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令和初の大型ダンスミュージックフェスティバル「EDC JAPAN」は、僕らの新たなユートピアとなるか?

文:山本将志

 
 平成の終わり、令和の始まり。平成の31年でダンスミュージックシーンには何があったのか? 今回は「フェス」という切り口で振り返るとともに、令和となり最初に開催される大型ダンスミュージックフェスティバル「EDC JAPAN」にフォーカスしてみる。すると、僕たちにとって新たなユートピアとなりうる可能性が秘められていることに気付く。


フェスで振り返る平成史

 はじめに、平成を彩った日本のダンスミュージック系大型フェスを振り返ってみよう。
 
 日本初のダンスミュージック系の野外フェスとされているのが1996年(平成8年)の「レインボー2000」だ。富士山にほんランドHOWゆうえんち(現ぐりんぱ)で開催され、出演者には石野卓球、KEN ISHII、Underworld、audio activeなどが名を連ね、18,000人の来場者を記録している。今でこそ1万人規模のフェスは珍しくはないが、当時、その規模感と日本初のキャンプイン且つオールナイトのフェスということで“無謀”と言われていたようだ。あのフジロックでさえ初開催は翌年1997年だったのだ。
さらに当時のことを書籍『フェスティバル★ライフ 僕がみた日本の野外フェスティバル10年のすべて』(中央公論新車 / 南兵衛@鈴木幸一 / 2006年)ではこう綴られている。
 
「トランスの先駆けイクイノックスが数百人、いのちの祭りががんばって1千人そんなもんだったからね野外のキャンプイン、オールナイトって。」
 
 なぜ前例のないフェスが大成功を収めたのか? 同書ででは映画『Trainspotting』のエンディング「Born Slippy」が大ヒットしたUnderworldの出演が大きかったと書かれている。それによりクラブ層だけでなくロック層、高校生、40代のヒッピーなどもUnderworldに吸い寄せられ集まったそうだ。


 



 2010年代前半までをみても1万人〜2万人規模のダンスミュージックフェスはそれほど多くない。代表的なものを挙げていくと、日本のトランスミュージックの礎を築いたフェスティバルSOLSTICE MUSIC FESTIVAL(1999年〜)、石野卓球がオーガナイズした国内最大級の屋内テクノレイヴWIRE(1999年〜)、幅広いエレクトロニックミュージックが楽しめたMETAMORPHOSE(2000年〜)、お台場で開催された都市型フェスのはしり渚音楽祭(2003年〜)、イギリスの伝説ビーチパーティーの日本版BIG BEACH FESTIVAL(2009年〜)、そしてフェスの新時代のカタチを示したULTRA JAPAN(2014年〜)やEDC JAPAN(2017年〜)などが挙げられる。


BIG BEACH FESTIVAL以前と以降
 
 1983年生まれの私は、もちろんレインボー2000には参加していない。開催当時の13歳のころは、小遣いを貯めてはTHE BLUE HEARTSのCDを買い、コンプリートを目指していた中学生だった。2000年問題が叫ばれていたミレニアムのときは高校生。The Prodigyのカニのアルバム(The Fat of the Land)をジャケ買いし聴いたら“歌がない!” と驚いたのがテクノとの出会いだった。22歳ごろに友人に連れられて行った初めてのフェスは千葉県君津のボーリング跡地を改装した多目的スペースで開催されたRAWLIFE 2005(ラインナップを振り返るとすごい…)。
 クラベリアに勤めてからは、さまざまなフェスに行かせてもらった。WIREでは向かい合った巨大なステージとモニュメントと来場者が純粋に踊ることを楽しんでいる姿がたまらなかったし、METAMORPHOSEはYoutubeで見ていたGalaxy 2 Galaxy「Hi-Tech Jazz」を生で見れたときの感動があった。
極めつけはBIG BEACH FESTIVAL。FATBOY SLIMのDJ中にステージと逆方向を振り向くとビーチに集まった約2万人の熱狂が押し寄せる。鳥肌ものだ。ただBIG BEACH FESTIVALが終了して以降、僕たちにとってダンスミュージック系のフェスといえば、“中規模で居心地のよいフェスティバル” が人気を集めた。“居心地のよい” の定義は人によって異なるが、私の場合は、好きな音楽が流れ、ゆっくり自由に過ごせ、知り合いも適度にいる、といったところだろうか。自分にとっては伊豆に移ってからのRAINBOW DISCO CLUBがそれにあたる。





散り散りになったダンスミュージックファンを、再びひとつの場所へ

 私は、おそらく多くの読者の皆さんと同じような音楽・フェス遍歴を通ってきていると思う。タイトルに付けた「僕らの新たなユートピアとなるか?」の「僕ら」とは、同世代である30代から上の世代を指している。そんな人たちでも、好きな音楽を再び超大型フェスで楽しめる、その可能性を秘めているのがEDC JAPANだ。
 
 これまでEDC JAPANは“EDMのフェス”というイメージが強かったが、今年から大きく変わろうとしている。それは昨年11月に行ったEDCの創設者パスカール・ロッテラ氏への取材で彼が自ら語っていた。たとえばこうだ。
 
「EDCはトレンドに乗る団体ではありません。真剣に考え紳士に作り出しているだけです。日本だとEDC=EDMフェスと位置づけられているようですけど、EDMはEDCの要素のひとつにしかすぎません。」
 
「EDCは1年中活動しているInsomniacのイベントが一堂に会するお祭りでもあります。アンダーグラウンドなイベントもあれば、ヒップホップやダンスにフォーカスしたイベントがあったり、ベースミュージックだったり。それらが集まってラスベガスでEDCを行うのです。すべての音楽の祭典、世界一の音楽フェスティバルだと自負しています。」
 
「Insomniacの変わらない理念としては、イノベイティヴであること、ハイクオリティであること、ひとりひとりの世界観を変えること。我々は、世界一の音楽イベントを作るために、つねに集中しています。」
 
「私のルーツである1990年代の音楽も振り返りつつ、その音楽をEDCの場で再提案するかもしれません。」
 
 実際に今年は例年よりもテクノ、ハウス勢やベースミュージック、ヒップホップ勢が増えている。JOSH WINK、MARCEL DETTMANNはテクノファンにとって見逃せないし、ハウスファンにとってまさに旬なアーティストであるPEGGY GOUの存在もアツい。ベースミュージックシーン最高峰のMAJOR LAZER、SKRILLEX、RL GRIMEがいれば、トランスシーンの御三家ARMIN VAN BUUREN、PAUL VAN DYK、TIËSTOもいる。ヒップホップからは、最新アルバムをはじめ過去5作品が全米アルバムチャート1位を獲得しているFutureやJAY-ZのレーベルRoc Nation唯一のアジア系アーティストJay Park、日本からはAK-69、Awichまでもだ。幅広く性質の異なる群が存在するラインナップ。世代的にもジャンル的にも、この音楽の多様性はいかにも音楽フェスティバルらしい。
 
 皆さんも肌感で近年フェスが増えたなと感じていることだろう。ぴあが毎年行っている音楽フェスの市場動向に関する調査結果によると、市場規模は2008年に151万人の動員数だったものが、2017年には283万人と、ここ10年で約2倍に増えている。
参照元:ぴあ「多様化が進み、活況が続く音楽フェスの市場動向/ぴあ総研が調査結果を公表」
https://corporate.pia.jp/news/detail_live_enta201808_fes.html

 
 フェスが増えると、差別化を図るため趣向を凝らしたアクティビティなど音楽以外の要素も増えてくる。さまざまなかたちのフェスがあっていいと思うが、今年のEDC JAPANのラインナップは、インスタ映えする写真を撮りにくる層を集めるためのものではなく、2000年〜2010年ごろにクラブやフェスで遊んでいた層に戻ってきてほしい、そんな気持ちが感じ取れるラインナップだ。
 ハウス好きもテクノ好きもトランス好きもドラムン好きもベースミュージック好きも、散り散りになってしまったダンスミュージックファンが再び一堂に会するフェスティバル。そういったものにEDC JAPANは成るのではないか。僕たちにとって理想郷となりうる可能性をEDC JAPANは秘めている。もちろんこの1年だけを見て言えることではないが、2020年、2021年……と続けていくなかで、そういった場所が蘇る可能性は十分にある。


 


EDC JAPAN
https://japan.electricdaisycarnival.com/