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Zepherin Saint

DJ/プロデューサーとしてでなく、伝説のハウス専門レコードショップBlack Market Recordsのマネージャー業にも携わり、ロンドンのシーンにおいて重要な役割を担っていたZepherin Saint。ハウスシーンからしばらくの間距離をおいていた彼だが、2009年に再活動とともに発表したEP「Circles」がスマッシュヒット。彼のレーベルTribe Recordsは現在、アフロ/ソウルフルハウスの最注目レーベルとして揺るぎない地位を確立している。シーンの現状を見据える審美眼、変化を恐れない姿勢、素晴らしい音楽を信じる力強さは、レーベル運営/楽曲制作だけでなくDJにおいても一貫している。昨年の東京2公演でのプレイはそれぞれ違う側面をみせ、アンダーグラウンドなハウスダンサーをも熱狂的な渦に巻き込んだ。その彼が今回再び来日し、7月29日(金)にSankeys TYOに登場。彼がロンドンのハウスシーンを代表する存在であることは明白だが、今回のインタビューは彼の音楽経歴だけでなく、80年代のロンドンのダンスミュージックシーンも同時に検証できる、貴重な内容となった。

Text by Nagi – Dazzle Drums

 

 



僕たちのミッションは、ゲイミュージックという面で非難される状況のなかシーンを大きくしていくことだった。


ーーまず、あなたがロンドンでどのようにハウスと出会ったのか、その当時のイギリスにおけるハウスシーンの状況も含めて教えてください。
1986年に兄のStan Zeffがレコード屋からAdonisの「No Way Back」を買って帰ってきて、初めてハウスと出会ったんだ。単調かつ迫力のあるベースラインと、心を揺さぶるメッセージがすごく気に入ってね。かなり衝撃的な体験だったよ。それまでの5年間は、いろんなミュージシャンが演奏するような、つまりお金をかけて作られる曲ばかり聴いていたからね。それにくらべてハウスの音はラフだし、再利用されたバイナルを使ってプレスしたりしていたから、聴いているだけで“音楽の反逆者”になった気分だった。当時イギリスではハウスを紹介するような媒体や場所はなかったし、取り扱うレコード店も数少なかった。ただ、1986〜87年の間にJazzy Mがラジオで流していたアメリカの最新の輸入盤を聴いて僕たちは情報を得ていた。

ーーでは、最初はラジオが情報源だったんですね。
そうだね。そのうちにDJ Colin Favourという人がゲイクラブでハウスミュージックを定期的にかけていることを知って通い始めた。大きいサウンドシステムから流れるハウスの音を体験し、踊った。今までゲイクラブに行ったことがなかったからシュールな経験だったけど、自分以外の人々がこの新しい音楽を高く評価していることを自分の目で初めて確かめることができた。その後、ハウスをもっと広めるために、使われていない倉庫でパーティーをやり始めたんだ。

ーーハウスが広まっていくなかで、ロンドンのシーンにはどんな変化が起こったのでしょうか?
音楽を中心にロンドンで新しいフィーリングが生まれはじめていたから、不思議な感覚だったね。パンク、ソウル、ヒップホップなど、それぞれの音楽に特化したファッションのお客さんがハウスに魅かれて集まり、自然と踊りやすい服に変わっていったんだ。 当時のファッションが折衷的だったのは、いろんな人がハウスに魅かれて、いろんなスタイルがミックスされたからだと思っている。まあドラッグの影響もあったけど、それはみんなが“愛と平和”という共通のものを意識して、いろんなことをトライしていたからでもあるんだ。ロンドンで初めてすべての人(ゲイ、ゲイじゃない人、黒人、白人)が差別を忘れ、ダンスフロアで生きることを一緒に祝ったんだ。ありきたりかもしれないけど、ハウスミュージックは“フロアでは我々はひとつ”という気持ちを感じさせてくれた。Tribe Recordsの信条である“One sound one people”は、このときのロンドンの環境から生まれたんだよね。

ーーそんな激動の時代に、あなた自身はどのような活動を行っていったのでしょうか?
1987年頃に、X-press 2のAshley Beedle、KLFのRicardo da force、兄らと一緒にサウンドシステムを作り、自分たちがプレイする際に毎回持ち込んだ。とくに、1988〜90年にClink Streetというクラブで週末にDJをやり始めたことが一番大きな転機だった。たとえば、Ce Ce Rogersの「Someday」をかけたときは、その空間にいるすべての人々がひざまずいて祈り、感謝の気持ちを捧げた。もうひとつは、Derrick Mayの「Strings of Life」をプレイしたとき。みんなはそれを初めて聴いたのだけど、猛烈なリアクションで返してくれたんだよ。あの頃のエネルギーは、今の自分のDJプレイに凄く影響を与えている。個人的な意見だけど、あの頃のロンドンが一番良かったな。僕たちのミッションは、ゲイミュージックという面で非難される状況のなか、シーンを大きくしていくことだったんだ。
 

 

 



David Morales、Toni Humphries、Frankie Knucklesなどは、みんな“お店のお客さん”として出会うことができたんだ。


ーー制作面についても聞かせてください。Jack Tracksから1987年にリリースされたBoyz In Shock Featuring Carol Leemingの「Give Me Back Your Love」は、あなたが初めてプロデュースした作品ですよね。Jack Tracksはシカゴを中心とした初期ハウスを専門にリリースした、イギリスで最初のレーベルだったと記憶しています。
1987年のある時、DJ中にCarol Leemingというシンガーとセッションしてね。彼女は声量があり荒く感情的なので、この声をトラックに使いたいって思ったんだ。でも初めての制作作業だったし、あの頃はアナログでのレコーディングだったから苦労したよ。当時、ロンドンでハウスミュージックを作っている人はいなかったから、(当時はダブプレートを作る予算がなかったので)いろんなパーティーにカセットテープを持って行って、DJにプレイしてほしいと頼んでまわった。そしたらあるとき、Soul 2 SoulのJazzie Bと初対面してね。そのテープを渡したら、その場で聴いてすぐにかけてくれたんだ。フロアは盛り上がって、Jack TraxのオーナーDamien D’cruzeがリリースしたいと言ってくれたんだ。当時Jack Traxは、シカゴやニューヨークのハウスサウンドをイギリスに輸入していた重要なレーベルだった。そんなレーベルから、イギリスで作られた初めての(Paradise Garageの影響をうけた)ハウスとして自分の作品がリリースされたんだから、本当に光栄なことだよね。その後は、毎日レーベルのスタジオに行って制作やレーベルの仕事のことを学んだ。DamienはMarshall Jeffersonと仕事をしていたのだけれど、ある夜彼から「今から君の曲をリミックスするからすぐにスタジオに来てほしい」と電話があってね。到着したらTen Cityもいて、彼らも一緒にリミックスしてくれたんだ。一晩中Marshallの作業を見物することで、リミックスのノウハウを学ぶことができた。

ーーその後19歳から8年間、ロンドンの初期ハウスシーンで重要な役割を担っていたレコードショップBlack Market Recordsで働いていたんですよね。この店はたしかDavid Picconiが経営していて、Azuri Recordsも手掛けていたと記憶しています。Black Market Recordsの当時の様子や、ハウスシーンに対する影響力がどんなものだったのか、教えていただけますか?
Black Marketは、ワンフロアすべてをハウスのコーナーにしたロンドンで最初の店で、ほかの店が参考にしたくらいロンドンでは考え方が発達していた店だった。多くのDJは、あの店で働きながらスキルを磨いてきたと思っている。当時僕と一緒に働いていたDavid Picconiは僕の先輩であり、親友のような存在だった。その後彼はBlack Marketを引き継いだ。彼がもつニューヨークとのコネクションのおかげで、店でしか聴けないプロモーション盤や、ほぼ独占で売っていたタイトルもいくつかあった。また彼は、“次のハウスの音は何か”を的確に予想していたんだ。おかげでBlack Marketは、ロンドンやヨーロッパのクラブに大きな影響を与えた。店は、毎週末お客さんで溢れかえっていたよ。サウンドシステムも良くて、新譜をかけたらみんな売り切れる前にそれを手に持ってキープしてね。働いていた人は交互にDJをしていたんだけど、素早くミックスしなければならなかった。レコードのおいしいところをプレイして、インパクトを出すためにね。

ーーあなたは20代のほとんどをBlack Market Recordsで過ごしたことになりますが、この店で働き続けたことでどんなことを経験、吸収したのでしょうか?
David PicconiがBlack Marketを引き継いだとき、僕をマネージャーにしてくれたんだ。同時に彼の新しいレーベルAzuliの仕事も手伝うようになった。卸しから、バイヤー業務、リリース関連の作業などをね。Murkのミックス作業やRomanthonyのエデットなんかもしていたよ。インディーレーベル、スタジオとお店の経営を同時に学べた貴重な時期だった。僕にとって大学のようなものだったね。DJが何を買ったか、店用に何を買ったか、レコード/曲のどこが良かったか、何が売れて何が売れなかったか、それらすべてが将来の仕事において最高の礎になった。David Morales、Toni Humphries、Frankie Knucklesなどは、みんな“お店のお客さん”として出会うことができたんだ。

 

 

 

 

DJだけではなく音楽ビジネスをやりたがるような野心的な若者だった。


ーーBlack Market Recordsでのキャリアを終えた後はどのような活動をしていたのでしょうか? 
なぜかわからないけれど、自分はDJだけではなく音楽ビジネスをやりたがるような野心的な若者だった。レコーディングスタジオのビジネスを始めるために、Black Market RecordsとAzuliを辞めたんだ。まず、1200平方フィートのビルを借りて、父にスタジオの工事を頼んだ。当時ロンドンのスタジオは値段が高かったから、僕と同じレベルの人に向けてハイクオリティーなスタジオを提供しようと思ったんだ。スタジオビジネスは成功。でも、当時のお客さんからよく「レコードはどうやってリリースするの?」とか、「レーベルとどう話したら良いの?」などのアドバイスをよく求められてね。Black Market RecordsやAzuliでの経験からそういった知識はもっていたから、その後Xosaというマネージメント会社を設立したんだ。それから10年間、Dream Work、Def Jam、そしてMercuryといった大手レーベルとプロダクション契約をして、Beenie Man、R. Kelly、Tim & BobやMichael Austin、Robbie Robertsonと仕事をしたよ。

ーーそんな順風満帆なあなたが、どのような経緯で2009年からTribe Recordsを始めようと思ったのでしょう?
そのうち業界は変わって僕の契約も終わり、スタジオビジネスも厳しくなっていったんだ。テクノロジーの発達で、家での制作が可能になったしね。若い人に助言をすることである程度は満足していたけど、まだ自分がやりたいことを果たしていない気持ちがあった。それが何なのか、模索しても見つからなくて人生初めての休息期間をとることにした。良い部分もあったけど、レコードコレクションの一部を売って生活したり大変だったよ。でもあるときDavid Picconiから電話があって、「Jeff Millsが君の「Give Me Back Your Love」をコンピレーションアルバムに入れたいそうだよ」と言われたんだ。これが“音楽そのものに没頭していたあの頃に戻れ”というサインのように感じたんだ。DJの活動を再開して、Dexというクラブのレジデントをするようになって、Dennis Ferrer、Timmy Regisford、DJ Spen、Larry HeardなどのDJのオープニングアクトを務めた。そのうち音のトレンドが変わっていっていることに気づき、アフリカンリズムのトラックを探し始めるようになった。僕はスタジオに入って、Nathan Adamsというシンガーとともに「Circles」という曲を録音した。1987年の僕が最初のレコードを作ったあの頃、Nathanは僕の近所に住んでいて、僕と同じ17歳だった。制作活動に戻ることを決意したとき、円を一回りしたような気持ちだったな。そしてこの曲はTribe Recordsの最初のリリースとなり、人生の新しい一歩となったんだ。今まで培ってきた音楽業界での経験をもとに、“クオリティが高く、僕自身がDJでプレイする曲を契約する”というコンセプトでレーベル運営を始めたんだ。

ーーレーベル始動後、Tribe Recordsは順調にハウスリスナーの支持を獲得し、現在ではアフロ/ソウルフルハウスを代表するレーベルとなりました。Tribe Recordsがここまで成功した理由は何だと思いますか?
一貫性が自分たちの進化の鍵だと思っていて、必ず毎月リリースをするようにしている。でも、リリースの数よりもクオリティが大切。Tribe Recordsは趣味ではなく、ビジネスというものを強く意識しているんだ。レーベルの成功方式は誰ももっていない。だから待つことを一切せず、自身がいろんなことに挑戦し、何が成功するかを探すことが大切なんだ。アフロ/ソウルフルサウンドは常に進化していくし、自分たちもこの進化の一部でありたい。進化を続けるためには、もっといろんな人に聴いてもらえるようなプロモーションが必要だと思っている。レコードをリリースしサイトにアップしてそのままリスナーに発見されるまで待つ、なんていうことでは駄目だ。私たちのようなレーベルは、アーティストを向上させることができるからこそ存在するんだよ。


 

 

 



ビートをブレンドし、フロアでは予想できない音をキープしていくんだ。


ーー現在のあなたのDJスタイルは、Tribe Recordsのレーベル色に共通するアフロハウスやソウルフルハウスの印象を受けます。最初にDJをしたのはいつ頃ですか? また、その当時から現在まであなたのDJスタイルは一貫していたのでしょうか?
初めてDJでお金を稼いだのは13歳のときだね。箱を借り、同級生をみんな招待してフロントでお金を徴収したんだ。それから、僕のDJスタイルも何回か変わったけれど、時代に沿って音楽も常に変わるからそれを意識することは大切だと思う。でも、テクニックに関しては基本的に変わってないね。ビートをブレンドし、フロアでは予想できない音をキープしていくんだ。

ーー昨年Dazzle Drumsのレギュラーパーティー「Block Party」でDJしましたが、東京のクラウドの印象はいかがでしたか?
日本でDJすることは長年の夢だったから、Dazzle Drumsから誘われたときは凄く興奮したよ。「Block Party」のお客さんの暖かさと、フロアから伝わってくるエネルギーはなかなか体験できないものだった。僕の魂を開放してくれたうえに、その場でインスパイアされた曲をかけやすい環境にしてくれた。Dazzle Drumsの音で踊っているときからすべての時間が最高だったね。すばらしい知識と芸術性をもったこの愛する音楽を、みんなとシェアできることができて感謝している。そして、音楽を第一に考えてくれる教養のあるクラブシーンでプレイすることができて、本当に誇りに思っているよ。

 

 

 


- Event Information -
タイトル:MIX BLOCK
ラジオ局:Block FM
開催日:7月22日(金)
時間:24:30 - 25:30
出演者:Zepherin Saint

タイトル:TRIBE –Zepherin Saint 2016-
開催日:7月27日(水)
会場:Dommune studio(東京都渋谷区東4-6-5 ヴァビルB1F)
時間:21:00 - 25:00
出演者:Zepherin Saint, Dazzle Drums, Shintaro Iizuka(GASOLINE)

タイトル: TRIBE One Sound, One People
開催日:7月29日(金)
会場:Sankeys TYO(東京都渋谷区猿楽町 2-11 B1-B2F)
時間:22:00
料金 : DOOR 3,000円 WF 2,500円 ADV 2,000円
出演者:Zepherin Saint, Dazzle Drums, Midori Aoyama, TP, Phenol, Makoto, Taibo, Takuya Katagiri, Shintaro Iizuka(GASOLINE)

■イベントページ
http://www.clubberia.com/ja/events/255901-GIRLS-LAB/

■Zepherin Saint - Live @Cubo Beach Bar (Varna, Bulgaria) - Aug 22, 2015 *FREE DOWNLOAD*
https://soundcloud.com/soulfictionfamily/zepherin-saint-live_at_cubo-aug-22-2015
https://www.pioneerdj.com/ja-jp/product/software/wedj/dj-app/overview/