INTERVIEWS

Roman Flügel

"Fatty Folders"の意味は明瞭であるべきではないんだ。それぞれのひとの解釈とファンタジーにまかせたいと思ってる。僕にとっての"Fatty Folders"の意味は僕のハードディスクにある、削除されることを待っているデータでパンパンのフォルダーを意味している。ハードディスクの中のフォルダーは"現実"の世界では別に"fatty"に見えるわけではないから、"現実"の世界からの連想を仮想世界にて書き換えたものなんだ。 このアルバムの制作には合計12ヶ月かかっている。でもこの12ヶ月間このアルバムの制作だけに専念していたというわけではないよ。この期間にプロデュースしたけれども、このアルバムに収録されていない、つまり他のリリースに収録されているものもあるし、毎週末のように公演で各地をまわったりもしてたから、結局アルバム制作期間が長くなってしまったんだ。でも結果的にはそれがプラスに働いて、それぞれの曲のキャラクター作りに深い影響を及ぼした。だから自分なりに有意義にまとめることができたと思っているこのアルバムは、さまざまな音色をもったトラックを収録しているんだ。 約3年前くらいになるかな、フランクフルトに新しく小さいスタジオをかまえたんだ。「Krautus」以外のトラックは全部このスタジオで作られたものだよ。「Krautus」はもっと前に僕のラップトップでプロデュースしていたんだ。 このアルバムで使用している楽器は全部自分で弾いたんだよ。もちろんピアノもね。残念ながら僕は"本物の"ピアノはもっていないんだ。僕が小さいころから持っているピアノは、僕の家のリビングルームにある。たとえば「Song with Blue」ではシンセでピアノのパートを弾いたんだけれども、フィルターで僕の好きなピアノの響きに近い音色に仕上げたんだ。もうすでに仕上がっているサンプルを自分の音楽には使わない。ループ素材なんかも使用しない。そのことによって、トラックひとつひとつにそれぞれのキャラクターが出てくるんだ。 僕の音楽人生にすごい影響をあたえたのがKraftwerk(クラフトワーク)のアルバム「Computerwelt(コンピューターヴェルト)」だったんだ。僕は11歳だった。小学校の同級生が僕にレコードを貸してくれたんだ。もちろんすぐにカセットに録音しなおした。僕はまだクラウトロックというものを知らなかったけれども、その音楽にはそれまで聴いていたイギリスのバンドの音楽からは聴いたこともなかった、奇抜で一風変わったものを感じたんだ。それからありとあらゆるクラウトロックと呼ばれるものを聴き漁っていったんだ。今日にいたってもKraftwerkはもちろんNeu!(ノイ!) , Cluster(クラスター)、 Can(カン)のファンだよ。「Krautus」は僕が勝手に作った言葉だよ。ラテン語の言葉の最後によくある"us"を"Kraut(ドイツ語読みでクラウト、キャベツを意味する。)"のうしろにくっつけたんだ。 僕のスタジオにはLogicとAbletonを搭載したコンピューターを中心に、さまざまなシンセサイザーとエフェクター/アウトボード、ドラムセット、ギターなどの楽器がある。全部の楽器をプロ並みに弾きこなせるわけではないんだけれども、やはり生楽器はクリアティヴィティーを生み出すには大事な素材だよ。最終的には全部の音アナログミキサーにいくように設定してある。 何年も前からDialのファンだったんだ。Carsten Jost(カーステン・ヨースト)のリリースを大昔にリミックスしたことがあって、それがPete(Lawrence)とDavid(Carsten Jost)(共にDialのレーベルオーナー)と知り合うきっかけになった。ふたりの、いい音楽やデザイン、芸術に対しての繊細な態度や心を奪われるような思いだった。そのうえ音楽に対しても幅広い知識と好みをもっていて、彼等の繊細なユーモアにも惹かれた。とにかく彼らとこうやって関われることはいろんな意味ですごくおもしろいことなんだ。 12歳のとき、いろんな楽器を集めては演奏することを趣味にししていた僕のおじからドラムをプレゼントされたんだ。僕がおじの家に遊びにいったときに僕がそのドラムを叩くのを聴いて、才能があると思ったらしいんだ。それから毎日僕の実家の地下室で、お気に入りのレコードをそのドラムで練習するのが日課になった。それからすぐに僕より5、6歳年上だった僕の兄の友達らに一緒にバンドで演奏しないかと誘われて、そのバンドにはいった。そのころ僕らのバンドはEarth Wind & Fireとか、Kool and the Gang やThe Commodores のようなファンクバンドに影響されていたし、バンドのメンバーから"グルーヴ"のある、いわゆる"ブラック"ミュージックのレコードをよく借りるようになった。そのあとジャズ・ロックバンドに参加して、Miles Davis, Weather Report やGonzalo Rubalcabaが行ったような複雑な配置、音楽へのアプローチをしようと試みたんだ。 そのうち6人もの別のミュージシャンとひとつのバンドでまとまって音楽を作っていくことに対して、腰が重くなってきてしまったんだ。同時に80年代半ばにノイエ・ドイチェ・ヴェレやニュー・ウェーブやエレクトロニック・ボディ・ミュージックを聴くようになっていて、Chris & Cosey、DAF、Pyrolator、Human Leagueや Cabaret Voltaireなんかを熱狂的に聴くようになっていって、コンサートやクラブに行き始めたんだ。そしてすぐ初期のアシッドハウスというものに出会って、その聴いたこともなかった斬新で日常からかけはなれたサウンドにショックをうけた。踊れて、しかも楽器も多く使用されている。まさに僕の好みそのもの!もちろんどうやったらこのサウンドを生み出せるのか知りたくなって僕の最初のシンセサイザーRoland Jx3PとアイバニーズのアナログディレイとSakataのドラムマシンを購入したんだ。それからバンドを辞めて、それらの機材とテープレコーダーとともに家にひきこもって、電子音楽を作るようになったんだ。 7歳のときからはじめた。その当時の僕のピアノの先生はかなり年配の男性で、1920年代にベルリンのサイレント映画の上映のために、劇場でオルガンを弾いていたような人だったんだ。でも彼からはクラシック音楽の演奏しか習わなかった。その当時からバッハを好んで弾いていたけれども、今でも大好きなクラシックの作曲家だよ。 実は僕自身もこの漂流がどの方向にむかって流れていっているのか、わかっていないんだ。8年間のAlter Egoの活動を通して僕が経験したものは僕の人生にとってとても濃いもので、とても重要なものだったんだ。Jörn Elling Wuttkeと僕は1991年に一緒に音楽を作りはじめたんだ。「Rocker」、アルバム「Transphormer」と「Why not?」の大ヒット、休みのないひっきりなしのツアーは長年費やしてきた制作活動の間には全く想像もしていなかったご褒美のようなものだった。そのあと2回にわたって、世界中のありとあらゆる都市をまわってツアーして、興味深いアーティストに知り合って彼等の曲をリミックスして、興味深い瞬間を度重なるほど経験した。本当に感謝しても感謝しきれない思いだった。Alter Egoとしての最後のツアーが終わりに近づくころには、Alter Egoと自分自身との境界線を作るために、自分の名前で、自分ひとりで作ったアルバムを作らなければと思うようになった。「Eight Miles High」や「Soylent Green」などはすでにソロ名義でリリースしていたし、別称の裏に自分を隠し続けてるんじゃなくて、自分自身を表現したくなったんだ。 The Residents - Commercial Album
Robag Wruhme - Thora Vukk
Ben Hoo - Right Kind Of Rain (Oscar Offermann Remix)
TV Personalities - And don't the Kids just love it?
Vladimir Horowitz - Scarlatti Sonatas 他のアーティストと一緒に何かをすることはいつもすごく楽しかった。とくにChristopher Dellとのコラボレーションはさらに深めていきたいと思っている。彼はインスピレーションに富んだアーティストなんだ。でもどんなに他の人と共同に音楽を作っても、電子音楽自体の孤独性は変わらないけれどもね。 今年の終わりまでヨーロッパでDJの公演で予定がいっぱいなんだ。あとたくさんのリミックスのリクエストに応えなきゃいけないんだ。自分自身のウェブサイトを今作っていて、それもたったやっと今日リリースになったところ。
http://romanfluegel.de ありがとう!Roman Flügelは本名だよ。僕もすごく気に入っている名前なんだ。たぶん僕の両親は僕の名前を考えついたときにポーランドの俳優兼監督、Roman Polanski(ロマン・ポランスキー)が念頭にあったんじゃないかな。 ありがとう!すごくうれしいし、おもしろい質問だね。12歳のときからメガネをかけていて、メガネなしの人生なんてとても考えられないくらいなんだ!最近Algha (www.algha.com ) っていうイギリスのブランドのメガネをよくかけているよ。伝統的な老舗ブランドなんだ。ここのブランドで今でも売られているフレームのモデルのうちのいくつかは100年以上もの歴史をもつんだよ。本当にこのブランドのメガネはいいよ!お薦め! フランクフルトはすごくいい意味で発展してきた。フランクフルトっていう街は一見銀行と銀行家によるライフスタイルに占領されつくしているんだ。でもStädel Kunstschule(シュテーデル芸術大学 )があるから、いつもおもしろいひとたちがこの街に引っ越してくる。マイン川沿いの町並みなんか最近もっときれいになってきた。僕は、つい最近まで評判が悪かった中心市街地にある繁華街のそばに住んでいるんだけれども、近年いっせいに町並みが奇麗に整備されて、ここがベルリンでいうPrenzlauer Berg(プレンツラウアーベルグ区、ベルリンの中心地近くに位置する若者に人気のある町並みの奇麗な地区)みたいだっていうひともいるよ。フランクフルト空港は大きくて便がいいから、乗り換えなしにいろんな都市に移動できるっていうのも僕にとってはかなりの特典だよ。 僕は自然が大好きなんだ。大都市の中心地に住んでいるから、都会の喧噪から離れるために郊外に出て森に散歩にいったりジョギングをしたりするのが好きだよ。僕の両親の家は森のはずれにあって大きな庭があるんだ。子供のときはいつも鳥のさえずりが目覚まし代わりで毎日起きていたんだけれども、そういう自然にかこまれた生活をまたしたいなと思うときがたまにあるよ。長くてうるさい週末のDJ活動のあと自然に戻ると、いろんなもののバランスがまた平衡になる。 過去10年間毎年夏になると何日かイビザに休暇しにいくんだ。イビザは多くのひとにとってパーティー島として有名だけれども、そうじゃない静かで落ち着く奇麗なところもあの島にはたくさんあるんだ。この時期気候はとても過ごしやすいし、5年前にすっごく落ち着くお気に入りの家をみつけたんだ。広大な果物畑の敷地の中にあって自然の泉もわきでているんだ。だから、ご飯もすごくおいしいいしね!今年の夏は休暇の途中にDJ Kozeや Ricardo Villalobos とSven Väthと一緒にアムネジアでDJをした。それ以外の時間はずっとその家で本を読んで過ごしてたよ。 うん。春、夏、秋、冬、全部の季節をツアーで経験しているんだけれども、桜のさく季節だけはみたことがないんだ。星の形をした赤い葉っぱが茶色くなって黄色くなるころの、すごしやすい気温と澄んだ空気の秋の東京がすごくきれいだった。 これはものすごくむずかしい質問だよ。日本っていう国は本当によい食べ物で幸せな気分でいっぱいにしてくれる国だよ。でも、強いていうとすれば、天ぷらと一緒に食べる冷たい蕎麦。 あの地震とその後の影響と福島原発の事態は僕をものすごい悲しみのどん底につきおとした。ブカレストに公演で行っていたときにEfdeminと一緒にテレビで見た震災直後の様子は、今でも目に焼き付いていて離れないよ。あのときのことを言葉では何かあらわせないよ。不可解でとにかくあのショックを掌握できなかった。日本に住む僕の友人や知人が心配でしょうがなかったよ。震災に直接あったひとたちや福島の人たちのことを考えると特に胸が痛んでしょうがない。でも僕は日本の社会がこの震災を乗り切ることができるくらい強いって信じてるよ。放射能の問題が早く解決の道をたどることを祈っているし、僕たち人類が今回のことで大きな勉強することを願っている。地震をふせぐことは難しいけれども、新たなエネルギー対策が最悪の事態をふせぐようになっていくと願っている。 来年には日本にいくチャンスがあると願っているよ。