それからクラブに遊びに行くようになって、渋谷の「CLUB MARUYAMA 59」で「ゲーマーズナイト」がはやってたとき、テクノ系のパーティーに通ってたんですが、ある日、友達から「パーティーやるんでDJやってくれない?」って言われたのがクラブデビューなんです。それをきっかけにCLUB MARUYAMA 59が箱を貸してくれるっていうので月1回木曜日にパーティーをやり始めて半年間続けました。小箱なんですが、多いときは100人くらい来てくれてましたね。パーティー終了後に、雑巾がけをしたのをよく覚えてます。(笑)
そのパーティーをやめる頃には、ほかの友達からもDJのお呼びがかかるようになって、2か月で16回もブッキングされるようになったんです。 あれは95年ですか。「リバプール」っていう渋谷のショップで、ジャケットに「HAPPY HARD CORE」とだけ書いてあって、怪しい絵が描いてあるレコードを見つけて、思わず買ってしまったのが、ハッピーハードコアとの出会いなんですけど、ジャケットといい、サウンドといい「これはなんだ!」っていう衝撃が走りましたね!で、その後もこのシリーズを何枚か買いました。
その頃はドラムンベースがハヤりだしてたんですけど、ドラムンベースのビートにピアノが入ってる感じの音が新鮮だったんです。当時は今みたいにインターネットがなかったので、レコードやアーティストの情報が全然なくて「HAPPY HARD CORE」に参加しているアーティストをメモしてましたよ。だから、横浜ディスクユニオンのユーロビートコーナーでたまたまメモってたアーティストの名前を発見したときは感激でしたね!
ちなみに今はハッピーハードコアではなく、ハードコアって呼んでますけど、どちらもルーツはブレイクビーツなんです。ブレイクビーツが高速化してドラムンベースになって、ジャングルになったんですが、ダークサウンドとしてジャングルが定着しだした頃、その反動でハッピーな感じのハッピーハードコアが広まったんです。それがハッピーハードコアの始まりです。当時は黒人はジャングル、白人はハッピーハードコアというように好みに明確な分かれ方がありましたね。
97年頃には、THE BEATLESの「LET IT BE」のハッピーハードコアバージョンなどの海賊版が量産されたりして、シーンも広がったんですけど、歌があって、ピッチが早い、という特徴から「子供が聴くもの」というイメージがついたのもこの頃ですね。で、2000年頃までには急速にシーンが縮小し、レコードリリースも減ってジャンルがなくなるんじゃないかという危機的な状況になりました。
そうしたときに、HIXXYがハッピーハードコアのサウンドをトランス調にした「ハードコア」を作りだしたんです。その頃からシーンが盛り返し始めて、 2002年頃には復活し、以後「ハッピーハードコア」とは呼ばずに「ハードコア」と呼ぶようになりました。僕のパーティーでも「ハッピー」をとった「ハードコア」で告知してます。また、この頃にハードコアの中でもダークな路線の「フリーフォーム」というスタイルが生まれました。現在のハードコアはアップリフティングでパワーがあるのが主流で、「ただ明るく楽しく」というのは多くないですね。
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当時日本のレコード店では「試聴」できなかったんだけど、イギリスでは試聴はできるけど、レコードを手にとって選べなかったことに驚きましたね。カウンターの向こうにいるスタッフが「どんなのがいいんだ?」と聞いてきて「こんなかんじの」と答えると店員がレコードを選んで出してくれるという、とてもプロフェッショナルなシステムだったんです。僕も「どんなの?」と聞かれたんですけど「とりあえず全部聞かせてくれ!」って答えて、スタッフも「え~!!?」って感じだったけど、全部聴かせてくれて、結局その日だけで、150枚ものレコードを買ったんです(笑)。翌日「Black Market」って店でも買いましたけどね。。。ちなみに、この5年後に僕が初めてレコードをリリースするのは、たまたまなんですけど、このRemix Recordsなんですよ。
で、そのRemix Recordsで1枚のフライヤーをみつけて、会場への行き方をスタッフに訪ねると「この駅にいけばわかるよ」とだけしか教えてくれない。不安になりつつも翌日、1時間以上電車に乗って「Art and Leisure Center」という会場がある駅に到着すると、大きなアリーナの方へ向かう人たちがいっぱいいたんです。中に入ると1万人くらいの人がごった返していて、今までに日本では味わったことのない異様な雰囲気がそこにあったんです。当時としては本当にめずらしいレーザーシステムもありました。
1万人の中に東洋人は僕ら2人だけだからか、何百人もの人が、ものめずらしさから握手を求めてきたり。。。ハッピーハードコアには「LOVE, PEACE&UNITY」という精神があるんですけど、そういったピースな感じが音にもあらわれていてパーティー中にみんなレイヴフォーンを吹いていたり、MCがチュリスを投げていたりと、とってもピースな感じなんです。特に印象に残ったのは車椅子に乗った人たちが楽しんでいる姿を見たことですね。とにかくパーティーにみんなが参加している感じがすごく出ていたんです。このパーティーに衝撃を受けて、自分でも「音楽の細部を知らなくても、誰でも楽しめるパーティー」を作りたいという衝動がおきたんです。
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そのころ、大学4年生で時間があったし、パーティーや音楽を通じて知り合いがどんどん増えてきてたので「キューレコード」というショップを始めたんです。平日にはCDやレコードを売り、週末にDJをやる。まさに音楽漬けの生活ですね。週末には北海道や九州にも行って朝までDJして、終わるとすぐに東京に戻って店に立つって生活です。
そんな環境だったんで、僕のイベントもショップのお客さんを通して知られるようになり、集客もどんどん増え、BALLからROCK WESTに箱を移して毎月開催してました。その後も GAME 、クラブチッタ川崎と移動して、2002年12月までは毎月やってましたね。 友達やお客さんに「あまりハードコアは好きじゃないけど、URAKENのDJは好き」って言われることがあります。トランスからビルドアップしてセットを組むこともあるけど、僕がかける楽曲のビートやリズムに自分のテイストが出てきているからだと思います。DJも楽曲制作も「ビートとリズム」が命だと思いますね。ハードコアでもビートが荒々しいのは好きじゃないんです。トランス的なしっかりした、力強いビートが好きですね。楽曲のエッセンスとしてラフな音が入ってもいいですけどね。あと、トランシーなシンセ音は絶対にはずせないですね。DJでは、そういった楽曲を使ってお客さんを楽しくさせることを忘れないような構成にしています。
楽曲制作に関しては、昔からちょこちょこ遊びでやってたんですけど、真剣にやり始めたのはここ2年くらいのことです。昔はコンピューターやシーケンサー、エフェクターといったハードウェアがないとおもしろい楽曲は作れなかったんだけど、最近はソフトウェアの発達で自分のイメージやアイデアをすぐに実現できるようになってきたのがきっかけです。最近はアニメ「リバイアサン」や「北斗の拳」の曲をリミックスしたりしてます。また、僕が作ったオリジナル着メロや着うたは、いくつかの携帯サイトでも配信されています。最新作は「Loosing Control」という楽曲なんですが、アッパーで盛り上がる曲に仕上がってます。フロア受けもすごくいいですね。あとは「DJ U」名義で大ネタのボイスサンプルを使ったトラックを4月にリリースします。リリース前からかなり好評なのでレコード屋さんで見かけたらぜひ聴いてみてください!
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