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Ian O'brien

 
 - このアルバムでは、過去に私がリリースしたどのアルバムや曲よりも、自分にとって心のこもった正直な音楽を作ることができました。この「正直さ」というのは、本当の自分、自分の気持ちに素直なれた、という意味です。 -
 
- 今作を初めて聴いた時に、自身の身を削って全身全霊を込めて作っている画が浮かんできました。他のアーティストもみなそうだと思うのですが、今作はそれほどあなたの内面が出ているようで、気持ちを突き動かされるほど感動するアルバムでした。東日本大震災のことにも触れられていますが、このアルバムができた経緯やコンセプトを教えてください。

何よりもこのアルバムで私が表現したかったのは、私たちの今生きているこの世界が、いっそう暴力的になり、絶えない戦乱ばかりに向かっていく中で、将来を担う子供たちにどんな世界を遺していけるのか…という絶望感ヘの私なりの返答でした。

カーティスメイフィールドや、ボブディランのプロテストソングのように歌詞があるわけではないので、はっきりと言葉で自分の感情を表すことはできませんが、インストゥルメンタルアルバムのできる範疇において、いかなる暴力や戦争への反対のメッセージを込めた私からのプロテストアルバムとして作られました。このアルバムには「My Dreams Of Peace」という曲がありますが、最初はこの言葉をアルバムのタイトルとして使おうかと思索していました。この曲は私の気持ちや、このアルバムで私が何を言いたかったかを、とても表している曲です。戦争や暴力など、暗い世界情勢を先ほど述べましたが、実際はポジティブな願いを込めて作られたアルバムです。どのくらい先になるかは分からないですが、私の平和への夢を表しています。

  - タイトル『Understanding Is Everything』にはどういった意味合いを込めていますか?

「この世界というもの」、「今生きている」「この世」というものは、実際は全て繋がっている、という観念を私は信じています。人種間による憎しみや、自己中心性、強欲、暴力などに基づく行動は、『すべてが繋がって私たちは1つである』という観念に対しての私たち人間の持っている根本的な『非理解』を表しています。
ですから今この世界が必要としているもの、それは『理解』です。私たちは皆同じで、皆繋がっていることを理解するという事が重要というわけで、このようなタイトルとなりました。

  - 前作『A History Of Things To Come』から12年経ってのリリースとなりましたが、それだけの間アルバムのリリースが無かったのはなぜでしょうか?ご自身の中で何か音楽に対する気持ちの変化などがあったのでしょうか?

『A History Of Things To Come』をリリースした頃より、世界もかなり変容し、私自身も変わりました。私自身のアーティストとしての意見ですが、自分から何か言いたいこと表現したいことがない限り、音楽をリリースする意味はないと思います。表現したい事の有る無しに関わらず、たくさんのアーティストは定期的にレコードを出しますが、それはすごく間違っていると私は思うし、聴けばクオリティーがどの程度なのか解ってしまいます。
もし自分から何か伝えたいものが無いという中で制作した音楽ならば、やはり何も伝わってこないと思います。

『Understanding Is Everything』を作るにあたり、言いたいこと表したいことがはっきりと自身から湧いていたのを感じていました。また、リリースされた私の過去のものと全く違った音楽に至りました。ミュージックシーンも変わったし、僕のテクノ音楽に対する意向も、悲しくも変わってしまいました。現在のテクノは、90年代後半ほどおもしろくはない。今の私は、テクノのスタイルを用いて表現してたり言いたいと思うことがない。という姿勢が、このアルバムの音に反映しています。もちろん今も素晴らしいテクノのレコードはリリースされていますが、すごく少ないと思います。

  - インストのアルバムですが、これほど曲の表情や気持ちが伝わってくるのはなぜでしょうか?また、アコースティック楽器の音色が多く、非常にオーガニックな作品だというのにも驚きました。

音楽というものは、さまざまな音や感情を反映していると思います。私は、デトロイトテクノに影響する関連するアーティストとして皆さんに知られているわけですが、私は、テクノを聴くずっと以前からギター、ピアノ、ベース、その他のいろいろな楽器を演奏してきていました。このアルバムでは1つのスタイルや音にこだわる必要も理由もなかった。だから、たくさんのアイデアが詰まっています。自分になれたし、正直になれた。

このアルバムでは、過去に私がリリースしたどのアルバムや曲よりも、自分にとって心のこもった正直な音楽を作ることができました。この「正直さ」というのは、本当の自分、自分の気持ちに素直なれた、という意味です。
 
 
 - 今のテクノロジーを用いれば永遠に、編曲や変更をし続けられるでしょう、「完璧なアルバム」なるものを追いかけて。しかし、「落としどころ」が必要です。というか…これが私の「今」であり「表現」なんだ、という瞬間があると思います。それが「落としどころ」だと考えます。 -
 
 
- Herbie HancockのSpiraling Prism、Lonnie Liston SmithのLove Beamsのカバーが収録されていますが、あなたにとって彼ら、そしてこの曲はどういった存在でしょうか?またカバーしてみていかがですか?エディトした いという欲求はでてきませんでしたか?

Herbie Hancock、Lonnie Liston Smithは’70年代のジャズ、ファンク、ソウルの黄金時代に活躍した私のヒーローです。この2人の音楽は僕にとって特別でスピリチュアルな存在なのです。いつか、彼らの曲をカバーすることは、私の長年の夢でした。「Spiraling Prism」のコードとハーモニーは、言葉を絶する美しさですし、「Love Beams'」はシンプルであるけれど驚くほどのスピリチュアルな作品で、純粋にポジティビティを表現している音楽です。その光は強烈で、すべての暗さを払拭している。それは、希望の音楽で、世界が本当に必要としているのはそんな希望だと思います。

このアルバムに2曲カバーに入れる、というのも当初の計画には無かったし、ただそういう風に落ち着きました。私は全然計画を立てることはしません。私が思うに気持ちが湧いてきたら音楽を作る、もしその音楽に思いを込められなければ、その音楽に意味はないでしょう。楽曲の編集において、今のテクノロジーを用いれば永遠に、編曲や変更をし続けられるでしょう、「完璧なアルバム」なるものを追いかけて。しかし、「落としどころ」が必要です。というか…これが私の「今」であり「表現」なんだ、という瞬間があると思います。それが「落としどころ」だと考えます。

リスナーや音楽ファンの皆さんにとってのお気に入りのアルバムというものは、これがパーフェクトなアルバムなのだという感覚だと思いますが、ミュージシャンにとっては、これが自身の完璧であるという感覚はありません。完璧なアルバムが存在しないのです。それは自然なことで、この世にいる人間に完璧な人が存在しないのと同じで、不完璧さがその音楽やパフォーマンスに美しさや魅力を与えていると思います。付け加えて言うならば、もし完璧なアルバムというものを偶然にも作ってしまったら…音楽を作り続けることに意味があるでしょうか?そうなればもうレコードなんて作れないでしょうね。完璧なアルバムが最後の作品になることと思います。
 
- 9曲目の「3/11/2011 The Disaster」は、東日本大震災のための曲ですよね?東日本大震災は、あなたにとってどのような出来事だったのでしょうか?

普段、私の音楽は抽象的であり、自分にとっての特別な出来事や事柄について表現することはなかったです。しかしこの日に起こった悲劇は、私にとって、とても心に突き刺さることでした。ミュージシャンの私は、言葉ではなく音楽を用いることが私のコミュニケートの方法です。3.11は、人間はただの間借り人であり地球の主ではない、ということを地球が残忍な方法を用いて言っている気がしてなりませんでした。そして人間の命がいかに尊くて、大切で、繊細であるかを知らされました。そして私にいつ何が起こるかを知る余地もない真実について考えさせられました。この真実に対して2つの対応方法があると思います。未来は、予知やコントロールできないものとして恐れて生きるのか、今自分が生きているこの時に感謝し楽しんで生きるか、私は後者の「今ここを大切に生きる」を選びたいです。
 
- 3.11以降、原発や汚染水など日本は問題が山積みだと思いますが、外国人という立場からあなたには、日本がどのように映りますか?

3.11は歴史の中で未曾有の悲劇でした。しかし3.11の直後に見たもののなかでショックだったのは、これだけオーガナイズされた日本という国の社会の亀裂みたいなものでした。
人々が水のボトルやガソリン、乾物やトイレットペーパーの買い占めに走っていたのを見て、この種の自己中心性は、今まで日本では見たことがなかったものだったので悲しくなりました。
このような突然の大惨事において、次に何が起こるかわからない。恐怖にとらわれた人間は、人間性を失うということを認識させられました。日本だけではなく世界のどんな文明化された国々においても人は、惨劇の状況下にさらされるとき、パニックや混沌に簡単に制御されてしまうことを自覚させられました。
イギリス大使館や自国から、日本国外に出るように命じられましたが、私は出て行きませんでした。外国人として海外から来る友人は多いですが、彼らは3.11以降の問題は、すべて解決していると思っている人が多いのに驚きます。原発問題は、未だ解決していないこと、東北の人々が苦しんでいることを外国のメディアが取り上げていないからでしょう。悲しいことに人間の記憶というものは短く、世界の目は別のものに向いてしまっている、それが実情です。しかし、なんとか日本だけでも助け合いを続けてほしいですし、私もできる限りのことをしたいです。

  - 青年期にはビートルズやスティービー・ワンダーを聴かれていたようですが、大学の頃にDerrick MayやMad Mikeなどのデトロイトテクノに触発されたようですね。どういったきっかけでデトロイトテクノを聴くようになったのですか?その音楽には、どのような魅力がありましたか?

私は、思春期にあたる80年代の電子音楽やシンセポップにはあまり興味がありませんでした。私はイギリス・エセックス出身ですが、元々この地域は80年代後期から90年代初期にかけてのレイヴ/ハッピー ハードコア音楽の誕生した場所です。ただ、私は、そういった音楽に全く興味を示しませんでした。
このような音楽ムーヴメントの中で、デトロイトテクノやシカゴハウスのレコードを買っている人が少なかった環境下の中でURや、 Model500、Maydayとかの音楽に出会えたことはとてもラッキーだと思います。初めて、深い感情やソウルの入ったエレクトロミュージックを聴いた気がしました。それはとても衝撃的で、私の人生が全く変わってしまいました。
 
- あなたの音楽は、エレクトロニックミュージックの中にジャズ、ファンク、チルアウトなど、さまざまな要素が感じ取れるのですが、どういった環境があなたの音楽性に出ているのでしょうか?

私が育った環境には、いろいろな音楽に溢れていました。私の母親はジャズが好きでしたし(父親はジャズが大嫌いでした)、父親はクラシックを愛していました(母親はクラシックが大嫌いでした)。
しかし、共通して2人とも60、70年代のポップやロックが大好きでした。ビートルズやストーンズやクィーンといったバンドからジョニミッチェルやキャロルキングそしてスティービー・ワンダーなどのソングライターなど…。特に私にとってスティービー・ワンダーは、ソウルやファンクだけでなく、シンセサイザーへの入り口を開いてくれました。スティービー・ワンダーは、Minimoogを多用しており、それで私はMinimoogにべた惚れしてしまい、後に私自身が自身の音楽で使うようになりました。

  - 今回のアルバムで、日本のKuniyuki Takahashiも参加されていますが、どの曲で参加されているのでしょうか?また、彼とであった経緯や彼の魅力を教えてください。

最初にKuniyuki Takahashiに出会ったのは、10年以上前に札幌へDJをしにいった頃でした。彼の音楽は心がこもっており、そして情熱的なアーティストとしてとても魅力を感じました。彼は一切のコピーやフォロワーでない音楽性を持っていて、自分自身の音楽やスタイルを持っています。出会ってすぐに友人になり、今も交流しています。私の新しいアルバムでは「My Dreams Of Peace」でアコースティックピアノを弾いてくれました。彼と共同できたことをとても誇りに思っています。

   
- 自身の人生が変化したことを表現せず、前回と同じ音楽を繰り返す、自分自身のコピーを続けるというのは怠惰の他ならない -
 
- 『Understanding Is Everything』と同日に未発表音源集『I Was There 1995-2000』をリリースされましたね。このタイミングである意味ベストアルバムとも思える『I Was There 1995-2000』を発表しようと思ったのはなぜでしょうか?

『I Was There 1995-2000』に収録されたものは、私が本来リリースしたかったエディットです。私の音楽の側面として僕はこれをファンの皆様に届けたかったのでリリースしました。『Understanding Is Everything』においては、今日の音楽シーンでは一面性しか表現できないアーティストが増えてきたと私は感じています。しかし、私にとっての音楽のヒーローたちは多面性をもって音楽に取り組んでいる。そういった過去の音楽と、これからの自分の音楽の姿勢との変化や違いを見てもらいたい、と思い同時リリースとなりました。
 

 
- 昔の曲を聴いて、今思うことはありますか?

私の初期のリリース作品に対して誇りに思っているし、その頃の良い思い出がたくさんあります。デトロイトテクノのシンセやドラムマシーンを用いて自分のアイデアや音楽背景をもとに、自分の音楽を模索していました。単に影響を受けた音楽をもろに出すのではなく自分の気持ちを込めた、ユニークなものを作り出そうとしていました。長い時を経て、私の音楽が変わったことにみんなが驚いています。しかし僕にとっては同じままの音楽であることの方が不思議です。

23歳のときに最初のアルバム『Desert Scores』をリリースしました。今、私は40歳で、私は年を取り、そして変化したから音楽も変容しました。アーティストとして、音楽キャリアの中で同じ路線のレコードを出し続けるというのは、怠惰ではないかと私は思います。自身の人生が変化したことを表現せず、前回と同じ音楽を繰り返す、自分自身のコピーを続けるというのは怠惰の他ならない。もしくは、全く新しいアイデアを思いつかないのかもしれませんね。私は絶対に1つの音楽にとどまっていたくありません。

1995年に初リリースしてから18年が経ちましたが、人から「どんな音楽を作るのですか?」』と尋ねられることが嫌いです。なぜなら、それに対しての答えを私は持っていないから。私にとって音楽とは1つのもので、すべてが音楽であり、どれも音楽なのです。
 
- Unreleased Mixの作品を収録したのは、なぜでしょうか?

これらのトラックを録音したとき、普段1つの曲においてたくさんのバージョンやエディットを作るのですが、レーベルが好きなバージョンをその中から選ぶわけです。しかし時々、レーベルのリリースとして選ぶものが、私から見てベストではない選択をすることがあります。『I Was There』では、自分の気に入ったバージョンやエディットを選ぶことができました。それらの多数はオリジナルでリリースされたバージョンと異なっています。

  - 「The Magician」は、原曲テープを失ってしまったようですが、なぜ失ってしまったのでしょうか?

この曲は3テイク録音してありました。3本のアナログテープに別々に録音されていました。
それからスタジオを移動した際にテープを無くしたとばかり思っていました。2012年のクリスマスでしたが実家に帰ったとき屋根裏で偶然見つけました。とても嬉しいクリスマスプレゼントのような気がしました。それから日本に持ち帰り編集作業をしました。
2013年の今になって、それをリリースされる機会を得られたことがとても不思議だったので、「The Magician」というタイトルになりました。

  - 今作をリリースして、今後はどのようなプランを描いていますか?

私は計画をしない性格ですので何の計画もありません。別にテクノに興味を失った訳ではないので、去年、一昨年と、Kirk DegiorgioやClaude Young Jr.とリリースしました。今後Funk D'Voidとコラボをするかもしれません。
ひょっとして次の制作は全く違うもの、例えば、自分のルーツに戻ったアコースティックギターのプロジェクトも描いています。いずれにせよ、今まで自分がしたものとは違った音にこだわっていきたいです。自分がチャレンジしたことのない領域がまだあります。新しい音にチャレンジし続けることや探求することが、私の音楽家としての今の姿勢や思いです。
 - Release Information -

タイトル:
Understanding Is Everything

発売日:
9月4日

レーベル:
Octave

価格:
2,200

●トラックリスト
01.The Hexagon of the Heavens
02.The Explanation
03.Spiraling Prism
04.God's Prayer
05.The Flavour of Tears
06.Faded Memories
07.Adam and Alice are So in Love
08.My Dreams of Peace
09.3/11/2011 The Disaster (my prayer for Japan)
10.Love Beams

■HMV
http://www.hmv.co.jp/artist_Ian-O-brien_000000000078141/item_Understanding-Is-Everything_5472513?ref=dp_sim_1  - Release Information -

タイトル:
I Was There 1995-2000

発売日:
9月4日

レーベル:
Octave

価格:
2,200

●トラックリスト
01.The Sunlight On The Horizon
02.I Was There (Unreleased Mix)
03.Viv Woman (Unreleased Mix)
04.Monkey Jazz (Unreleased Mix)
05.That Was Now (Unreleased Mix)
06.It's An Everyday World (with Andre Bonsor)
07.See Ya There !
08.Tattoo Jazz (Unreleased Mix)
09.Secret Agent
10.Tap Sketch
11.The Magician (Unreleased, lost track) 【Bonus Track】
http://www.hmv.co.jp/artist_Ian-O-brien_000000000078141/item_I-Was-There-1995-2000_5472653?ref=dp_sim_1
■HMV
http://www.hmv.co.jp/artist_Ian-O-brien_000000000078141/item_I-Was-There-1995-2000_5472653?ref=dp_sim_1