1994年よりDJ活動を開始し、北関東のアンダーグラウンド最重要ベースとなったクラブ「SOUND A BASE NEST」を地元に宇都宮にオープン。国内外からアーティストを招聘するだけでなく、地元のアーティストのフックアップも力を入れてきた。「SOUND A BASE NEST」はクローズしてしまったが、現在も積極的に国内を中心に活動するKATSU ARAI。30年というキャリアとこれまでに宇都宮で活動してきた思いを振り返ってもらった。
ーー改めて30年間を振り返っていかがですか?
1991年18歳で上京し学生パーティーの延長線で20歳の頃、当時横浜にあったclub HEVENにて、はじめてプロの現場でのDJデビューをしました。その頃は、当時人気があったHIPHOPでのプレイでした。アンセムとしていつも掛けてたのはBEASTIEBOYSのFIGHT FOR YOUR RIGHT。デビュー以降、東京各所にてDJ活動を行なってまいりましたが当時は、まずそのクラブのスタッフとして働き、働きを認められると、たまにチャンスを貰って少しだけDJをさせて頂きました。そんな時代でした。この頃は、1995年にリリースされたJOSHWINKの「Higher State of Consciousness」が世界的大ヒットとなり、この曲に影響を受け一瞬で全てがひっくり返り、アッと言う間に所謂テクノに傾向して行きました。
ーー初期の頃のDJ活動について教えてください。
当時は勿論アナログでのプレイでしたが、今思えばハッキリ言って滅茶苦茶ヘタクソなDJでした。なので当時の大学の仲間やその後一緒に起業した仲間達からは、所謂"下手の横好き"的なキャラで決して誰かに求められるようなDJ ではありませんでした。実は今でもその頃の仲間の前でDJするのはチョット緊張しますね。
1994年当時、恵比寿付近の駒沢通り沿いにあったクラブ"SOUL BAR"にて大学の仲間達と月一のパーティーを開催していて、そこでDJしてました。この頃はHIPHOPを中心とした選曲でした。一緒に写ってるのは、当時いつも一緒にDJしてたDJ YAMA (黄Tシャツ)
ーー 地元宇都宮に戻られてからの活動を教えてください。
2005年頃拠点を地元宇都宮に移したんですが、当時宇都宮の人気クラブだったPLANETで DJ募集の張り紙を目にして早速メールをして自分を売り込み『cout of breaks』というパーティーの仲間に加えて頂き、宇都宮DJデビューをしました。その後PLANETでは石野卓球さんやDISCO TWINSのKAGAMIくんなどとも共演させて頂く機会を頂きました。更に若さと勢いがあったので、元々あったクラブがクローズするということで、そのお店を譲り受けて経営する事になったんです。HIPHOPが中心のお店でしたが、毎週金曜日はDISCO TECHというハウスやテクノをメインとしたパーティーも開催してたんです。それが先日20周年を迎えたBIRDLANDという箱です。BIRDLANDは場所こそ移りましたが、今でも宇都宮の人気のクラブとして営業しています。
ーー影響を受けた人物との出会いについて教えてください。
上海から鳴物入りで東京に来て、アッと言う間に当時の僕らにとっては遠い存在であり憧れの憧れである石野卓球さん主宰の屋内型レイヴ『WIRE』にも何度も出演し自身のレーベル<PLUS RECORDS>を運営し同時にAIRで開催していたレーベルパーティー『PLUS TOKYO』のレジデントを務めていたSHIN NISHIMURAくんですね。その当時既に世界中での経験を持つ日本テクノ界のライジングスターだった彼には、歳下ながら本当に色々なご指導を頂きました。
ーー「PLUS UTSUNOMIYA」も立ち上げたんですよね?
そうなんです。旧NESTにてSHIN NISHIMURAくんと宇都宮の仲間と共にPLUS UTSUNOMIYAを立ち上げPLUS CREWとなり、本格的に東京、世界へ出る足掛かりを始めました。また2010年、SHIN NISHIMURAクンが出演したアムステルダムにて開催されたawakiningsに同行させて頂いた際、その圧倒的な規模と熱量に完全にロックされ、いつか自分も絶対にヨーロッパのBIG FESに出演すると心に誓った事を今でも覚えています。その後、元々宇都宮でNESTを経営していたTETSUYA YOSHIDAくんと意気投合し共同で「SOUND A BASE NEST」というクラブを経営する事になったんです。このお店が僕のDJ人生を更に加速させる大きな要因になりました。
ーー 「SOUND A BASE NEST」では宇都宮を代表するクラブでした。当時の思い出を教えてください。
NESTでは石野卓球さんやSHIN NISHIMURAくんをはじめDJ NOBUくん、WATA IGARASHIくん、DJ SODEYAMAくん、DRUNKEN KONGなど今でもTOPを走り続ける数々のテクノ DJを呼んでいました。あと海外アーティストもDERRICK MAY,、DJ HARVEY、DUBFIRE、MATHEW JONSON,、そしてJOSH WINK。JOSH WINKに関しては自分をテクノに導いてくれたアーティストなので、その本人が自分のCLUBでプレイしてくれた時の感動は今でも鮮明に残ってますね。ここでは書ききれない国内、世界のTOP DJ達を沢山招聘し共演もさせてもらいました。
ーー海外でも精力的に活動をされてました。どういった都市でプレイされてたんですか?また思い出に残ってる会場はありますか?
2012年に初めての海外でマルタ共和国にてDJさせて頂きました。以降、中国、イギリス、ドイツ、イタリア、オランダ、スペイン、オーストリア、世界8カ国30都市にてDJさせて頂く機会を頂けたんです。特にドイツ最大級8万人規模のフェス『"NATURE ONE2014』に出演する事ができました。2010年にawakiningsで心に誓った事を実現する事が出来ました。そしてその時はなんと自前のVJを連れて行く事をOKして頂き、今では日本のTOP VJであり、同い年で盟友のREALROCKDESIGNの千葉くんとご一緒させて頂きました。本当に痺れる現場を彼と一緒にプレイ出来たのは最高の思い出です。またそのヨーロッパツアーのローマのフェスでは、これまた同い年で当時イビサにて開催中のパーティー「music on」でVJを務めていたTONTONとも出会い一緒にプレイする事が出来ました。
ーーその後「SOUND A BASE NEST」がクローズするのですが、その後はどういった活動をされていたのですか?
初めて言うことになりますが、その当時一部から僕が沢山の所でブッキングを貰えるのはNESTがあって、 NESTにブッキングをするから僕もブッキングしてもらえているだけだ。という批判がありました。確かにその要素があった事は事実否定はできません。でも当時の自分は、本当に一生懸命DJと向き合っていただけに、それだけだと思われている事が本当に悔しくて仕方がなかったと記憶しています。だからこそ NESTがなくなってもブッキングを頂けるように、頂いたブッキングを1本1本全力でのぞみ、次に繋がる様に本当に努力しました。その結果、NESTがなくなった今でも栃木在住DJで最もブッキングを頂けているDJの1人でいれていると自負しています。そして今は、新たにはじめたプロジェクトである「空心才楽団」も有難い事にご評価頂き多数お声掛け頂ける様になりました。一緒にやっているメンバー濡れ天狗、endorphinの2人もそれぞれ知名度も人気も徐々に上がってきており、後輩DJの成長にも寄与出来ていると思っています。
ーー 30年間のDJ人生を振り返って、どのような感想をお持ちですか?
思い起こせば、30年という長い僕のDJ人生は、「下手の横好きDJ」というイメージからスタートし、常に劣等感との闘いでした。いつもまわりには常にポジティブな振る舞いをしていましたが、自信なんて全くありませんでした。それでも自分で自分を洗脳し奮い立たせてきました。その努力の原動力は常に悔しさでもありました。そんな30年でしたね。でも最近、30年経ってやっとと言うべきか、肩に力を入れず、誰かと比べず、カッコ付けず、決して自分の為では無く皆と楽しく音楽を共有出来る様になって来た気がしてて、 DJをしていて本当に楽しいな。って心から思える様になってきました。やっと辿り着いた境地なので、大事にして行きたいと思っています。
ーーKatsuさんの思い出のトラックをいくつか紹介していただけますか?
HOT SEX - A Tribe Called Quest
この曲は僕がDJデビューした94年の2年前である92年にリリースされた曲。92年当時は2pacの出世作でもある映画"JUICE"が世界的に大ヒットしDMC世界大会では"ROCK STEADY DJ`sの3人組の圧倒的なパフォーマンスで優勝。その中でもQ-bertのスクラッチに憧れていたのを覚えています。そんな時代だったのでDJをはじめる際、DJ =スクラッチのイメージだったし、HIPHOPからスタートするのは当時の僕等世代からすると、ごく自然ながれでした。そんなHIPHOPの中でもtribeのこの曲は"hot sex on a platter"というリリックとリフのループ感にハマった記憶があってループ感という点では、今僕がtechnoをプレイしている事と何か通ずるところがあったのかもしれません。
Higher state of consiouness - JOSHWINK
僕がHIPHOPでDJデビューした翌年の95年にN.Yのレーベル"Strictly Rhythm"よりリリースされたJOSHWINKによる大ヒット曲。オアシス、マイケルジャクソン、セリーヌディオンなどが同じチャートに並ぶ、このインスト曲が全英シングルチャート最高位8位にランクした事は極めて異例でした。何となく80年代の高校生時代にダンスを通じて出会った音楽、所謂New Jack Swingなんかと同じ様なBPMやbeat感なのに圧倒的に新しい世界観で、この曲を通じてはじめてraveというカルチャーに触れた記憶があり一瞬でその世界観のファンになりました。まさにこの曲がtechnoへ傾向していく曲でした。そしてその15年後に自分が創ったCLUBで共演する事になるとは、この時点では想像すら全く出来ていませんでした。
Let me show you - Camisra
98年にイギリス人DJ,プロデューサーであるCamisraことPaul newmanがリリースした曲。当時いつも通りレコ屋でレコードをディグった際に出会った曲。ドラムロール→女性の悲鳴→極太のベースラインとハードなドラムラインで昇天。という超シンプルな曲なんですが、rave感があってDJプレイの後半にフロアで"ハメ"を創りたい時に良く掛けていた記憶があります。本当にレコードの溝が無くなる程、掛けていた記憶があります。後に今は亡きVHSビデオでリリースされたFATBOY SLIMのbig beach boutiqueにて当時僕も大ファンだったノーマンがこの曲を掛けているのを観て、とにかくハッピーな気分になったのを覚えています。
Egotism - Sam paganini
この曲は2012年,世界的テクノレーベル"DRUMCODE"よりリリースされたアルバム'EROS"に収録された1曲。とにかく我を忘れて踊れる曲で今でもたまに使ってます。
Rise of angel / Luciano (Andrea Oliva remix)
オリジナル曲は超名門レーベル"Cadenza"より、2012年にレーベルオーナーでもあるMr ibiza事"Luciano"の曲をスイス出身のDJ / producre , Andrea Oliva によるremix。まず少しtribalな跳ねた感じのグルーヴから哀愁あるピアノの和音が入って来て"ゾク"っとなり、その後のブレイクでは女性の優しいボーカルが入り、柔らかく終宴を予感させる曲。人生で1番掛けたラストアンセム曲だと思います。
ーーKatsuさんに届いたメッセージを紹介します。
SHIN NISHIMURA (PLUS RECORDS)
カツ兄とはもうずいぶんと前に宇都宮で出会ってから、PLUS宇都宮をやってもらったり、マルタ、スペイン、ロンドン、上海、神戸、千葉、東京などいろいろと一緒にDJしたり遊びましたね。思い出は語り尽くせぬほどたくさんあります。僕はもうDJを殆どやっていませんが、PLUS CREWのメンバーとして、今も現役で頑張ってる姿を陰ながら応援しています。
これからも、楽しんでDJして下さい。30周年おめでとうございます。
TOSHIYUKI CHIBA (REALROCKDESIGN)
カツくん30周年おめでとうございます。
カツくんとは一番最初に会ったのは大学時代だったかな。
よくつるんではアホな事ばかりやってました。しばらく会っていなかったのですが、カツくんが、宇都宮NESTをスタートして、遊びにいく機会が多くなり、今に至ります。
宇都宮という街にダンスミュージックカルチャーを常にドロップしている宇都宮の父といっても過言じゃない活躍は本当にリスペクト!
そろそろ面白そうな企画を一緒にやりましょう!
改めて30年!おめでとうございます。
Drunken Kong (Drumcode / tronic)
Katsu さん
DJ 30周年おめでとうございます!
Katsuさんとは、Plus Recordsのパーティーで知り合い、同じレーベルメイトとして沢山のことを教えていただきました。DJとしての考え方や、音楽に対する姿勢など、Katsuさんの姿を見て刺激されてきました。
Katsuさんはこの30年間で、日本のTechno界において沢山の貢献をせれてきたかと思います。
これからの新たなチャプターも、さらに素晴らしいものになることを心より願っています。これからもKatsuさんの音楽でみんなを楽しませてください。
ー祝福と感謝を込めてー
RYO TSUTSUI (TRAX RECORDS / EN FESTIVAL)
KATSUさんが宇都宮で経営されていたクラブNESTへブッキングしていただいたことが出会いのきっかけでしたが、北関東と東京やその他の都市を結ぶキーマンとして知識も経験も豊富なKATSUさんは自分にとって沢山のことを教わった兄貴分という存在です。
KATSUさんの地元にお招きいただき共に開催したEN FESTIVALはKATSUさん無しではとても出来ませんでした。すごい方だけど、ダンスカルチャーへの愛が深く面倒見が良い頼りになる先輩です!
KATSUさん、30周年おめでとうございます!!!
後に続く我々のためにも変わらずずっと頑張っていただけたら嬉しいです!!笑
JYOJI TAKADA (ZIPANG FESTIVAL PRODUCER)
ダンスミュージックカルチャーの大先輩!
自分の親友がカツサンの直の後輩で、親友の紹介からはじめましての先輩です。
カツサンとには結構昔からお世話になってますねー。自分達の初の野外フェスから出演していただき色んなアドバイスを頂いたり、何もカルチャーの無い宇都宮にクラブを作りテクノとハウスを根付かせたのをライブで見せてくれた尊敬する兄貴です。
カツサン!おめでとーございます。カツサンらしい踊らせるDJで今後もフロアーをロックしてください!!
TETSUYA YOSHIDA ( NEST 共同経営者)
NEST。戦友。あー、この人は心臓に針金生えてるなと思ったことが何度かありましたw
30周年!おめでとう!
これからも身体を大切に、DJ活動頑張ってください!リスペクト!
ーー 最後に、これまで支えてくれた方々へメッセージをお願いします。
改めて、僕のこの30年間を支えてくれた全ての皆様に心から感謝申し上げたいと思います。そして引き続き宜しくお願い申し上げます。そして、そんな30周年をこれまた昔からの盟友であるJYOJI TAKADAくんの粋な計らいで、数々のスーパースターが出演してきたあの憧れのフェス『ZIPANG』でお祝いしてくれるとの事。7/6(FRI) - 7/7(SAT)那須にて開催です。何卒、お祝い兼ねて顔を出して頂けたら幸いです。
KATSU ARAI
ピアノ教師だった母親の影響を受け幼少期よりピアノを通じて音楽に触れる。1994年よりDJ活動を開始しJOSH WINKに影響を受けtechoに傾向。2007年地元宇都宮にてクラブSOUND A BASE NESTを開業。北関東アンダーグラウンドシーンにおける重要拠点に成長させる。2012年PLUS RECORDSより自身の楽曲をリリースしPLUS CREWの一員となり PLUS UTSUNOMIXAを立ち上げる。
2014年日本人初出演となったドイツ最大の野外FES "NATURE ONE2014"の出演をはじめ海外の名だたるFESやCLUB、世界8ヵ国30都市に出演。世界での高いプレイ経験を元にTECHNOを軸とした様々なジャンルをクロスオーバーさせロジカルに選曲されたDJ setは高いストーリー性を創出し、フロアは濃密な映画を観るような感覚に包まれる。近年、濡れ天狗a.k.a skm、endorphinと共に"空心才楽団"を結成。国内人気野外フェスrebirth,brightness,en festivalや東京WOMB,名古屋MAGOなどの国内トップクラブにも出演しその中毒性あるDJセットで話題を呼んでいる。
DJ活動を通じ世界を旅して出会った世界のローカルフードを提供する飲食店「TABICAFE」を宇都宮インターパークにてプロデュースしている。
https://www.instagram.com/tabicafe.interpark/