俺がダンスをやりはじめたきっかけって、実は89年に当時人気が出はじめたボビー・ブラウンのプロモーションビデオを見てからなんだよね。それから毎日のようにステップ系のダンスを練習して、2年ほどやり続けたのかな。だから、92年頃はダンス命で、よくニューヨークに行っては、ファンクマスター・フレックスやキッド・カプリのパーティーで遊んでたんだ。
でも、だんだんダンスだけでなく、彼らがプレイしている曲にも興味を持つようになったんだ。それで、ラジオで曲をチェックしながらレコードを買い集めて、 93年頃からは自分でDJもやるようになったんだ。初めてクラブでDJしたのは95年、新宿「サンボーズ」で。その後、六本木「エロス」を経て、恵比寿の「ファイアークラッカー」(現:LUST)でレギュラーをやるようになり、99年にKOYA、ICHIROなんかと一緒に六本木「スピークイージー」で「WHAT」っていうパーテ ィーを始めたんだ。
DJを始めてしばらくすると、自分が聴いて踊りたい音をミックステープにして、まわりの連中に配り始めてね。99年頃からはレコード屋に持ち込んだり、オーダーシート作って地方のショップにもFAXして注文取ったりして売りだしたんだ。2バージョン作って1000本ずつくらいコピーしたかな?まぁそうやって自分営業をやってたんだよね。
そうしてるうちにHARLEMからKOYAにレギュラーパーティーの話がきたんだ。当時、オープンから4年間、毎週火曜日にWATARAIとHASEBE がやっていた「HONEY DIP」が終わるってことでね。HARLEMではそれまでにも不定期でやったことはあったけど、HARLEMができた当時は東京にはヒップホップ系の大箱ってなかったから、オープン時からいつかはここでレギュラーやりたいって思ってたんだよ。だから、すぐにやろう!って言って、2001年に「RED ZONE」を始めたんだ。
それで毎週毎週やっていくうちに、REDZONEにもHARLEMにも愛着わいてきて、ここで自分をどうアピールするかってことを真剣に考えるようになった。やっぱ、HARLEMでレギュラーが決まってから週5のスクールからどんどんDJの方へとシフトチェンジしていって、今の自分があるって意味では REDZONEがなかったら、多分ここまで真剣にDJしていなかったかもしれない。HOUSEのダンサーがHIP HOPのDJ??って、結構最初の頃は不思議に思ってた人もいたみたいなんだけど(笑)。俺にとっては躍らせることも踊ることも基本は一緒なんだ。
KOYAとは89年にダンスを始めたときに知り合ったんだけど、興味を示すものが本当に似てるんだよね。音もそうだし、シーンの中で感じるものも共鳴してるし、意思の疎通ができてるから、本当にいろんな部分がやりやすい。お互いDJするきっかけになったのは91年にLA、92年にニューヨークでシーンを一緒に体験してからだしね。
自分のスタイルを言葉で表現するのは難しいけど、自分がダンスやってることもあって、80'sからロック、ファンク、ソウル、レゲエまで、ノリのいいものはなんでも取り入れてるよ。もちろん、基本はヒップホップだけど、レゲエ1つとっても、いまのダンスホールから90年初期のレゲエ、歌ものまで、すべてピックアップしたミックスがおもしろいんだよね。ヒップホップにしても、昔とは俺の頭の中も変わってきていて、最近の曲に80'sをつなげたりするような、進化した形でやりたいんだよね。ゴリゴリなヒップホップだけでなく、4つ打ちやクラシックスなども自由に混ぜる感じかな。とにかく「この音いいな!」って思ったら どんどん吸収していく。
料理でも、異質な何かを混ぜるから、おいしいみたいなのあるでしょ?その組み合わせがフロアと「バシッ!」とかみ合うと、自分もお客さんも興奮状態に盛り上がっていく。すべてがうまくいくわけではないけど、いろいろ試験的にやってるよ。最初から最後まで決まったセットをやるってことではないけど、「これの次はコレ!」みたいな必殺パターンをタイミングを見計らってかける。それをどこでやるかは決めてないけど、お客さんの反応を見ながら「いまだ!」ってときにキメるって感じかな?
つなぎ方もいろいろあって、70年代と80年代サンプリングで使われる音を組み合わせたり、同じリリックやメッセージを重ねたりするのも好きだね。これは、すごいDJトークなんだけどさ、ヒップホップって同じフレーズ(歌詞、言葉)を使ってる曲が多いんだよね。だから、同じフレーズを使ってる別な曲をパズルのように組み合わせて違う曲にしたり、なんてのをよくやるんだよ。これはうまくやらないとバレバレになるので要注意なんだけど、俺もKOYAもそういうのにハマってるから、すごく頭を使いながらDJしてる。
DJもアイデア勝負なんで、おもしろいアイデアが出てきたら試してみたいし、それがうまくいって、お客さんが興奮したり笑顔になったりするのは、ホントやっててよかったなって思う瞬間だよね!
平日は基本的にオフなんだけど、昼はダンスの練習やトレーニングをして、夜になると音をいじり始める。で、週末はパーティーでDJ。日曜日はたまにDJが入ることもあるけど、毎週月曜日はスクールをやってるから踊ってるね。毎週、火曜日には再びDJモードに突入して、今週もやるぞ! と。音漬けな生活だね。
火曜日のREDZONEのために新しいルーティーンを考えて、現場で試してっていうことをもう4年間、毎週やってるし、新譜はもちろん、旧譜も毎週チェックして るから、1週間で約30枚、月間約120枚!もレコードが増えて、家の中はもう大変!!(笑)。もう、自分の部屋だけでは収まりきらない。
やっぱ、最初はヒップホップばっか買ってたんだけど、ほぼ毎日レコード屋に行くようになって、いろんなジャンルのいいものを知ると「あれも欲しい、これも欲しい」ってなってね。今でも古い楽曲を毎週レコード屋に「掘りに」に行ってる状態。でも、そのおかげで自分の音楽の幅が広がったんだよね。
95年頃からヒップホップがだんだんいろんな意味でポップス化して、シーンが拡大したことで、今の子たちのヒップホップとの出会い方も変わってきたんだよね。今はテレビでも、ラジオでも、街頭でもヒップホップがかかるけど、俺らの頃はクラブでしか聴けなかったから「聴くため」に行ってた部分もあるんだ。だから、新しい曲や聴いたことない曲が流れると「なんだこれ!」って、聞き耳を立てるヤツらがいっぱいいた。だけど、今は知らない曲だとあまり反応しなくて、その曲がハヤると今度は盛り上がる……みたいなことが多いよね。若い人はパワーあるし、元気いいんだけど、知っている曲にしか反応しない傾向は増えたと思う。もちろん、全員がそうって訳じゃないんだけど、もっとラフにイイものはイイで踊ってくれればって思うよ。
REDZONEでもメジャーな曲じゃないと盛り上がらないって雰囲気の日もあるけど、平日のクラブだからこそできる深い部分はこれからもどんどんやっていこうと思ってるよ。DJは踊らせてナンボだから、あまり自分のやりたいことだけに走っていてはダメだと思うし、常に盛り上げることを意識してるけど、それでも今後も最新の音や古きよき音を紹介したり、おもしろい曲の楽しみ方を提案したりするのは続けていきたいね。盛り上げと自分色とのかけひきはなかなか難しいけど、そうしないとシーンも停滞しちゃうし。
例外は週末のSHIBUYA NUTSかな。週末だって感じでテンション上がってるからか、俺が思う「おもしろい流れ」にも、多くの人がついてきてくれて、フロアとのキャッチボールがしやすいんだよね。
これまでにリリースした自作の曲はHARLEMのコンピレーション向けの2曲で、最初は俺のダンスの師匠でもあるCALEAF(カリーフ)、BUDDHA STRETCH(ブッ ダ・ストレッチ)と一緒に作ったもので、次のはBOY-KENやTRANTURA、MOHO BROWN、DJ NOZOMとの共作。この2枚はまったくコンセプトが違くて、最初のは自分が やりたかった音に近いけど、次のは半分DJ NOZOMの色が入ってるから音的には100%自分ではないんだよね。でも、こっちのほうが夏っぽくて、派手な感じになったかな。
俺は基本的には楽曲制作よりもDJに意識をおいてるので、最近、楽曲制作はやってなかったんだけど、4月からは再開する予定。これは自分ぽいのにするつもり。楽曲制作ってやっぱりDJとはまったく感覚が違うんだよね。今以上に音楽オタクにならないと作れない。毎日スタジオにこもって、いろんな音ネタを拾ってきて「これいいじゃん!」ってなっても、聞き直したら「全然だめだ~」の繰り返し。だからすごく時間がかかる。反対に調子いいときは、ものの5分でできることもある。
そうそう、最後に宣伝させて!これは自作の楽曲じゃないけど、4月下旬にTOWN RECORDSとORIGINATE.INCからそれぞれMIX CDをリリースするので、よかったら聴いてください! 詳細は現在作成中の俺のホームページにアップしていく予定です!!
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