DJとしての活動を始めたのは7年前、2005年です。当初はプレイできるなら、どこでもどんなパーティーでもプレイしていました。幸運にも、2006年にウクライナでもっとも大きく有名なフェスティバル「Kazantip」でプレイする機会を与えられ、ここからDJとして本格的に活動することになりました。夏が終わるころにはDJとして人気も出て、DJとしての次のレベルに、一気に飛躍しました。その後、結婚をし子どもが生まれたことから、DJとしての活動はしばらくお休みしていました。けれど、私が今の環境にいることができているのは実質ここ3年、2009年の夏以降のキャリアのおかげです。この間に、私はウクライナ史上もっとも多くツアーをこなすDJになりました。私はDJ以外のことはやっていないので、これは本当に嬉しいことです。
もともと、私は小さな村の出身なのですが、学校を卒業する1年くらい前から近くにあるDonetskという都市に、クラブ通いで毎週行くようになりました。また、当時の恋人がDJだったため、周りにはたくさんのDJ仲間がいました。音楽を始めるきっかけとなるDJはいなかったけれど、ただ恋人や周りのDJ仲間たちと同じように、DJになりたいと思いました。最初は、誰もそのことに対して真剣にとらえてくれなかったけれど、私はその中の誰よりも有名で人気のあるDJになったのです。
PROPAGANDAとは、「暗黙の了解」という意味の単語です。PROPAGANDAと言えば、それは何の疑問もなく、そのことを理解することができる、ということです。ラジオでのショーはもちろん、全てのビジョンをイメージした時に最初に心に浮かんだ言葉だったので、難しいことは何もありませんでした。また、今わたしは自身のレーベルを、その名前で立ち上げているところです。
いいえ。誰かに「仕事は何ですか?」と聞かれたら、「プロのDJです」と答えています。実際にDJとしての活動をして生活しているので、プロのDJだという自負があります。娘との時間よりもDJとして活動する時間が多いほど、エネルギーと時間を注いでいることです。
ウクライナにシーンというものは存在しません。年に1度、いくつかのフェスティバルがあるのと、おもしろいパーティーが稀にあるだけです。昨年は、FEELEEDというチーム(ハウス、テクノ)による、レベルの高いアンダーグラウンドなパーティーに参加していました。けれど、これらのどれもシーンとは呼べない、とても小さなものです。私自身、もうウクライナでプレイするのは、やめてしまいました。いいパーティーもなければ、いいクラブも、いいフェスティバルすらないのですから。悲しいけれど、これが現実です。
キャリアに関して言うなら、Kazantipです。一般的なことに関してなら、私は常に自分自身から、衝撃をもらっています。
ここ3年でいえば、レコーディングもあり、パーティーでは週に2~4回はプレイしています。この3年間、休暇という休暇はとっていません。けれど、もうこの生活リズムが定着しているので、この忙しい毎日を過ごしていない自分は、とても想像できません。けれど、今の時点での現状は少し違います。The Bullitt Agencyの一員となり、今は彼らの会社で新しいアーティストとして活動しているからです。また、友人のAlexander Pavlenkoとともに、私のデビューアルバムを創っているところでもあります。それによって、今までよりもパーティーでプレイする回数を減らし、少し落ち着いた生活ができています。たまには、こんな時期も必要ですね。
あいにく、今、楽曲制作には力を入れていません。なのでこの質問に対しては、私のコンピレーションや、私のプレイの仕方について答えます。答えは1つで、「その時の気分」です。私の気分、オーディエンスの気分、その場所の雰囲気、全ては気分次第なんです。また、パーティーにおいてもっとも重要なのは「音」です!私にとって、音がもっとも重要なものであり、私は音で何かを創り上げることができます。何か、おもしろいものを。
マネージャーに、Silentmusicの方からDancetrippintvでのライブ映像を見てブッキングしたいとオファーが来て、日本はぜひ1度行きたかったので喜んで受けた流れですね。
まず、今回日本に呼んでいただいて、本当にありがとうございます。長いキャリアの中で、こんなに興奮するオファーは初めてに等しいです。日本には、本当に素晴らしいミュージシャンがたくさんいます!タナカ フミヤは大好きで、彼のファンです。また、とても素敵な女性であるキヤマ アキコ、Radique・・それ以外にも、名前は思い出せないのですが、今年の6月にスペインのバルセロナで開催されたSonar festivalに出演していた日本のバンドは、まさに天才的でした。けれど、実際私は、日本のアーティストの1/4も知らないでしょう。それはきっと、日本とウクライナがとても遠い所にあるからだと思います。けれど私は、そんな日本の音楽シーンを、また日本という国の文化をとても尊敬しています。私たちにとって、日本は「別世界」であり、とても特別な存在なんです。
INTERVIEWS