3日目までくると、苗場にいることが非日常のものから日常に変わっている。オアシスで食事をしていると、大きな村にいるようにすら思えてくるのは不思議だ。明け方に雨が降っていたようだが、今はすかっり上がっている、晴天だ。天気予報も今日も天気がもちそうだということだったし。3日間晴れたのは過去にあったのだろうか?天気がいいだけで楽しい。今年は特に当たり年だったのかもしれない。
Text : yanma (clubberia)
最初に向かったのは、GREEN STAGEの井上陽水。フジロックに行く前に、あるクラブの店長から「井上陽水はヤバイから絶対に見たほうがいい、最後のニュースって曲がやばいから」とアドバイスをもらった。それまで、アーティストというより正直芸能人として見ていた。予習てみると、その詩の深さと直球さ、マーブル模様のサイケデリックな渦の中に引き込まれるような音楽に引き込まれ、個人的には今年のフジロックで1番見たいアーティストでもあった。
序盤リバーサイドホテルを演奏中にGREEN STAGEに到着。そして、忌野清志郎との共作"帰れない二人"をフジロックのGREEN STAGEで演奏。MCもほとんどなく淡々と進んでいくパフォーマンス。その寡黙さがアーティストとしてのオーラをよりはっきりさせていった。そして楽しみにしてた"最後のニュース"が演奏される。筑紫哲也のニュース23の初期エンディングテーマとして作られた曲。そしてご存知のとおり筑紫哲也も既にこの世を去っている。歌詞を聞いて頂ければお分かり頂けれると思うが、私達人類が抱えるさまざまな問題を、独特な詩の世界感で私たちに問いかけている。その1つに、「原子力と水と石油達の為に 私達は何をしてあげらるの」と、私たちが直面しているエネルギー問題を問いている歌詞もある。アーティストと聞き手が1対1で成り立ち完結する歌詞の曲は、世の中に吐いて捨てるほどあると思うが、この"最後のニュース"のように、1対全国民、英語になれば全世界へ問題提起できる曲はあったのだろうか?美しくも悲しい詩がGREEN STAGEを包むと時が止まったかのように静寂が訪れた。その後は、アップテンポな"氷の世界"で会場を盛り上げ、"夢の中へ"、"少年時代"、"傘がない"と彼の代表曲のオンパレードで終了した。そして、「どうもみなさん、ありがとう、サンキュー。さよなら、お幸せに。」とスマートに、でも不思議な言葉を残し、彼のステージは終了した。
今年は、ほとんどGREEN STAGEしか見ていなかったので、思い出作りと称して会場内を冒険することにした。フジロックは、冒険という単語が、もうすぐ三十路を迎える私にも恥ずかしめもなく使えてしまう。WHITE STAGEからFIELD OF HEAVEN、ORANGE COURTへと進み、さらにその奥へとも進んで最終的には川辺で休憩していた。川に入ること、森に囲まれること、砂を踏むこと、泥を踏むこと、暗くなり視界が悪くなること、虫に刺されること、etc。本来、自然であるべきことが、普段の暮らしの感覚でいると逆に不自然だ。そんな違和感を感じながらどんどん日が暮れていった。
フジロックでREDIOHEAD。どれだけ、この状況をファンは待ち望んでいただろう。この日、全国から苗場につめかけた人は約40000人。暗闇の中、びっしり人で埋まったGREEN STAGE。通行専用の通路も人が多すぎてかなり渋滞している。私もまだまだフジロックビギナーだが、こんなに人が集まったフジロックは初めてだと思う。うっすらと流れる転換の音ですらドキドキする。固唾を呑むような緊張感がGREEN STAGEを包んでいたように思う。天気もこれまでもっている。ただ、空には稲光が見える。このまま「天気よ、もってくれ」と思う反面、ここで土砂降りになってもRADIOHEADならそれも美しく思えそうだ。どちらにせよ伝説は生まれる。
Lotus Flowerから始まった彼らのパフォーマンス。低空を怪しくはうシンセの低い音、そしてトムヨークの声。彼の声を聞いてRADIOHEADがそこにいることを認識できたように思うほど、現実と夢の狭間のような空間にいたように思う。そしてBloomへと続き、よりエレクトロニックで前衛的な音色にツインドラムならではの緻密な人力のリズムが、より神秘的なものにしていく。そしてドラムン的なリズムからフォーク的なリズムに変わる不思議な"15 step"と近年のトラックを中心に、耳を慣らして行くかのように徐々に複雑になっていくようだった。"Kid A"や"The Gloaming"など懐かしい曲も続き、中盤には"Pyramid Song"のピアノの前奏で大きな歓声があがった。
以前、私がRADIOHEADのライブを見たのは2004年の幕張メッセ。当時は、興味も無く半ば無理やり彼女に連れて行かれた。その時、会場では特に何も思わなかったが、自宅に帰って当時好きで聞いてたハウスのレコードをかけてみると、ものすごい音に物足りなさを感じ(若かったので聞いた曲のクオリティーが低かったのかもしれないが)、圧倒的な差を感じたのを覚えている。フジロックの良さは、まず音がいい。どこにいても綺麗に聞こえる。あの広い会場に万篇なく行き渡る素晴らしいサウンドデザインだと思う。その中で緻密で複雑な彼らの音もはっきりと聞こえるのは非常にうれしい。
彼らのパフォーマンスは、一貫して一定の温度感を保ち抑揚は無かったように思う。曲の抑揚はあるのだが、やはりRADIOHEADという質感が変わらない。幽玄であり触れるのをためらってしまうほど、遠くに感じておきたい音楽だと思うほどだ。
2回のアンコールが終わり、これで今年のフジロックは終了した。友人とオアシスで基地を作り、各々余韻に浸った。レッドマーキーでさらに遊ぶわけでもなく、あーだこーだ話すわけでもなく。ただただ放心状態が続く。RED MARQUEEでは、ちょうどDJ BAKUとDE DE MOUSEがパフォーマンスしていたのを、遠くからぼんやり眺めていた。重い腰をあげ、宿舎へ帰る。すると入場ゲートが「SEE YOU NEXT YEAR」と変わっていた。フジロックのいいところは、こういった人と人とのやり取りが感じられるところや、細かく隅々までオーガナイズされていないことろ(しているかもしれないけどそれを感じさせない)、来場者側の自主性にある程度託してくれる部分だったりする気がする。だから私たちもルールやマナーを守り、気持ちよく過ごせるのだろう。
翌日月曜日、ゆっくり東京へ戻った。東京へついて、みんなで居酒屋に行った。そこで、3日間で溜め込んだ思い出を感動を共有した。そしてまた来年も行こう、前夜祭から行こうと約束した。そういった人たちが毎年毎年徐々に増えて今のフジロックがあるのだと思う。今年もありがとう、来年もよろしく。
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