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今回Red Bullさんと一番悩んでいたチケットの部分は、3日ぐらいですぐ完売したのでそこはホントによかったなって思います。チケット発売前のアプローチのかけかたとか、わざと「チケット取れませんよ!」って煽ったり、そういう作戦がうまくいって。今じゃ結局チケットが全然足りてないんで、ある意味大変なんですけど。せっかくいいステージでいいB-BOY呼んで、大きくかっこいいことやろうとしてるのに、チケットが売れてないから当日人入れのためにたくさん招待しようってなったら、せっかくチケット買った人はおもしろくないだろうから。そういう部分ですごく不安ではあったんですけど、その一番重要な部分がクリアできたんで、あとはどんだけクオリティを上げるかを考えるのに専念できますね。当初は「チケットは10月末までは余ってるだろうから、こういうCMを打ちましょう」って言っていたものが、「チケットが買えないからどういう風に宣伝しましょう」に切り替えながら。みんなでいろいろ考えたりとか。 きっかけは、高校1年のときにダンスを始めたっていう、すごく単純な理由で。ちょうどダンス甲子園の時期だったんで。それが一番最初で、ただそれがヒップホップっていう理解はまったくなくて、ただダンスのみ。中学のときにバンドをふざけてやってたことがあって、音がすごく好きで、踊るための曲を探すことにも興味が出てきて。たとえばテレビで「ダンス甲子園でこのチームが使っているこの曲何なんだろう?」とか。そういうのをディグするときに、買い物に行ったレコードショップやCDショップで買うときにジャンルが「HIP-HOP」って書いてあって。それで「あ、これはヒップホップっていうジャンルなんだ」っていうことをなんとなく感じ取れるようになって。ただそこはヒップホップに4つのエレメントがあって、チャプターがどうのっていうのはまったくなく、(当時は)「ヒップホップとうい音楽で踊るダンス」っていう感じだった。だからヒップホップダンスなのかなって。それでしかなかった。そこからどんどん流れて、いろいろないきさつがあって、今に至るんだけど。 最初はDJなんて名ばかりで、レコードとCDを買いまくってて。そこから90年代初期とか、80年代後半のレコードをずっと買い続けてたから、ダンサーなのにレコードたくさん持ってて。そのときはまだ自分がニュージャックスイングをやってて、1990年から入って、91年、92年と踊っていく中で、92年からブルックリンのニューヨークスタイルって呼ばれるマライア・キャリーのバックダンサーたちが、新しいダンスを作って、92~94年とラルフ・ローレンや、トミー・ヒルフィガーを着て、みたいなスタイルでダンスをしてて。
そのときにニュージャックスイングから憧れてた人たちっていうのは「ちゃんねるず」「CRAZY-A&THE POSSE」だったから、九州の田舎の方のなんにも情報のないところで、その人たちを見たいがために、ちょうど1995年ぐらいに1度東京に行ったときは、ドレッドでラルフ着て、その状態でパッと飛び込んだら、アキラさん(CRAZY-A)たちがB-BOYをやってて。「何なんだこれは?」って。「あれ」って思って。オレの中では、ドレッドかけて、ティンバー履いて、最先端の格好をして踊ってるのが「ちゃんねるず」と「CRAZY-A&THE POSSE」なんじゃないかって思ってみてきたものがすべて覆されて。そのときに「このダンスは何ですか」って人に話しかけて。で、「CRAZY-AたちはもともとB-BOYでブレイクをやっていたんだよね。そこから新しいダンスになって、今はまた昔のスタイルに戻ったんだ」って言われて。そこで「ヒップホップの原点はB-BOYだったんだ」ってことが徐々にわかってきて、「オレのやってるのはヒップホップじゃねえ!」って思っちゃって、そこから1回九州に戻って。
ドレッドで最先端の服着て東京行ったのに、ジャージ着て頭坊主にして帰ったっていう。で、そこからオールドスクールを勉強するようになって。でもそのときは20代中盤ごろだから、「今からブレイクを始めるのもちょっとなんだし……」っていうのもあったんだけど、ポッピングとかも練習して。1997年ごろにまた出てきたときに、97~98~99年とか2000年あたりって、B-BOYの中に立ち踊りとか、アニメーション的なエッセンスを加えるような存在のやつってけっこういたでしょ?だからそういう形でB-BOYの中に混じって、立ち踊りをやるっていうカテゴライズでなんとかそこでがんばろうって。あとは、ちょうどそのときまた90年代の早いラップがB-BOYの中で流行りつつあったときで、「何コイツ、そんなにたくさん持ってるの?」「いや、これは昔踊ってた曲だから、こういうのはたくさん持ってるよ」っていうところからB-BOYたちに曲をあげたり、ミックステープを作ってあげるようなシチュエーションが増えて。
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そのときはインターネットが普及はしていたものの、インターネットで曲を買ったりするような時代じゃなかったから、とにかくレコードに行って、試聴ができないやつは何度も失敗したし。試聴ができるところに行ったら、ずっと試聴しながら何時間もいて。怪しいブレイクがありそうな溝を探して「おー、コレ!」とか言いながら。で、その1枚のレコードを買っても、ブレイクするには2枚いる。だから、その2枚目を探すのに、見つけたのに反ってたり、傷が入って針が飛んで「ここのブレイクかけれねぇ!」とか。あとUK盤とUS盤で音質違うとか。そういうのでものすごい苦労したけど、その中で同じレコードを何とか探そうっていって。とにかく休みの日は1日使って、アルバイトから仕事のお金から全部レコードにつぎ込むようになっちゃって。だからダンスをやってたときって、ダンスでお金もらってたこともあるし、DJでお金もらうこともあるけど、出費とモテ具合が違うよね。 踊ってたときのほうがモテたね。短い時間で人気が出るっていうか。DJってお金かかるし、ましてやB-BOYの世界でDJやってるから男しかいないし。だからナンパなんていうのもないし、でもそういう現場じゃないと自分が好きじゃないしっていうのもあって。ホントは女の子にキャーキャー言われたいっていうのはあるけど「そんなのはフェイクだ!」って思う自分もいたり。そこのバランスがむずかしいかなー。 ダンスでいうなら当時「ちゃんねるず」っていわれていたチノさんとコージさん、あと日本のヒップホップを支えてきたCrazy-Aさん。あとは音を掘ったりディグするっていう部分でいうと、DJ SHADOWとかCUT CHEMISTとかああいうところはすごい好きだったり。あと日本で一緒に切磋琢磨してきたDJ Tee君とか。それと「Battle Of The Year」で、「聴いたことないけど、この曲すげぇかっこいいな」っていう曲をかけてたDJ LEACY。彼は亡くなってしまったんだけど、彼は「聴いたことないけどこんな曲あるんだ!?何だこのカバーは!?」っていうのをかけてて。ヒップホップをかけるんじゃなくて、B-BOYのバトルで2枚でブレイクスをかけて、ずっとバトルを動かしてて。それにすごく衝撃を受けて「こんなカッコイイやつがいるのか!」って思って。それをTee君と一緒に血眼になって探して。それは大きいイベントをみんなが見る中で、かかっている曲が気になることが多いから、「かっこいい曲を日本でいち早くかけてあげたい」とか、「海外に出たときに同じような環境を整えておきたい」っていう方向に思いが向かっていって。あとはQ-Bertのスクラッチとかもすごく好きだし、Grandmaster Roc Raidaのトリックとかも好きだけど。名前挙げてるとキリがないけど、そういう人に憧れたかなー。 「三度の飯よりBREAKIN'」を始めたのは2001年で、来年10周年なんですよ。そういう早稲田ブレイカーズの曲を作ったりFIRE WORKSの曲を作ったり、当時東京をレペゼンしてたB-BOYの音楽を作っている中で、もっとB-BOYが踊れる場所を提供したいなって気持ちが湧いてきて。みんなからも「やったほうがいい」「やってほしい」っていう声が多くて、そういう場所を作っていかなきゃいけないんじゃないかって。なるべくB-BOYにいい環境やいい状況、いい音を与えたいっていう方向になっていって。今みたいにたくさんイベントがあればいいんだけど、当時はなかったからやってみようかなって。ただそれだけの単純な気持ちで。 偉そうに言えた口じゃないけど、ヒップホップは、4つのエレメント+5個目のノーレッジ(知識)があるといわれているなかで、日本のヒップホップカルチャーは、MCはMC、DJはDJ、B-BOYはB-BOY、ライターはライターだけみたいな、それぞれのエレメントがあるにも関わらず、一緒になるシチュエーションがなかったり、なかなかクロスオーバーしないっていうのがすごくもったいないなと思うんですよ。そういうところを1+1が十にも百にもなるのがヒップホップのパワーだと思うので、そういうところがもっとコミュニケーションとれたり、リスペクトし合えたりできたらいいなと感じています。
あとヒップホップが産まれてまだ36~7年というところで、それを作って、やって、広めてきたレジェンドたちがまだ生きている。生きている中でオレたちもその現場にいてやっているっていうことが、今すごい重要だと思っていて。その中でそういう人たちにいろんなことを学んで、何がヒップホップのスタートだったのか、どういうことを大事にしてきたのか、学びながら新しいヒップホップを生み出したり、次の世代につなげていくっていうことができないとなって思います。ただやってるだけだと、日本のヒップホップは多分死んでいくんじゃないかなって。誰もリアルじゃないとか、わかっているやつがいないっていう。そういう思いも込めて、ヒップホップが5大要素になったんじゃないかなと。それもありきで、少なからずZuluとかみたいにヒップホップを継承していく感じで、そういうカルチャーに携わらせてもらっていきたいということで。
去年Afraka Bambaataaが来日したときに2日間オレ個人でケアして、そのときいろんなこと聞いたけど、やっぱり知らないことがたくさんあって。でも、日本でそれを教えてくれる人がいないんですよ。もちろん80年代から始まった日本のヒップホップカルチャーに関しては教えてもらえるけど、「70年代のブロンクスでこういうことが起きてたんだ」とか「なんでB-BOYがブレイカーっていうようになったのか」とか「ブレイクスは誰が何でやりだしたのか」とか「ヒップホップはどこで1番最初に始まったのか」とか。「ヒップホップをやっています」っていうのに、「ヒップホップ」っていう名前をつけたやつも知らない、それを広めた人もしらない、それがどこで始まったのかもわからないっていうのって、ちょっとナンセンスなんじゃないかなって、オレは思うようになったんですよ。
そういうことは、いまだリアルに聞くことができるから、BambaataaだったりKool Hercだったり、そういう人たちが今後亡くなるときに、自分たちの孫の代とか、何十年先になったときに、そういうのを知っている人がいないから、話が聞けない、わからないっていう状態になる。そうすると、そこらへんで勝手に作られたものが一人歩きしてわけわかんなくなりそうな気がするので、ノーレッジという部分を大事にしてほしいし、日本のシーンにはそういう風になっていってほしい。
BambaataaやZuluの人たちがよく言う「Each one, teach one, feed one」っていう言葉があって。「ひとりひとりが学び、与えていくことが重要だ」っていうことなんですけど、そういうことを日本人もやっていかないと。Crazy-Aがやってきた「TOKYO B BOYS」で誰が一番最初に日本でヘッドスピンをやったとか、誰とどこが仲悪かったとか、今はこうやって聞けるけど、たとえばCrazy-Aが亡くなったとき、オレたちが何も知らないまま先に進んでしまったら、そういう人たちが作ってきたものを何も継承できないまま終わったら、それはちょっと違うんじゃないかなって思うし。
あとはみんなヒップホップにもらってばかりなんじゃないかと思う。ラップをする、絵を描く、DJをやる、その技術とか見た目とか、その容姿だけはみんなもらっていて、ただただ与えられたものを自分で吸収して、それを自分でメイクマネーして。メイクマネーそれ自体はすごくいいことなんだけど、もっとカルチャーに恩返しをする気持ちをもてれば大きいんじゃないかなと。
そういう部分で「Red Bull BC One」ってRed Bullっていう大きい企業がやっていて、ジャッジでKen Swiftが来るとか、Stormが来るとか、そういうカルチャーを作ってきた人たちを呼んで、大きい仕事としてフックアップできるっていうことが、カルチャーへの恩返しでもあるし。妥協するべきところも多少出てくるけど、ご飯を食べていけたり、夢がある世界になるためには、そういう企業が絡んだり、オープンになっていくっていうことが重要だと思っているから。それにはちゃんとわかっている人たちがいるからこそ、影で支えているからこそ成り立つんじゃないかなって、いつも思います。ちょっと長くなりましたけど大丈夫ですか? 僕九州出身なんで、九州の気質を持った女の子が好きだなと思っていたんですけど、見た目は北海道が日本一なんじゃないかなって。こないだ北海道行ったんですけど。北の女性は肌がきれいだから。そういう色白に憧れるっていうか。でも気質は「三歩下がってついてくる」みたいなのが好きですね。基本的に九州はSで育つから。Mを持っている人はいても、Sを持った中のMの人が大半を占めるから。Sでこられるとちょっと困る(笑) 今は原宿で「Dancer's Collection」っていう洋服屋をやっているんですけど、日本にあるものを真似てもしょうがないんで、日本にないものを作ったり。自分が踊ってたときとか、DJをやるときに、ココにいくとすぐ洋服作れるとか、一からこういうものが作れる店があったらいいなと思ってて、そういう店が見つからなかったので、結局自分でそういうお店を作ってみて。ダンスの衣装をよく作っているんですけど、ダンサー向けの、かゆいところに手が届くようなお店です。某著名なDJの方やダンサーの方の衣装もだいぶやっているので、みなさんぜひお願いします。
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