Interview & Text:二木信
Photo:則常智宏
ラップがなくたって、俺のビートやインストは言葉だからね。その個性を世界中のヤツらに聴かせたいと思って追求していく。そうすると、どうしても明るいものにならなかった。
――最新作『Butterfly Effect』を聴かせていただいて、改めて1994年のファーストアルバム『KRUSH』から一通り聴き直させてもらいました。
わははははっ。ご苦労様ですね(笑)。
わははははっ。ご苦労様ですね(笑)。
――DJ KRUSHという音楽家の何が変わり、何が変わってないかを考えながら聴きました。ロービートでありつつダンスミュージックとしても機能する音楽をクラブミュージックやヒップホップの世界で浸透させ、その後もやり続けてきたのがDJ KRUSHであり、そしてそれは暗闇の音楽である。この暗闇のロービートは形式がどんなに変わろうとも、決して変わらないDJ KRUSHの本質だと感じました。まずその感想について、KRUSHさんがどうお考えになるか教えてください。
11年ぶりじゃないですか。それだけの長い月日が経とうとも、俺のできる本質の部分を出すことを意識した。時が経っているから、今の時代のいろんな要素が付くかもしれない。それでも俺は太陽を燦々と浴びて、いいオネエちゃんをはべらかして、いい酒をバーンと置いてパーティー!……じゃないんだよ。マンホールの蓋をちょっとだけ開けて世の中を覗いたり、ビルの階段から見たりしている。俺はそうやって若い頃から育ってきたから、ストリートがいちばん居心地良いんだよね。
11年ぶりじゃないですか。それだけの長い月日が経とうとも、俺のできる本質の部分を出すことを意識した。時が経っているから、今の時代のいろんな要素が付くかもしれない。それでも俺は太陽を燦々と浴びて、いいオネエちゃんをはべらかして、いい酒をバーンと置いてパーティー!……じゃないんだよ。マンホールの蓋をちょっとだけ開けて世の中を覗いたり、ビルの階段から見たりしている。俺はそうやって若い頃から育ってきたから、ストリートがいちばん居心地良いんだよね。
――「マンホールの蓋をちょっとだけ開けて世の中を覗く」というのは、まさにDJ KRUSHの音楽を言い表していると思います。KRUSHさんの生い立ちや80年代初頭に『Wild Style』でヒップホップに出会い人生を変えられたこと、原宿のホコ天時代などの影響が今まで生き続けているのでしょうか?
MUROたちとKRUSH POSSEをやっている時代はパーティ的なトラックも作ってはいたけど、ソロになると自分の個性を音にしたいと思うでしょ。ラップがなくたって、俺のビートやインストは言葉だからね。その個性を世界中のヤツらに聴かせたいと思って追求していく。そうすると、どうしても明るいものにならなかった。ビートを組んでいても、明るい方向にいくと修正しちゃう。それは別に狙っていなくて、自然とそうなる。それは今でも変わっていなくて、なんか好きみたいね。若い時はちょっとやんちゃ坊主だったし、ひねくれていたし、世間を斜めに見る感じだったから、そういうものをトータルで引きずっているんだろうね。
MUROたちとKRUSH POSSEをやっている時代はパーティ的なトラックも作ってはいたけど、ソロになると自分の個性を音にしたいと思うでしょ。ラップがなくたって、俺のビートやインストは言葉だからね。その個性を世界中のヤツらに聴かせたいと思って追求していく。そうすると、どうしても明るいものにならなかった。ビートを組んでいても、明るい方向にいくと修正しちゃう。それは別に狙っていなくて、自然とそうなる。それは今でも変わっていなくて、なんか好きみたいね。若い時はちょっとやんちゃ坊主だったし、ひねくれていたし、世間を斜めに見る感じだったから、そういうものをトータルで引きずっているんだろうね。
――『Butterfly Effect』を聴いて、例えば『KRUSH』や『MiLight-未来-』(1996年)といった90年代のDJ KRUSH作品の雰囲気に近いものを感じました。ご本人はそこを意識されましたか?
そうそう。それはまさしく的を射ていて、ちょっと意識した。90年代を振り返ると、当時の俺は新しいことをやろうとかは考えていなくて、面白いと思って作ったものがトリップホップだとか言われた。「Kemuri」(『STRICTLY TURNTABLIZED』収録/海外盤:1994年/日本盤:1995年)の時だってそうだよ。結果として、「こんな音楽は聴いたことがない」と評価された。今回は基本に返って、そういう当時の自分の音楽を意識した部分はある。ただ、今は2015年だからエンジニアとも相談した上で、音の質感や造形は今のテイストにしたね。
――『STRICTLY TURNTABLIZED』をリリースした頃、クラブミュージックやヒップホップの世界でKRUSHさんがプレイしたり、作ったりするようなロービートの音楽が根付いていくと考えていましたか?
俺はロービートが超好きだし、それしかできなかった。それをやらないと俺じゃなかった。アメリカみたいにちょっとノレるヒップホップは俺がやることじゃないし、できないと思った。その時はどうなるかわからなかったけど、こういう表現の仕方もある、こういうスタイルのヒップホップもある、そうやって提示し続けるべきだと思って一所懸命だったね。客がポカ~ンとしようが、こんなのヒップホップじゃないって言われようが、やり続けるしかないと思っていた。そういう俺の音楽を最初に発見したのがイギリスだった。イギリス人は子どもの頃から、いろんな音楽を聴いている。ちょっとやそっとじゃもう驚かないんだよ。だから俺の音楽に飛び付いたんだと思う。しかも日本人というのも大きかった。それでヨーロッパで火が付いて、次はアメリカで勝負したくて、『MEISO(迷走)』(海外盤:1995年/日本盤:1996年)を作った。当時の日本で俺の音楽についてくる人間は本当に少なくて、DJでヘヴィな曲をかけてもついてこなかった。「この暗い音楽は何?」みたいな反応だよ。それからもう一周ぐらいして、日本でもようやく俺らの撒いたDNAが受け継がれていって、やっとついてこれるようになる。
俺はロービートが超好きだし、それしかできなかった。それをやらないと俺じゃなかった。アメリカみたいにちょっとノレるヒップホップは俺がやることじゃないし、できないと思った。その時はどうなるかわからなかったけど、こういう表現の仕方もある、こういうスタイルのヒップホップもある、そうやって提示し続けるべきだと思って一所懸命だったね。客がポカ~ンとしようが、こんなのヒップホップじゃないって言われようが、やり続けるしかないと思っていた。そういう俺の音楽を最初に発見したのがイギリスだった。イギリス人は子どもの頃から、いろんな音楽を聴いている。ちょっとやそっとじゃもう驚かないんだよ。だから俺の音楽に飛び付いたんだと思う。しかも日本人というのも大きかった。それでヨーロッパで火が付いて、次はアメリカで勝負したくて、『MEISO(迷走)』(海外盤:1995年/日本盤:1996年)を作った。当時の日本で俺の音楽についてくる人間は本当に少なくて、DJでヘヴィな曲をかけてもついてこなかった。「この暗い音楽は何?」みたいな反応だよ。それからもう一周ぐらいして、日本でもようやく俺らの撒いたDNAが受け継がれていって、やっとついてこれるようになる。
――では、90年代のターニングポイントはいつでしょうか?
やっぱり『STRICTLY TURNTABLIZED』だね。それから俺の「Kemuri」とShadowの「Lost & Found (S.F.L.)」の両A面シングル(1994年)だね。その後に『MEISO(迷走)』になだれ込んで、DJ Shadowをフィーチャーした「DUALITY」を作る。あの頃から世の中が俺らの音楽に騒ぎ出して、いけるんじゃないかなと思うようになった。『KRUSH』の頃は、昼間はバレエの舞台を作るようなバイトをして、夜に曲やデモテープを作っていたから、アルバムを売ったり、DJをしたりするだけじゃ食えなかった。それが『MEISO(迷走)』でソニーと契約して先が見えてきたんだ。そこから昼間の仕事を少しずつ削って、DJだけで生活できるようになっていく。だから、『STRICTLY TURNTABLIZED』と『MEISO(迷走)』は俺にとって大きなターニングポイントだよね。
やっぱり『STRICTLY TURNTABLIZED』だね。それから俺の「Kemuri」とShadowの「Lost & Found (S.F.L.)」の両A面シングル(1994年)だね。その後に『MEISO(迷走)』になだれ込んで、DJ Shadowをフィーチャーした「DUALITY」を作る。あの頃から世の中が俺らの音楽に騒ぎ出して、いけるんじゃないかなと思うようになった。『KRUSH』の頃は、昼間はバレエの舞台を作るようなバイトをして、夜に曲やデモテープを作っていたから、アルバムを売ったり、DJをしたりするだけじゃ食えなかった。それが『MEISO(迷走)』でソニーと契約して先が見えてきたんだ。そこから昼間の仕事を少しずつ削って、DJだけで生活できるようになっていく。だから、『STRICTLY TURNTABLIZED』と『MEISO(迷走)』は俺にとって大きなターニングポイントだよね。
――自分の音楽への評価が変化したと感じたのはいつですか?
アメリカのヒップホップもヨーロッパのヒップホップも音的にアブストラクトにいった時期があったじゃない。COMPANY FLOWとかの人気が出てきた時代だね。それぐらいの時期に日本人でもそういうテイストのラップが増えてきたと感じた。もちろんコアなヤツで昔から俺のことを追っかけてくれていた人もいたけど、でも日本って遅いなと思ったよ。誰かが判子を押さないと良いって認めない文化が根強くあるよね。アメリカで評価されているから聴いてみようか、みたいな風潮がある。日本人には自分の判断で物事を決められない弱さがある。俺は早い時期にそのことを悟った。だからイギリスで火を付けて、アメリカで闘って、それから日本に逆輸入して判子を押させようとした。
アメリカのヒップホップもヨーロッパのヒップホップも音的にアブストラクトにいった時期があったじゃない。COMPANY FLOWとかの人気が出てきた時代だね。それぐらいの時期に日本人でもそういうテイストのラップが増えてきたと感じた。もちろんコアなヤツで昔から俺のことを追っかけてくれていた人もいたけど、でも日本って遅いなと思ったよ。誰かが判子を押さないと良いって認めない文化が根強くあるよね。アメリカで評価されているから聴いてみようか、みたいな風潮がある。日本人には自分の判断で物事を決められない弱さがある。俺は早い時期にそのことを悟った。だからイギリスで火を付けて、アメリカで闘って、それから日本に逆輸入して判子を押させようとした。
――ヨーロッパやアメリカには日本の音楽に対するエキゾチシズムというのがありますよね。KRUSHさんはそういうエキゾチシズムを自ら上手く消化して表現してきた日本人の音楽家だと思うんです。『MEISO(迷走)』収録の「Only the Strong Survive feat. C.L. Smooth」では尺八の音が使われていますし、『寂~jaku~』(2004年)は和のテイストを大々的に取り入れるのがコンセプトでもありました。KRUSHさんはエキゾチシズムや和のテイストについてどういう考えを持って表現してきましたか?
我々は日本に住んでいて子どもの頃から尺八や三味線を聴いて、「イェイ!」とかは言ってないでしょ(笑)。子どもの頃から西洋の音楽や日本のアイドルやアニメの曲を聴いたりしている。そういう環境で和を出そうたってわからない。でも海外に行けば行くほど、自分の国のことが見えてくる。外国のいろんな音楽と接して、はたと自分の国を見たときに良いものがいっぱいあるのに気がついて、尺八の間とか三味線の音とかにすごさを感じるようになっていった。そうやって掘り出しているから、海外モノを扱っているような感覚だよね。でも、そういう和のテイストを入れるのは、『MEISO(迷走)』の頃はちょっと恥ずかしかった。日本人だからそういう音を入れるのがわざとらしい気がして、思いっ切り和のテイストを出す踏ん切りがついていなかった。ただ「Only the Strong Survive」のあのビートはC.L.にぶつけるしかないと思ったね。あの後、また海外ツアーで揉まれて年も重ねて、素直に海外の人間には真似のできない間や美、引き算のセンスを改めて自分で噛み締めて、ストレートに『寂~jaku~』では出せるようになった。
――『寂~jaku~』以前からKRUSHさんのターンテーブルやミキサーへの向き合い方、例えばナナメから切り込んでいくスクラッチの動きや、作るビートにも日本人独特と言えるような間や美の感覚、引き算のセンスがあったように思うのですが、どう考えていましたか?
それは別に狙ってやっているわけじゃないんだよね。ただ、昔からそういうセンスが俺の中にあったんだろうね。それこそヨーロッパでロービートをかけまくったり、急にアンビエントをかけたりするようなプレイもしていたしね。あの当時、フェスとかクラブでプレイする時の俺の目標は、ダンスフロアの何人を気持ち悪くさせるかだった(笑)。スピーカーからドカーンと出ている音で、前列で踊っているヤツらをどれだけ倒すか、どれだけハメてやるか、そこしか考えていなかった。ラップとか言葉が入ってきちゃうと踊っているヤツらは頭がそっちにもっていかれるからあえてインストをかけていたし、時にはマイルスを混ぜたりもしていた。言葉がないとものすごく想像力が働くからね。そういうプレイをしているのが楽しかった。
それは別に狙ってやっているわけじゃないんだよね。ただ、昔からそういうセンスが俺の中にあったんだろうね。それこそヨーロッパでロービートをかけまくったり、急にアンビエントをかけたりするようなプレイもしていたしね。あの当時、フェスとかクラブでプレイする時の俺の目標は、ダンスフロアの何人を気持ち悪くさせるかだった(笑)。スピーカーからドカーンと出ている音で、前列で踊っているヤツらをどれだけ倒すか、どれだけハメてやるか、そこしか考えていなかった。ラップとか言葉が入ってきちゃうと踊っているヤツらは頭がそっちにもっていかれるからあえてインストをかけていたし、時にはマイルスを混ぜたりもしていた。言葉がないとものすごく想像力が働くからね。そういうプレイをしているのが楽しかった。
人の熱気で壁中が水滴だらけになった。その湿気でターンテーブルもスクラッチができないぐらいに濡れてさ。「感電するんじゃねえか? でもその方が、すげぇスクラッチができるんじゃん?」みたいなバカ話をShadowと言い合いながらやっていたね(笑)
――これまで何百という国や地域でDJをされていますけれど、DJのキャリアにとって大きな転換点になった現場はあったりしますか?
DJ ShadowとのUK & ドイツ・ツアー(「MO'WAX HEADZ TOUR : THE JAM PART」/1994年)はすごかった。あの頃はギャラもロクにもらえなかったから、一台の汚いバンのいちばん後ろに俺とマネージャー、その前はShadowとStash、助手席にJames Lavelle、そしてツアー運転手が乗って移動した。泊まるのも車だったから酷かったよ(笑)。その時のブリストルのショーはよく憶えている。DJ Shadow、DJ KRUSH、James Lavelle、あと地元のダブ系のDJが出演していた。広い会場にお客さんがパンパンに入ったのはいいんだけど、換気が悪かったせいで人の熱気で壁中が水滴だらけになった。その湿気でターンテーブルもスクラッチができないぐらいに濡れてさ。「感電するんじゃねえか? でもその方が、すげぇスクラッチができんじゃん?」みたいなバカ話をShadowと言い合いながらやっていたね(笑)。
DJ Shadow & DJ Krush live @ Mo' Wax Headz Tour, Manchester - 09/11/1994
https://www.mixcloud.com/dalecooper/dj-shadow-dj-krush-live-mo-wax-headz-tour-manchester-09111994/
DJ ShadowとのUK & ドイツ・ツアー(「MO'WAX HEADZ TOUR : THE JAM PART」/1994年)はすごかった。あの頃はギャラもロクにもらえなかったから、一台の汚いバンのいちばん後ろに俺とマネージャー、その前はShadowとStash、助手席にJames Lavelle、そしてツアー運転手が乗って移動した。泊まるのも車だったから酷かったよ(笑)。その時のブリストルのショーはよく憶えている。DJ Shadow、DJ KRUSH、James Lavelle、あと地元のダブ系のDJが出演していた。広い会場にお客さんがパンパンに入ったのはいいんだけど、換気が悪かったせいで人の熱気で壁中が水滴だらけになった。その湿気でターンテーブルもスクラッチができないぐらいに濡れてさ。「感電するんじゃねえか? でもその方が、すげぇスクラッチができんじゃん?」みたいなバカ話をShadowと言い合いながらやっていたね(笑)。
DJ Shadow & DJ Krush live @ Mo' Wax Headz Tour, Manchester - 09/11/1994
https://www.mixcloud.com/dalecooper/dj-shadow-dj-krush-live-mo-wax-headz-tour-manchester-09111994/
――すごくいいエピソードですね(笑)。UKやヨーロッパのアンダーグラウンドのレイヴカルチャーが元気のある時代ですよね?
そう! MASSIVE ATTACKが爆発的に売れるか、売れないかぐらいの時代で、才能のあるアーティストがそこら中にいたね。その後、周りにいた連中が世界的に売れていくことになる。
そう! MASSIVE ATTACKが爆発的に売れるか、売れないかぐらいの時代で、才能のあるアーティストがそこら中にいたね。その後、周りにいた連中が世界的に売れていくことになる。
――KRUSHさんはアメリカへのコンプレックスみたいなものを抱えた時期はありましたか?
『STRICTLY TURNTABLIZED』の頃は、もともとアメリカで発祥したヒップホップという文化に影響されて、自分なりに消化しようと一生懸命やっている最中だった。アメリカ人と同じようなヒップホップをやったって勝てるわけがない。そもそもあんなに太い音は出せないし、あんなに潔い音は出せない。絶対自分には無理だと思った。だから、その頃はどこかにコンプレックスがあった。いずれ自分のスタイルを確立して、自分なりの音を作ることがヒップホップへのお返しになると考えていた。しかもそれをやらないと世界中の人たちは認めてくれないなと思っていたね。
『STRICTLY TURNTABLIZED』の頃は、もともとアメリカで発祥したヒップホップという文化に影響されて、自分なりに消化しようと一生懸命やっている最中だった。アメリカ人と同じようなヒップホップをやったって勝てるわけがない。そもそもあんなに太い音は出せないし、あんなに潔い音は出せない。絶対自分には無理だと思った。だから、その頃はどこかにコンプレックスがあった。いずれ自分のスタイルを確立して、自分なりの音を作ることがヒップホップへのお返しになると考えていた。しかもそれをやらないと世界中の人たちは認めてくれないなと思っていたね。
― Release Information ―
アーティスト:DJ KRUSH
タイトル:Butterfly Effect
レーベル:Es・U・Es Corporation
発売日:10月28日
■iTunes
https://itunes.apple.com/jp/album/butterfly-effect/id1048912882
■Amazon
http://www.amazon.co.jp/Butterfly-Effect-DJ-KRUSH/dp/B0147WTGO2
アーティスト:DJ KRUSH
タイトル:Butterfly Effect
レーベル:Es・U・Es Corporation
発売日:10月28日
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https://itunes.apple.com/jp/album/butterfly-effect/id1048912882
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