだったことは天気がいいことと人が楽天的なところ。嫌いだったことは世界の他の国々から隔絶しているところかな。 一番の理由はいろんな文化とライフスタイルの中で音楽的に影響を受けたかったからなんだ。ロンドンは都会的で多文化な町だからそういった影響を受けたかったし、リスボンには海と自然、アルバム“Immune”にもあるように、それを自分の音楽に取り入れたかった。ベルリンは音楽とアートの町だね。しばらくそれもいいかなと思って引っ越したんだ。 難しい質問だね。ヨーロッパのシーンはシーンの中にシーンがあって、またその中にシーンがあるからね。でも全般的な答えでいいなら、いろんな文化が混ざってひとつになってるのでとてもいい感じだと言えるね。 どこに行っても印象的なことがあるんだけど、日本に関しての話をすると、
何年か前に初めて日本に行った時に大阪のClub Rocketsでライブをした時なんだけど、日本とヨーロッパの電圧が違うのをすっかり忘れてコントローラーをそのまま繋げちゃって、突然コントローラーから小さな火と煙が出て爆発しちゃったんだよ。そのコントローラーはその時に初めて僕を日本に呼んでくれたプロモーターの福田エイジ君に大阪みやげであげて今でも日本にあるよ。 そうなるね。Yellow等のすごく良いクラブがクローズしてしまったことを考えるとよくわからないなぁ。間違いなく言えることは日本の人達は例外にもれることなく歓迎的だということ。ファンの人達はいつも僕のライブセットに良い反応をしてくれるので励みになるよ! 結構単純な話なんだけど、PerlonのオーナーのZipがSudelectronicから出たPortableのアルバム“Powers of ten”を聞いて、何か彼のレーベルから出せる曲はないかと聞かれたんだ。その時ちょうど制作していた曲がPerlonからリリースされたんだよ。 今までたくさんのリリースをしてきて、以前の作品から今のものまでをよく聴くんだけど、そうすると自分の進行を見て感じ取れる。それをすることによってなぜ自分が曲を作るのかという理由を気付かせてくれるね。 一種のセラピーで瞑想のようなものだね。ライブをすることで世界中を旅しながら音楽をみんなと共有して、その上まともな暮らしもできているんだから本当に幸運だと思っているよ。 今はPerlonからリリースするPortable名義のアルバムを製作中だよ。