かなり楽しめて、すごくよかったよ。東京はすごく好きな町なんだけど、アゲハっていう箱もよかったし音響がとてもよかったよね。
アゲハでプレイするのは初めてだったんだけど、あそこの設備にはぶっ飛ばされたね!お客さんもものすごく入ってくれたし、ノリがよくてよかったね。
もともと生まれ育ったのはシカゴなんだけど、サンフランシスコに移住して7年経つね。
若いころはニューウェーブをたくさん聴いたよ。CUREとかEcho & the Bunnymenとかそのへんをよく聴いていたんだけど、そのうちダンスミュージックに傾倒するようになって、Kraftwerkとかヒップハウスやヒップホップを聴くようになったんだ。ただ、もともとのルーツはシンガーになるために歌のトレーニングで、母親がに連れられて歌のレッスンをやらされたんだけど、あんまり興味はなかったね。子供のときは聖歌隊にも参加していたんだよ。
僕が引越しをした理由は、8~9年前に、LAやサンフランシスコを中心とした西海岸で大きなムーブメントがきているなって感じて、それで自分も行くべきだと思って移住したんだ。1999年~2000年ぐらいにMiguel MigsやJay J、Julius Pappらがいた「NAKED MUSIC」っていうレーベルがすごく成功していたんだけど、80年代のポストディスコのムーブメントがシカゴハウスだったとしたら、この2000年以降に始まった西海岸のハウスは、そういうハウスミュージックムーブメントの第2波ともいえる、大きな波なんじゃないかって感じたんだ。
僕の音楽を聴いてもらえればわかると思うんだけど、シカゴとサンフランシスコのどっちもの影響が聴こえるんじゃないかな?シカゴハウスにあるような荒削りな感じもあれば、西海岸特有のレイドバックでスムースな雰囲気もあるし、聴いてもらえばどちらのテイストも入っているのがわかると思うよ。それ以外にもいろいろな影響が出ていて、若いときに好きだったピーター・ガブリエルとかU2といった、ぜんぜんダンスミュージックとは違うものも入っているかな。
ビーチが近いっていうのがすごく影響しているんだと思う。僕の音楽が受け入れられるところって、スペインだったりシドニーだったりとかするんだけど、海がすぐそばにある都市では人気があるみたいだね。自分で考えたことはないんだけど、インタビューされるたびに「西海岸みたいなドライなサウンドは何?」って聞かれるようになって「何だろう?」って自分でも考えるようになったんだ。
最初のアルバムを出した5~6年前のころって、小さめのラウンジでプレイすることが多くて、それが当時のトレンドだったし、実際僕がDJとしてギグでブッキングされるのはそういうところが多かったから、ああいう音だったんだけど、このへんの音楽が人気になればなるほど会場が大きくなってくるので、大きい会場でやる機会も増えてきたんだ。ちなみに去年は137本もプレイしたんだよね。そうすると大きな会場でやるときって、どうしてもディープな音はかけづらくて。それでお客さんの反応を見ながら、音がプログレッシブだったりテッキーなほうに変わってきたんだ。DJとしても、サウンドプロデューサーとしても、作曲家としても、そのへんの変化はあるんじゃないかな?ただクラブで聞いてもらえば、変わらないものは必ずあるはずで、歌詞やメロディラインの部分は自分では変わっていないと思うんだけど、サウンドプロダクション的に変わってきたのは、DJとしてのプレイが影響してるんじゃないかな?
毎回違うんだよね。ビートとかリズムが先に頭に浮かんで、それを組み立ててからメロディーを足していくこともあるし、歌詞やメロディが先に頭に浮かぶ場合もあるよ。
ものすごい量のリミックスをたくさんやっていて、常にスタジオにいるんだ。Nelly Furtadoのリミックスをちょうど終わらせたばかりで、それが入っている彼女のアルバムからのサードシングルが来月アメリカで発売される予定だよ。それからシンディ・ローパーのリミックスワークもしたよ。本人が僕のファンだってことで、彼女からアプローチがあったんだ。
それと「Late Night Alarm Night」っていう名前のバンドもやっていて、2年前に一度アルバムを出しているんだけど、そのセカンドアルバムをやらなきゃと思っているんだけど、僕がツアーに出たりであまりにも忙しくて、スタジオに入る時間がないんだ。あとカスケードとしてのアルバムを作ろうと思っていて、早くて来年頭じゃないかな。
日本のファンのサポートには感謝しているよ。早い時期から認めてくれた国って世界でも少なくて、日本はそのうちの1つで、早い時期からサポートしてくれていて。何回も日本には来ているんだけど、僕にとっては特別な国の1つになっているね。ありがとう、これからもよろしくね!
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