INTERVIEWS

Jeff Milligan

自分の影より早くDJミックスできるかどうかはわからないけど、けっこう速いと思うよ(笑)。何をどういつミックスしたいのかっていうのがわかっているなら、素早くできるほうがいいよね。でもDJとして、ミックスするスピードがただ速けりゃいいというもんでもないよ。ときにはレコードを聴かせる時間も必要だろうし。まあ僕のミックスが速いというのは事実だけどね。 みんなからそう言われるんだ。僕は今32歳で13歳のときにDJを始めたんだけど、そう考えると20年くらいやってることになる。高校生のときは社会とはまったく関わらない生活をしていたんだ。というのは、学校で過ごす以外の時間は、すべてレコードをミックスすることのみに没頭していたからね。学校から帰宅してからは、何かにとりつかれたかのようにミックスの練習ばかりしていた。それも毎日毎晩、ベッドに入るまでだよ。実際、僕くらいの歳で世界ツアーをしているDJ達は10年くらい経験があるのが普通だと思うんだけど、僕はその倍の20年してるんだ。彼らより少しだけ経験がある分、僕のDJに反映されてると思うんだけどね。もう1つ言いたいのは、3台、4台のターンテーブルを同時に操ることは、人が考えるよりそんなに複雑じゃないんだ。ちょっとトリックがあってね、秘密なんだけど(笑)。見た目よりもはるかに易しいと思うね。例えば2つの音楽を同時に聞き分けるように耳を慣らしたとして、次に3つの音楽を聞き分けられるようにするのは、ワンステップだよね。同じような感じで、片方の目で一方向を見て、もう片方の目で別の方向を見る練習をするとする。たぶん時間はかかるだろうけど、20年続けたらできるようになるんじゃないかな?ははは。

その他の理由として僕がテクニカルであるというのは、おそらく北アメリカにおけるDJの歴史も影響してるんじゃないかな。僕はカナダのトロント出身なんだけど、トロントはシカゴやデトロイト、ニューヨークにも近い場所なんだ。これらの都市は、アメリカのDJカルチャーを生み出した場所と言ってもいい。だから僕の育ったトロント付近出身のDJはみんな高いテクニックを持っているし、ミックスにしてもテクニカルなアプローチをするね。そういう視点から見ると、ヨーロピアンはあんまりテクニカルじゃないね。日本人は結構テクニカルだと思うよ。シカゴ、デトロイト、トロント、モントリオール、つまり地図上では五大湖周辺の直径1000キロ以内のすごく隣接してる地域から、北アメリカの電子音楽はスタートしたんだ。おもしろいことにアメリカ/カナダ出身の DJやプロデューサーの90%以上が、この小さなエリアの出身者なんだ。例えばJeff Millsとかね。DJになりたい人がたくさんいて、その分競争も激しい。だからみんなと違うことをやったり、相当努力しないとそこでは目立つことはできないんだよ。そういう環境だと自ずとスキルも高くなっていくよね。 僕はビートルズの大ファンだよ。ジャンルはまったく違っても、音楽に対する基本的な取り組み方だとか、哲学だとかっていうものは、ビートルズの影響をかなり受けたね。実際1960年代では、ビートルズはすごく革新的でその頃にしてみれば常識を打ち破る音楽だった。ビートルズのエンジニアやプロデューサーは今まで誰もしなかったようなミキシングやレコーディングをしていたのだから。僕はビートルズの作品はもちろんのこと、彼らのレコーディングテクニックの虜になってしまった。音楽もメロディもすべてのコンビネーションが最高以外の何ものでもないね。

ただ、ビートルズが僕の記憶に深く刻まれることになったきっかけには、ちょっとしたエピソードがあるんだ。中学3年生のときのことなんだけど、音楽の教室にビートルズの「Revolver」の特大ポスターが貼ってあって、授業になるたびにそのポスターをずっと眺めてたんだ。それで授業に集中していないようにみえたからかどうか理由は定かではないんだけど、音楽の先生は僕のことが大嫌いで、仕舞いには僕を音楽のクラスから外してしまった。忘れもしないけど、日本人の先生だったよ(笑)。僕は納得できなくて校長先生のところに出向いて、音楽のクラスに戻してほしいと抗議したんだ。結果はNO。もう一度音楽の先生のところに行って、どうして僕が外されなきゃいけないのか聞いたんだ。そうしたらこう返ってきた。「ジェフには音楽の才能はまったくないんだから、あなた自身の時間を無駄にするな。私の時間を無駄にするな。生徒の時間を無駄にするな。あなたの両親の時間を無駄にするな」と。僕はその時14歳だったんだけど、子供ながらに相当ショックで、絶望に打ちひしがれたね。だって、僕はこれから音楽の世界に入ろう、入りたいと思っていたんだよ。それからというもの、エレクトロニックミュージックとターンテーブルにさらにのめり込んでいった。音楽の先生が言ったことは間違ってるんだ、と証明するために生きようと決心したね。そして、ビートルズの「Revolver」のポスターが常に頭から離れなかった。僕のレーベルが「Revolver」というのは、そういう経緯があったからなんだ。今、その日本人の先生はどこでどうしてるのか知らないけど、僕のアルバムとフライヤーを山ほどパックにして送りたいね。「どうだ、君の言ったことは間違ってただろ」ってね(笑)。 どうしてかってよく聞かれるね。ブラチスラバに住んでることが、よほど変わってると思われてるんだろう。それはホントだね。現に欧米の先進国出身で旧共産圏に住んでる人は僕も自分以外周りにいないし。理由はたくさんあるんだけど、初めのきっかけは友達が居ることだったね。それに世界中を飛び回る生活をしているから、常に「家なき子」状態。どこに住んでても家を空けてることがほとんどで、家賃がもったいないから物価の安いところに住むべきだと思った。その点、スロバキアは物価も家賃も安くて経済的。国際線の飛行機はウィーンから乗るんだけど、ウィーンまで1時間ほどで行けるから便利だし、地元のブラチスラバの空港もヨーロッパの主要都市への路線が充実してて、ロンドンやパリにもすぐに飛べる。家から空港は5分で行けるんだ!だからツアースケジュールを管理しやすくなったね。利便性は最高だよ。

もう1つの理由は、不思議に思われるかもしれないんだけど、スロバキアには音楽カルチャーが全然ないから。僕は週末はだいたいパリ、ベルリン、ウィーンなど、賑やかで音楽が盛んな場所で仕事をしているから、それ以外の時間は静かに暮らしたいと思ってるんだ。音楽を作るためには、そこらじゅうに音楽が溢れすぎてない場所がいいし、自分の集中力を妨害するものがないほうがいい。雑音がないほうが自由に音楽が書けるってことかな。ブラチスラバの僕の友達は、僕がやってることにもあまり関心がないし、音楽とは関係ない仕事をしてる。そのほうが違う観点から物事を見ることができるんだ。それに僕は前から東欧に興味があった。共産主義が崩壊したあと、どうなっていくのか、後進国だったのが急成長を遂げていく様、アートやカルチャーが発展してゆくところを目の当たりにできるっていうのは、すごくおもしろいんだ。それはダイナミックで、新鮮で……、僕もその一部になれたらいいなと思ってるよ。西ヨーロッパの人たちは東側の国に対して偏見を持ってることがあるんだけど、僕はそれを変えたいね。東側のカルチャーシーンの成長を助けたいし、リードしていきたいと思ってるよ。 今回は札幌、釧路、新潟、東京、京都、大阪、福岡の6都市なんだけど、毎回東京ではイエロー、大阪ではロケッツ、京都はメトロ、札幌はプレシャスホールでプレイするね。昨日福岡にいて、その前の日は釧路でギグしてたんだ。まさに北から南へ日本縦断だろ?確かに釧路や福島、弘前などの小さな都市でプレイすることもあるよ。理由は、そこにはエレクトロニックやミニマルにハマってるクルーがいるから。例えば、釧路にはすごくグッドな連中がいるから、僕は彼らのためにプレイしたい。そして釧路のクルーは札幌のクルーともつながってる。小さな町は僕がやってるような音楽を根強くサポートしてる人間たちが集まってくるからね。大都市だと、ワケがわからずに来ている、いわゆるパーティーピープルもいる。それも全然悪いことじゃないんだけどね。そこから僕の音楽に興味を持つ人だっているかもしれないし。たまにダンスフロアを見てると、パーティーピープルからオタクまで、ある意味両極ともいえる人たちが、同じ空間で踊ってるのを見て、なんだかピースな気分になるんだ。