80年代も終わりを迎えようとする頃、東京のあちこちの地下やコミュニティで90年代のサウンドスケープへと進行する萌芽があった。
TOKYO No.1 SOUL SETも、その景から産まれた一つだ。
ダンスホールレゲエのクルーであったBIKKEのライヴでバックトラックを刻むDJを担当したのが川辺ヒロシで、そこにバンド経験者であった渡辺俊美が様々な楽器を持ち込んだのがそもそもこのグループの奇妙な形態になっている。
たまたまBIKKEはレゲエのパトワでは伝えきれないほどの言葉をリリックに変え、たまたまストレートにレゲエをプレイするセレクターには成り得なかった川辺がいて、たまたま楽器を演奏しコーラスが出来る渡辺が出逢ってしまった。
偶然の産物がこの絶妙なるトライアングルを完成させたのだ。
唐突な喩えではあるが、ラジカセのビートから始まって、徐々にメンバーが加わることでサウンドに厚みを増していくまるで『STOP MAKING SENSE』を観ているかのような進化を辿っている。
1stアルバム[TRIPLE BARREL](95年)ではBIKKEの詩の高い文学性が、
2ndアルバム[Jr.](96年)では川辺のサウンドプロダクツにおける独創性が、
3rdアルバム[9 9/9](99年)では渡辺の甘美なメロディセンスと多様性が、
それぞれ全体に通底する尋常でない緊張感に繋がっている。
言葉は悪いが、もともと計画性のあるグループなどではなかった3人はライヴアルバム[9 9/9 ’99野音](99年)リリース後、活動休止を高らかに宣言することもないままBIKKEはNathalie Wise、川辺はGALARUDE、渡辺はTHE ZOOT16と、それぞれが新たなヤードでの活動を開始する。
2004年、長い沈黙は”Change My Mind”と題されたシングルであっさりと破れ、翌2005年には初のベスト・アルバム[Dusk & Dawn]、そして個々のソロ活動の成果を持ち寄ったかのように完成した通算4枚目のアルバム[OUTSET]をリリースし本格的な活動再開を果たした。
2007年、レーベル移籍
12/1には第1弾デジタルシングル[Innocent Love / Please tell me]の配信スタート。BIKKEの詞世界に新境地を感じさせる無垢な愛を唄った名曲だ。
12/29にはLIQUID ROOMでの年末恒例ワンマンライヴ、
翌12/30には、[COUNTDOWN JAPAN 07/08]への出演、2008年1/1には第2弾デジタルシングル[just another day]リリースと続きいよいよ…ここに書くまでもないだろう。
僕らはこの後待ち構えているであろう、
3人のあきれるほどの行方を、また見守るしかないのである。