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Paul Van Dyk

PAUL VAN DYKは1971年12月16日生まれ。東ベルリンのアイゼンヒュッテンシュタットで育った。比較的西側に近かったため、かすかに資本主義文化の匂いを感じながら成長することとなる。「俺達は、西側のテレビを見たり、あっちのラジオ曲を聞くことが出来たんだ。東側にはクラブ・カルチャーなんてなかったから、俺達はそこからミュージックを録音してパーティなんかで流していたんだ。スミスやニュー・オーダーにとても心を奪われたね。それは力強く、感情に訴えるものがあったよ。」ポールは当時を振り返ってこう話している。この経験が後の音楽的な基盤を築くこととなり、彼のベーシックな感性を育てていったと言えるだろう。1989年にベルリンの壁が崩壊することとなる。そこから一気にクラブ・ミュージックはベルリンで爆発した。ポールはまず古いターンテーブル2 台でミックスし、自分の思うがままのトラックを作り上げた。そして、それは1991年の3月には、かの有名なクラブ「トレゾー」でプレイされていたという。それからポールは本格的に作品を作り始め、コズミック・ベイビーとのユニット、ヴィジョンズ・オブ・シヴァでデビューを果たすこととなったのである。以降はトントン拍子でソロに突入していくことになったのである。 97年には前年にリリースしたシングルFor An AngelがUKでチャートに登るヒットを記録、そしてイヤー・オブ・トランスの幕開けとなるBinaly Finalyのリミックスとともに世界中のクラブへ彼の名前を響かせることになる。そして98年~2000年にクラブカルチャーが世界的にひろがる中DJ としてまたアーティストとしてヨーロッパからアメリガでワールドワイドに活躍するようになる。またDJMAGAZINEのリーダーズ・ポールでもここ 5~6年つねにベスト5にランクイン、ベルリンでのラブ・パレードやメイデイなどのビッグパーティーでのヘッド・ライナーやIbizaのcream@AMNESIAでのTIESTOとのレジデントなど常にシーンのトップとして活動している。