INTERVIEWS

AZIATIX

Nicky:初めまして、私はNicky Lee(ニッキー・リー)です。「AZIATIX」は、私とEddie Shin、Flowsikでやっています。今回グループでプロモーションのために日本に来たのは初めてで、こうして来れることを本当に嬉しく思います。
私は、韓国で生まれたのですが育ちはLAです。子供のころは、Stevie WonderとMichael Jacksonを聴いて育ちました。実は 「AZIATIX」のプロデューサーである「Jae Chong(ジェイ・チャン)」に16歳の時に教会で歌っている時にスカウトされました。それから彼と一緒にやるようになり、97年に韓国でソロデビューもしました。2003年にはJae Chongが台湾でレーベルを設立して5枚のマンダリングアルバムを出していたりもしました。5枚目のマンダリングアルバムを制作している時に Eddie、Flowsikと出合いました。JaeがもともとFlowsikを知っており、たまたまFlowsikが別のところでEddieと知り合いで、Jaeが3人でやったらどうか?というアイデアで「AZIATIX」ができました。 Nicky:Boyz II Menだったり、最近だとUsherとかNe-Yo、David Guettaなどが気に入っているんですが、やはり心に響くR&B、ソウルミュージックがすごい好きですね。 Eddie:初めまして、私はEddie Shin(エディー・シン)です。私はボストンで生まれました。2005年には、自分のアルバム「Just My Way」というアルバムを出して、全10曲のうち8曲を自分で書いてもいます。その後、ニューヨークに行き大学でClive Davisのプログラムを受けました。そして韓国に戻りソングライターとして活動していました。特に韓国のアーティストに曲を書いてました。 例えば、韓国のアーティストが参加したG-20 ロゴソングや4minuteのアルバムだったり。それから「AZIATIX」のプロデューサーであるJaeに会い、Nicky、Flowsikとも会いました。
※Clive Davisは、CBS RECORDの社長から、Arista Records、J RECORDなどを立ち上げた。Whitney Houstonなどを発掘したとして音楽史に名を残す人物。 Eddie:いわゆる時代のプロデューサーを作り出すためのプログラムでした。プロデューサーというのは音楽を作るだけでなくて、ビジネスにおいても第2のClive Davisを作るという感じですね。だからプロデュースの仕方も覚えたし、ミュージックビジネスも覚えましたし、マーケティングの仕方も覚えました。とにかく、業界のこと全てを学ぶプログラムでした。先生たちも業界で活躍している人たちばっかりで、音楽・エンターテインメント系の弁護士だったり、あとエンジニアの人たちもいたり。その中には、Public Enemyのエンジニアでもあり、 ヒップホップのエンジニアの中では1番最初に活躍したロブホアンという人が講座をしてくれました。
ちょっとだけ自慢させてもらうと、そのプログラムで自分が初めてのアジア人だったんです(笑)。それから日本人とか中国人の人が2、3人生徒として入ったそうです。 まず1番に名前を挙げたいのは、Babyfaceですね。自分は、素晴らしい物語を語れるストーリーテーラーがすごく好きなんです。だからBob Dylanも好きですし、70年代のMotownも好きなんです。彼らって物語をちゃんと歌で語ってくれたんです、しかもそれも素晴らしい物語を。こういう素晴らしいストーリを持った曲は、リスナーのみんなと共感しあえる曲になると思うんです。だから自分たちも、そういう曲や音楽を作りたいと思っていますし大好きなんです。それは愛だったりとか夢だったりとか幸せを追い求めていく姿だったりとか成功もそうです。他にも挫折だったりとか、裏切りだとか人生そのもの、人生で起こるあらゆる全てのものを語れるアーティストになりたいと思っています。 Flowsik:ニューヨークに生まれニューヨークでラップ、ヒップホップ、R&Bをずっと聴いて育ちました。また、7年間ジャズバ ンドをやっていて、コンサートのバンドメンバーを10年間やっていました。その時は、トランペットなどのホーン系やピアノを自分で演奏してました。ニューヨークでずっとラップをやっていたんですが、もう絶対に音楽しかないと思ってました。それからアジアに来た時にJaeに会い、また2人と会いました。 Flowsik:Jay-ZやNas、2 Pacなどなど挙げたらきりがないくらいいます。よく自分は2 PacやBiggie、Ja Ruleに似てるって言われたりもしましたが、それは彼らの真似をしようとかいうことではなくて、彼らを聞いて自分のオリジナルなスタイルを見つけるようにしています。ただ、未だに自分のスタイルは模索中であるし、アーティストとして毎日成長するべきだと信じているので、そういった意味でも毎日勉強、努力しています。 大箱、小箱いろんなとこでやりました。ちょうど中箱くらいのとこでやっていた時のがYOUTUBEにアップされているんですが、その時に出てたアーティストの中でアジア系は、オレ1人だったんですね。あとはみんな黒人のアーティストだったんですが、ほんとみんなが気に入ってくれてました。ラップはアジア系でもやっていけるんだという新しい扉を開けた瞬間だったように思います。アジア人でもできるんだというのを見せられたショーだと思うのでぜひ見てほしいです。
http://www.youtube.com/watch?v=0YZ-at9u5L8&feature=related Nicky:実はこのAZIATIXというのは、Jaeが2002年に考えた名前なんですね。当時、私はJaeとアジアのいろんなアーティストへ曲を書いていたりしていました。また、私たちはそれまでいろいろなところで生活もしていたけれども、アジアの韓国で出会ったということ、やはり私たちのルーツはアジアだということ、そういった運命的なものを感じてJaeにAZIATIXを使わせてくれとお願いしたんです。 Flowsik:自分たちがいろいろなスタイルをミックスさせて作った作品でもあります。本当にいろいろなマーケットの層にアピールできる作品だと思いますし、そうしたかったんです。ヒップホップもR&Bもソウルもポップもロックも入っていたり、ディスコぽいのも入っていたり、テクノっぽいのも入っていたりだとか、アコースティックまで入っていたりだとかいろんなスタイルをこの作品に詰められたと思います。ただやはり、まだまだだと思ってます。まだAZIATIXのことを知らない人もいっぱいいますし、本当にそういう人たちが自分たちの曲を聴いてくれるようになってくれればいいと思います。 Eddie:夜行性っていう意味があるんですが、自分たちは夜行性なので。あとは、Flowsikがもっとちゃんと説明してくれます(笑)

Flowsik:夜ももちろん一生懸命やってるとうことを知ってほしかったというのがあるんです。夜遅くて疲れてても、スタジオで音楽を作ってますし、もちろん昼間にも作っています。本当に自分たちの1日、自分たちの人生の毎分毎秒が音楽と一緒に過ごしているという意味も込めてこのタイトルにしました。 Nicky:ずっと溜めてたとかではなくて、すごく自然の流れというかタイミングがものすごく良かったんです。3曲目の「LIGHTS」に関して言えば、ある日スタジオに入ってJaeのビートを聴いた時に作ってみようてなって1日で作り上げたんです。それで、日本版のアルバムに曲が新たに欲しいと言われてたから入れたんです。いつもいつも、自分たちは音楽を作っているんです。そして作ったらすぐに発表したい性格なのんです。だから本当にタイミングが良かったんです。 Eddie:とにかくお互いにアイデアを出し合ってって感じで、どっちが曲を書いてってないんです。詩もまた同様に。誰かがいいアイデアが出したのをやる。もちろんNickyやFlowsikもアイデアを出してくるので一緒に作っていってるんです。 Nicky:彼は、自分たちが表現する自由を与えてくれます。自分たちがクリエイティブになったらそれを自由に表現していいよって言ってくれて、彼が作った曲であったとしても、自分たちからアイデアが浮かんだ時はそれをプロダクションに加えてくれることを許してくれるんです。だから彼は、自分たちに自由を与え てくれる素晴らしいプロデューサーなんです。

Eddie:彼は、自分たちのベストな部分を引き出してくれるんです。彼は、アーティストとしても成功した人なのでアーティストの立場というものも分かってくれているんです。 Nicky:人間としておもしろいし優しいし、とにかく兄でもあり師でもあります。自分たちにとって何が最良かというのを最初に考えてくれるんです。特に私は、97年から一緒にやっていたということもありEddieやFlowsikより長く過ごしています。その間にも、お金が無くて住む場所も無く苦しい時代もあったんですが「うちにおいでよ、食べさせてやるし」って本当に優しい。仮に、今私たちが住む場所を無くして苦しんでも同じことを言ってくれますよ、彼は。そうなるようなことは絶対に、起こしちゃだめなんですけどね(笑) Nicky:10月に廻ったんですけどKomoriさんはすごくいい人で、今回リミックスをやってもらってすごく感謝もしています。当時、日本のクラブってどういうものかっての見て回りました。もちろんパフォーマンスもしました。遊んでても楽しかったですし、クラブに来ている人たちのエネルギーみたいのをすごい感じていい経験ができました。

Eddie:確か名古屋だったと思うんですが、日曜の夜なのにあんなに盛り上がってるのを見てびっくりしました。 Nicky:3人でまず一緒に作った曲が「GO」なんですが、たまたまアメリカのiTunesで配信したら5位になりびっくりしました。でもすごい嬉しかったです。リリースしようとも考えずに、とにかく3人で曲を作りたくてしょうがなかったんです。どういう曲ができるのか?どういう反応があるのか?という興味がありました。だからターゲットとかも絞らずに、ただただ、みんなが楽しんでもらえるような音楽を作りたい、それだけしか頭にありませんでした。

Eddie:本当に楽しもうと思ってたけだった。3人で音楽を作っていると楽しいしんです。Flowsikもニューヨークのアンダーグラウンドでも素晴らしいアーティストとして知られてたし、Nickyも台湾で素晴らしいポップシンガーとして有名でした。そういう彼らと一緒にできてとにかく楽しかった。 Eddie:物語としては、自分の夢を追いかけるということ。あのPVの中での女性との恋愛とかというのは隠喩で、結局、夢を追いかけたりキャリアを中心にすると、何かを犠牲にしなきゃいけないというのはありますよね?その犠牲にするっていうのが、たまたまあのPVの中では女の子、恋愛 だったというように分かりやすい表現にしただけであって「とにかく自分が信じるもの、信じる夢であればがむしゃらに追っかけようよ」というようなメッセージを伝えたかったんです。 Flowsik:「COLD」以外は、すべて彼、Oh Minが作ったんです。(この日も現場でインタビュー風景を撮影していました)。ディレクターとはいえ、自分たちの意見も受け入れてくれるんです。一緒に仕事をする上ですごく相性が良く、お互いをすごく自然に受け止められるという意味でもすごく楽しく仕事ができてます。撮影の時に、自分たちが自分たちらしくいられるのは彼のおかげなんです。 Nicky:あれは、Oh Minのアイデアなんです、だから私にそんなバイオレンスな一面はないからね(笑)。ただ、あのシーンを撮った時に考えてたのは、今までの挫折は考えていたんですね。あと、実際過去に他の男に乗り移った女性のことも考えてたかな(笑) Nicky:すごくいいんじゃないかなと思ってます。音楽ってやっぱり万国共通のものですし。自分たちの音楽もそういうかたちで受け入れてもらえればいいなと思ってます。こんなにブームになっているのは、K-POPだけではなくJ-POPもC-POPも他の国々で同じようなかたちで楽しんでもらえているのが今の時代だと思うんですね。それは、アジアの国だけではなくアジアの国がアメリアへ行ったり。今までアメリカの音楽が日本、アジアにきたりして広まってきたのと同じようなかたちで広まってきたと思うんです。ですからそれが音楽の素晴らしいとこであり、そういうのが今かたちに表れているのではないかなと思います。 Nicky:まず2月~3月にアメリカでツアーが予定されています。その後にまた日本に戻ってきて全国ツアーができたらと思ってます。それを今"MANHATTAN RECORDS"にプッシュしてるところです、日本は本当に大好きなんで。