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Francisco Ruiz-Tagle

僕が最初にDJの世界に足を踏み入れるきっかけになったもの、それは僕が12歳の時なんだけど、近くにあったディスコの経営者が母親の友達でね、僕は日曜日の午後にそこで照明係として働いていたんだ。そのときに「Denon 2500F」との出会いがあったんだ。当時では当たり前の光景だったね。そんなある日イベントの準備をしていたとき、レジデントDJの友達がSpeedy Jの「Pull Over」をかけたんだ。僕は思わず彼にたずねたよ、この曲が何なのかを。そしてチリにエレクトロニックミュージックのパーティーが行われている場所があるのかってね。そのとき僕は初めてthe Electronic Music Collectiveの「Euphoria」のことを知ったんだ。そして彼らがオーガナイズしていたレイヴについてもね。レイヴの体験は文字通りに僕の心を開いたよ。そこで僕は初めてチリ人のエレクトロニックミュージックシーンから出てきたZikutaやMPSound、UmhoやMagi-K (Luciano)などのようなDJやたくさんの人々を見たんだ。

それからまず僕はカセットテープでミックスを始めるようになって、あとになってPCDJやBPMstudioのようなソフトウェアを使うようになったんだ。はじめのころは友達のオーガナイズするパーティーで、いろいろなジャンルの音楽をプレイしていたんだけど、それは正直あまり楽しいものではなかった。それで自分の好きな音楽だけをプレイしようと決めたんだ……。そのころはまだクラブでプレイしたことはなくって、彼らの家でプレイしていただけなんだけどね。けどそんなとき幸運にも、Casa ClubやEarthDanceでプレイしないか、って誘ってくれた人たちと知り合うことができたんだ。そしてそこで少しずつ周りの人たちの間で知られるようになったんだよ。

何年か経ったあと、2006年の初めごろ、僕は自分の技術を磨いてプロのDJとなるため、DJスクールの専門コースを受けることに決めたんだ。そしてそれが僕がDJを志すきっかけとなった人物と同じEuphoriaのグループによるフェスティバル「Audiomorphosis」でのデビューを可能にしてくれたんだよ。それからは多くの犠牲や大変な苦労の連続だったけど、今ようやくそういった苦労が報われはじめてきているんだ。

僕のスタイルはより多くのテクスチャーと力強いベースラインを持った、ディープハウスとテックハウスの中間にある。僕は自分らしい雰囲気を作りだして、聴衆にエレガントなスタイルを印象付けるのが好きなんだ。……けどそれは僕が10代のころから聴いているDanny HowellsやSatoshi Tomiieのようなアーティストを崇拝していることからわかるように、僕が何か規格に沿って組み立てたものではないんだ。 率直に言って、僕は常にパタゴニカのような企画において、ただ単に楽しさだけを求める少数派を除けば、人々は献身的に理想の実現に取り組むことができると思っている。個人的にも自分の仕事を世界に広げるためのアイデアを思い浮かべていたんだけど、誰もが言うことが違っていたり嘘だったり……。だけど「Parties 4 Peace」のプロデューサーであるエミリーに会ったとき、その背景に彼女たちがパタゴニアを保護するため、本当に重要なアクションを起こしているんだということが理解できたんだ。広瀬が東京へ帰る前の日にアーティストの全員が僕の家に滞在することができたのはとてもラッキーだったよ。そしてエミリーがパタゴニアのキャンペーンをプロモートするため、ノートパソコンに向かってメールの返信をしたり情報を送ったりと、四六時中働いていることがわかったんだ。このことは僕に強い影響を及ぼしたよ。そしてパタゴニカに参加するアーティストが、献身的に理想の実現に向けてひとつの意識(異なる種類の人々にも目醒めを促し影響を与えることのできる力)の中にあるということを理解し始めたんだ……。僕はこのようにしてパタゴニカのイベントに影響されたんだ。そう、だから彼らは気付きを与えるというゴールに100%達しているね。次のパタゴニカ・ツアーでも彼等を応援していきたいと考えているよ。 CLUB LA FERIAはチリのエレクロトニックミュージックシーンのみならず、ラテンアメリカにおいても最初のもっとも重要なクラブなんだ。チリにいるDJなら誰もがそうであるように、僕も常にプレイしたいと思っていた場所だった。僕はなんとかして僕の音楽を彼らに聴いてもらい、ラインアップに加えてもらえないかと何度も接触を試みたよ。だけど当時僕はまだ若く無名であったため、本当に長い時間がかかったんだ。その後ある夜のこと、僕の同僚でよき友人でもあるDorian Chavezと共同の誕生日パーティーを行った場所で僕がウォームアップとしてプレイしたんだけど、プレイを終えたときに僕のプレイを誉めてくれた人が、なんとCLUB LA FERIAのオーナーだったんだ。 僕はセットを延長するのが大好きなんだ。可能な限り自分を表現するのが好きなんだよ。僕の楽しむ音楽でフロアの人たちが踊り、真に一体化し、それぞれのセットにおける僕の目的が、人々を踊らせシャウトさせる以上のものであるということを証明するため……(エミリー曰く、むしろ彼らは目を閉じてリズムに身を委ねるんだそうだ。そしてそれを「Hips and Shoulders」と呼ぶんだそうだよ)……曲が次第に変わっていき、どことなく感情のこもった胸を打つメロディー、あるいは高音の上昇の中ではじけるまで……そしてそのあとで我に戻るんだ。 僕のプロデューサーとしてのキャリアはつい最近、 2010年に始まったばかりなんだ。 その前にも公表することができない個人的なトラックや、まだ勉強中だったときにもいくつか作ってはいたんだけど。今年、友達のラリー・ピーターズと一緒に制作を行ったんだけど、いくつかの異なるアイデアを試みたことで、すばらしいものができ上がったんだ。今すでにイタリアのレーベル”AMAZING MUSIC”のために2つのリミックスが上がっているよ。そして僕らの最初のEPは今年の10月に「MAZOOM LAB」からリリースされるよ。今は、ハードなダンスフロア向けではなく、個人のレベルに合った、むしろ目を閉じて踊るにふさわしい、成熟した表現を感じさせる曲を思い描いているよ。自分自身の発展を感じているね。 僕にとってはターンテーブルでプレイすることがとても快適に感じる。それがより精確なものであるとわかるし、DJにとってのアートを感じさせてくれるんだ。ただ残念なことにチリではレコード店が少ないために流通がむずかしく、クラブにあるターンテーブルも良い状態のものが少ない。そういう理由でTraktor Scratch Proを使い始めたんだ。WAVフォーマットの音楽をターンテーブルでコントロールできるからね。このやり方は間違いなく良質のサウンドであるといえるし、午後にトラックを作って夜にはそれをプレイするという状況にあっても、ターンテーブルの感度が常に安定しているから、何時間でも音楽をプレイすることを可能にしてくれるんだ。 日本は豊かな文化の融合とテクノロジーとが上品に組み合わさった場所として、常に気になっているね。僕は写真を撮るのが大好きだから、日本関連の記事が載っている雑誌などで目にする建物を見れることを本当に楽しみにしている。日本人と接した機会はほとんどないけれど、環境への配慮や、彼らの他者に対する敬意、尊敬の概念には感心しているよ。これはみんなが学ぶべきものだと思うんだ。 暗い部分というのはとくに思い浮かぶものはないけど、初めのころはシーンの中に入っていくのが大変だったね。なぜなら誰も僕を知らないし、僕の場合は本当に、本当に若かったからね。また、ギャラがもらえないことや理想的ではない場所でプレイしなければならないこともあったよ。けどこういった経験は僕が獲得したものに価値を与えてくれるんだ。今は明るい状況の中にいると言えるね。この2年間は信じられないことばかりだったよ。エクアドルでもプレイしているし、アルゼンチンのサンティアゴにある大好きなClub Decliveでは、10時間半におよぶアフターアワーズを繰り広げたんだ。そして最近ではチリのベストクラブ「La Feria」のレジデントにもなれた。そしてなんといっても今年、パタゴニカで1位を勝ち取り、来日するチャンスをつかんだんだからね! それは驚くことになると思うよ!ディープからテックハウスまで、僕のすべてのレパートリーを持っていくし、それぞれのイベントによって新旧織り交ぜながら異なる音楽をプレイしたいと思っている。僕の音楽を日本で出会う人々と共有できる日が来るのを指折り数えているよ!