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A HUEY P.NEWTON STORY

Spike Lee
A HUEY P.NEWTON STORY
1960年代に立ち上がった革命的な集団“ブラック・パンサー・パーティー”のリーダーであったヒューイP.ニュートンの物語。スパイク・リー監督。実在した英雄の闘いと苦悩の日々。オビ賞を受賞したロジャー・グァンバー・スミスによるオフ・ブロードウェイでの一人舞台に1960年代当時の記録映像、様々なブラック・ムーヴィーからの場面をスパイク・リーが編集してスクリーンに映し出す。スパイクとロジャーの7年の歳月を懸けた共同制作により、彼らにしか出来ない方法でヒューイの考え、哲学、人生を表現する事に成功した。このフィルムは歴史の一部であり、“闘わなければ人生はない”という言葉に新たな命を吹きこんだ。 出演:ロジャー・グァンバー・スミス(Roger Guenveur Smith)  プラック・パンサー党とは 1960年代、アメリカのブラック・コミュ二ティーに属する人々は差別と圧制に苦しんでいた。そして彼らの期待を受け、改革を目指していた指導者、マルコムXやマーティン・ルーサー・キングが暗殺される…。その頃、オークランドではヒューイらが中心となり、ブラック・パンサー党が結成される。彼らはショットガンを構え、黒いベレー帽、革のジャケットを身にまとい、拳を高く振り上げた。 “10ポイント(十項目綱領)” 我々は自由を求める。。。衣食住、そして正義を求める等の10ケ条を行動指針として宣言する。  ※様々な抑圧からの解放を軸に、公平な教育や雇用、資本家による不当な搾取、侵略戦争の即時中止、陪審員による裁判などを訴えた。 “サバイバル・プログラム” 子供達に食事を。。。無料の朝食、医療、衣類、教育の提供などコミュニティーの為の支援に尽力する。 ※述べ1万人の児童が朝食を与えられ、治療費が無料の「人民病院」も建設された。 しかし、その存在を“国家の脅威”としたFBIによる弾圧を受け、ヒューイは不法逮捕、ブラック・パンサーは壊滅に追い込まれていく。釈放後も続く、当局からの過度の監視と民衆の期待に混乱していくヒューイ。最期はドラッグ・ディーラーの若者に射殺され、その激しい人生に幕を下ろすのだった…。 スパイク・リー (Spike Lee) 映画監督、プロデューサー、作家、俳優。本名 Shelton Jackson Lee。 1957年、ジャズ・ミュージシャンである父と教師である母の間に生まれ、幼い頃にブルックリンに移住。大学院卒業課題のために製作した映画『ジョーズ・バーバ・ショップ』の評価を足がかりに、初めての商業映画『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット』を興行的に成功させる。それがCM監督としての新たなキャリアにつながり、ナイキのCM撮影をはじめ、コンバース、ジャガー、Taco Bell、ベン・アンド・ジェリーズなど多くのCMを手がける。1989年には自身の監督作『ドゥ・ザ・ライト・シング』でアカデミー脚本賞にノミネートされた。1997年のドキュメンタリー映画『フォー・リトル・ガールズ』ではアカデミー長編ドキュメンタリー映画賞にノミネート。数多くの作品を手がけるが、発表する作品ごとに社会的・政治的な問題を扱い、常に論争を巻き起こしている。 また映画制作の傍らニューヨーク大学とコロンビア大学で映画について教鞭もとる。現在はジェームズ・ブラウンの伝記映画を制作中。
https://www.pioneerdj.com/ja-jp/landing/ddj-wego4-and-wedj/