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沖野修也

音楽の専門用語で言うと、8分のオクターブ奏法というベース楽器の演奏形態があるんですが、その中でも8分音符2つに16分休符、付点8分、プラス4分音符というベース・ラインがあって、これがブギーの代表的なパターンというものです。こう言うとわかり辛いのですが、口ずさめば「ダッ、ダッ、ズ、ダッ、ダッ」とか「ダッ、ダッ、ン、ダッ、ダン」というベース・パターン。16ビートの一種ですね。そういった音楽用語に明るくない人にわかりやすく説明すれば、僕にとってのブギーというのはジャズ・ミュージシャンがやったディスコなんです。 そもそも『United Legends』を作った時、起用したプロデューサーのPhil AsherやSeijiが割と80sブギーやエレクトリック・ファンク的なアプローチをしたトラックを作ってきたんです。そういったサウンドはもともと僕のプレイするレコードのアーカイヴの中に属していましたけど、それほどメインのものではなかった。あの頃は四つ打ちのハウスだったり、ブロークンビーツの中でもアフロ的なアプローチでハウスにリンクするものが多かった。でも、彼らが提示してきたそれらブギー調のものは、そうしたハウスの間に入れても収まりがよく、アルバム・トータルで見てもしっくりとハマったと思いますね。
で、その後にSLEEP WALKERを起用して『Replayed by SLEEP WALKER』というリミックス・アルバムを出しました。原曲のエレクトロ・ブギー・ハウスが一変してスピリチュアル・ジャズのようになったのを見て、『United Legends』の世界と『Replayed by SLEEP WALKER』の世界を1枚に融合できないかな、と考えたのがそもそもの出発点ですね。それがヒントになってブギーとジャズを合体しようというアイデアが生まれたんです。 もちろん、それはありますね。Dam-Funkは僕がやっているThe RoomでDJをやってもらったこともあるし、彼の音楽は好きですよ。ジャズ・シーンの流れを見ると、2000年代後半にそれまでのブロークンビーツが沈静化してからのジャズDJは、例えばHenrik Schwarzのようなヨーロッパのディープ・テックやミニマル系に行ったり、それともダブステップの方に行ったり、あるいはよりハウスに傾倒するとか、いろいろとスタイルが分かれましたね。僕自身を振り返ると、リエディットものを通じて改めて旧譜に回帰しているのかなと思います。The Roomっていう小箱の特性もあるし、『Wah Wah』っていうパーティーをやっている黒田大介さんやSounds Of Blacknessの関徹さんと一緒にイベントをやるようになり、よりその傾向が強まったんでしょうね。
新譜はいろいろと出てますが、かつてのフューチャー・ジャズ、ブロークンビーツの時代に比べて僕の心に響くようなものが、正直なところあまり多くない。そうしたものへの反動もあって旧譜を改めて見直して、それがブギーやディスコだったわけですね。昔のディスコのリエディットものを新譜のような感覚でプレイしたりとか。 そうですね、彼らはまさに掘り氏を代表する存在ですが、以前僕のラジオ番組にTodd Terjeが出演したことがあって、彼もネタの引き出しが広いんですよ。プレイしたのは全て彼がリエディットした旧譜音源だったのですが、僕が知らないものもあるし、僕が知ってるものでもそのエリエディットで聴こえ方が全然違う。そうしたことも凄く参考になりましたね。一方、Theo Parrishのイベントに遊びに行くと、全然ハウス系をプレイせずに完全にダンス・クラシック・オンリーの時間があるんですが、そのかけ方がうまいし、ピックアップする選曲にも妙があると言うか。また、生音とエレクトロニック・ミュージックの混ぜ方にも独特のものがあるし。
考えても見れば、もともとアシッド・ジャズ以前の僕らって旧譜中心というか、旧譜しかかけるものが無かったわけで、気分的にはその頃に戻っているところもある。もちろん、ただ単に旧譜をかけて昔を懐かしむのではなく、新たしくエディットされてたりとか、今の空気を伝える部分が必要なところだと思いますね。 コンセプト的には前作は起用したプロデューサーにサウンド面はある意味でお任せ的なところがあったのですが、今回はその辺りは人任せにせず、ROOT SOULの池田憲一と共に最初から最後までじっくり煮詰めて作りましたね。サウンド面では「ジャズ・ミーツ・ブギー」という大枠を設けながらも、その中でヒップホップだったり、Dam-Funk的なエレクトロ・ファンクだったり、テクノだったり、ディスコ・ダブだったり、いろいろな方向に伸びていくような現代的な音楽にしました。例えばDivinitiやPiranaheadとやった「Sun Will Rise」は、もともと2年ほど前のエスペシャル・レコードのコンピ『So Especial』のために作ったものですけど、それをそれこそTodd Terje的な解釈を取り入れて自分でリエディットしてみるとか。
Eddie Russの「Take A Look At Yourself」もDivinitiやPiranaheadに参加してもらってカヴァーしましたが、これは原曲のベース・ラインを弾き直して、そのフレーズを延々とループさせています。そこにはデトロイトのテクノやビートダウンの手法を視野に入れた上でのジャズとブギーの融合があるわけだし。曲ごとにどういったサウンドにすることによって現代的になるか、その検証はしっかりと行いましたね。ジャズ・ミーツ・ブギーと言ってもひとつのパターンに固執するのではなく、ジャズとブギーに何かをプラス・アルファしていろいろなサウンドのヴァリエーションを見せながら、全体としてそれが提示できればいいなと。 前回は敢えていろいろなプロデューサーを起用しました。それは、DJっていろいろな他人の曲を集めて自分の世界を作るわけじゃないですか。だから、DJ出身のプロデューサーである僕がそうした複数のプロデューサーにサウンドを任せるのは、ある意味で理にかなったやり方であると思ったからです。プロデューサーの人選次第でアルバム全体の統一感の有無も決まりますし、僕としてはそこを含めてトータルなものを作ったと思っています。ただ、実際にこの作品に関して、まるでコンピを聴くような気がするといった外部やリスナーからの批判や指摘があったのも事実です。それもあって、今回は1人のプロデューサーに全てを託すやり方を取りました。
誰がいいかなと考えた時、池田憲一はブギーを理解しているし、僕がプロデュースしたアーティストに逆にプロデュースされるのはどういったものかという興味もあり、彼に決めました。また彼はベーシストというミュージシャンの視点があり、プログラミングやエディットもやるクリエイターとしての視点もあるので、今回のような音楽を作る場合に最適な人物でもあったからです。 『United Legends』は最初の段階からオリジナル曲でいこうと決めていました。それは沖野修也という人間の作曲家としての立ち位置を明確にしたいという命題があったからです。DJ出身のプロデューサーにも、例えば監督スタイルでプログラミングもしないし曲も書かないけど、プログラマーやヴォーカリストと協力して組み立てていくタイプ、ドラム・パターンだけ作ってキーボード奏者やヴォーカリストを連れてくるタイプ、トラック全てを作ってラッパーだったりシンガーなどを呼んでくるタイプといろいろあります。どのタイプが良い悪い、優れているか否かということではなく、いろんなスタイルがあっていいと思います。KYOTO JAZZ MASSIVEの場合、弟の好洋がプログラミングをしてトラック・メイクをし、僕はメロディを書いたり全体の方向性をディレクションするという役割分担でやっています。
一方、『United Legends』はソロ・プロジェクトだから自分の中の作曲家という側面をアピールしましたが、もちろん今回もその部分はありつつ、もう一度DJとしての立場も振り返ったんです。DJには当然ながら選曲のセンスが必要であり、その選曲能力をカヴァーという形で表現し、一方のオリジナルでは作曲能力を表現し、1枚の中でその両者を対比させたということになります。 そうですね、オリジナル曲の知名度でセールスを稼ぎたいという発想はそこにはないですね。それと、僕の場合はカヴァー曲とオリジナル曲との対比により、僕の作曲家としての才能を皆さんに判断していただくという命題もあり、むしろ過去の偉大なレジェンドたちに対して作曲家として挑んでいく、そういったチャレンジのアルバムであるわけです。 基本的にヴォーカリストを決めて、それに沿って曲を決めたり作ったりしました。5人のうちNavasha Daya、Clara Hill、Divinitiは結果として『United Legends』に引き続いて歌ってもらいました。『United Legends』では彼らと会うことなく、メールのやり取りだけでどれだけソウルフルな音楽ができるかというチャレンジを行いましたが、その後にライヴやツアーで彼らを呼んで一緒にやる中ではやっぱり絆とか連帯感が生まれ、「次も一緒にやろうね」と声を掛け合っていたんです。そういった関係は大切にしたいから、Piranaheadも含めてこの3人には今回もお願いしました。N’Dea Davenportとはかれこれ20年ぐらいの知り合いだったのですが、実は一度も共演したことがなくて。でも、ここ最近彼女が頻繁に日本に来るようになって、僕の家にも滞在したりすることがあったんです。そこで、これも折角の機会だから一緒にやろうという話が盛り上がって。Pete Simpsonは彼がDomuのプロデュースで『Look A Little Further』というアルバムを2007年に出して、その時のプロモーションで来日してThe Roomでライヴをやったことがあったんです。その時に一緒にやりたいなという話はしてました。 確かに、あの時は世界のフラット化だとかアウトソーシングといった概念が進んだ頃であり、音楽の世界もそれに対応する姿を摸索すべきかなという考えもありましたね。また、それはKyoto Jazz Massiveではそれまでやってこなかった手法でもあり、僕の個人プロジェクトであるからそうした実験もできるかなと。2004年にSLEEP WALKERがPharoah Sandersと共演して「The Voyage」を録音し、それからMETAMORPHOSEのステージでもライヴで共演したのを観て、「やっぱり生身の人間が顔を合わせて一緒に音を出すのに勝るものはないな」と感じました。それが僕の根底にあったからこそ、それとは真逆のやり方で音楽を作ってみようとトライしたわけです。
で、一度それを完結させて、ツアーに出てシンガーたちと一緒にやって「やっぱり生はいいな」と思い、そうした具合に振り子が戻ったとでも言うべきか、今度はまた改めて顔を合わせて音楽を作ろうと思ったわけです。Navashaとかは物理的に会うことができなかったからデータ交換になりましたが、絆という点では前作の頃に比べてずっと深まっているので、より密なコミュニケーションができたと思っています。 僕は『United Legends』を否定しませんし、あれはあれで好きなアルバムだと思っています。でも、今回やって思ったのは、絆があって生まれる音楽というのは説得力の部分で違うものなのかなと。同じ人と再度やることについて、外部からは「もっと新しい人とやってみたら」というような声もありましたけど、僕としては同じ人と絆をより深め、その中で音楽をより深く掘り下げたいという気持ちの方が勝りました。コンセプトだったり、歌詞だったり、歌い方だったり、彼らとそれらについて意見を出し合い、もっと練り込んでいきたいと。
メロディは基本的に僕が出したものに沿って忠実に歌ってもらってはいますが、例えば「Destiny」と「Deep Into Sunshine」のタイトルと歌詞はN’Deaが考えて、それに至るコンセプトについてかなり話し合いを行いました。20年間の付き合いがありながら共演したことがなく、そして今回初めて一緒にやるという運命的なこと、それを「Destiny」の歌詞に託して欲しいといったこと、「Deep Into Sunshine」の「Sunshine」は一般的に明るくてポジティヴなイメージだけど、そこに敢えて「Deep」という暗いイメージの言葉を付けて、単純にポジティヴなだけではない感情の裏表を表現して欲しいとか。Peteに関しては曲のキーとかについて指示を行い、曲の精度を上げるために簡単にOKとはせず、ある意味心を鬼にして歌い直してもらったりとか。前回はほとんど任せっきりにしていた部分も、今回はダメ出しをしたりやり直してもらったり、精査を重ねて作品のクオリティを上げていきました。 ええ、「Love And Live」とかも何ヴァージョンか作ってます。ほぼ全曲に別ヴァージョンがあるでしょうね。「ジャズ・ミーツ・ブギー」というテーマがありつつも、曲ごとに表情は変えたいということで、全部が同じスタイルにはなっていません。だからそれぞれの曲について試行錯誤し、アルバムの中における役割や存在する意味を考え、その結果いくつかのヴァージョンが生まれたんだと思います。70年代後半や80年代前半のジャズ・ミュージシャンがやっていたディスコのリメイクをしたり、生演奏だった曲を打ち込みにしてシンセを今風にするといった単純なことではなく、それをモチーフにいかに独自の個性があって現代的な曲を作れるかということなので、「Love And Live」や「Deep Into Sunshine」などはテーマを土台にしつつ、逆にそこからどこまで離れて進んでいけるのか、そういったことにも取り組みました。 それには2つあって、まず今のクラブ・ジャズ・シーンに対して違った方向性を打ち出したいと思いました。SLEEP WALKER以降、SOIL & “PIMP” SESSIONS、quasimodeとバンドはいろいろと出て活気がありますけど、ことDJについて言うといわゆるクロスオーヴァー系と言われるスタイルについてはあまり元気がない。バンドというあり方を否定するのではなく、僕はそれはそれで好きだし、いいと思うけれど、DJとしての打ち出し方や捉え方はまた別のところにあると思います。2000年頃はブロークンビーツがあったけど、それ以降はこれといった方向性をDJサイドがあまり提示してきていないなと思うので、ここで沖野修也が考えるクロスオーヴァーなスタイルを改めて提案することにより、今一度活性化していきたいと思っています。
もうひとつは、これはクラブ・ミュージック全体についてのことですが、ここ数年アルバム単位で聴くことのできる作品って少なくなっているなと思うんです。DJという人種はアルバムではなく曲ごとにジャッジをして、プレイできるか否かを判断しています。それと矛盾しているかもしれませんが、僕自身はアーティストや作品の価値基準をアルバム単位で判断しています。そうした点では、個人的に満足できるアルバムに最近は出会う機会が減っている。これは僕が決めることではなくて聴いた人に判断してもらうことなのですが、だからこそ自分ではトータルで通して聴くことのできるアルバムにしたつもりですし、1曲も手を抜くことなく全体のクオリティを高い位置で保って作りました。 僕は基本的にDJであり、音楽家であると思っています。だから、そうした課外活動も何かしら音楽との関わりがあるもので、音楽を普及させ、音楽を楽しんでもらう環境について啓蒙したり、空間をプロデュースしたりということなんです。ただ、今回のアルバムの内容について僕の著作『フィルター思考で解を導く』の中で紹介したのは、僕の考え方というものを世の中に伝えられるいい例になればということでした。そこでは単純に楽曲のメロディを聴いてもらえたらということではなく、音楽の作り方にもこんな方法があり、それが他の分野でも役に立つことがあれば嬉しいなという想いからです。音楽を入り口に、何か発信ができればということですね。
僕は音楽を作ることはずっと好きですし、これからも止めないと思います。ただ、現在の音楽業界については懐疑的なところもあり、これでいいのかなという想いはありますね。今は業界全体の調子が悪く、なかなか明るい出口が見えません。だからと言って皆が沈んでいるわけにもいかないし、例えばCDとかのセールスが不調であれば、それとは違った形で音楽をアピールしていくことも必要です。それがイベントだったり、著述だったり、従来とは別のチャンネルを使ってみるなど、いろいろと方法はあると思います。今はyoutubeで昔の音源をいろいろと聴けたり、無料で音楽をダウンロードできるサイトもあったりする。そうなるとリスナーの意識が昔とは当然変わってきて、音楽との接し方も変わってくる。CDを買わない、それを誰も責めることはできないと思いますし、だからと言ってレコード会社や流通網を批判すればいいのではない。今の時代に即した音楽の魅力の伝え方を、この世界にいる僕らが皆で考えて作っていかなければならないと思います。