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DJ Camilo

NYの最強DJチームHeavy Hittersの主要メンバーである。DJ CAMILOのイベントは信じられないくらいの熱気がある。彼が"インターナショナルクラブキング"という名を馳せるのも不思議ではない。彼は世界中を飛び回り観客を熱くすることで有名だ。DJ CAMILOのようにエネルギーを生むDJは他に多くない。彼がレコードを変える瞬間、観客はエネルギーを受け、また彼は、観客を絶叫させ、更なる絶叫へと導く。彼のプレイがクライマックスに到達するとロボットのようなサンプリングが"DeeeJayyyy Camillllooooo"と叫び、また次のレコードがさらに盛り上げる。CAMILOのレコードセレクションのエネルギーやそれに対する態度は、彼を真のアーティストと思わせる。どのプロモーターも彼をクラブに呼ぼうと必死である。
2001年には、ヨーロッパでの"The Lucky Strike Tour"、ラスベガスでの"Magic Show"(数回)、ドイツでの3万人を動員したスプラッシュフェスティバル、Big Tiggerがホストを努めるBETの人気番組 Rap City "The Basement"に出演。そして2003年の Justo's Mix Tape Awardでは"Best Club DJ" としてノミネートされた。

DJとして売れる前のDJ CAMILOは、Juan Camilo Sanchezというクイーンズ出身のコロンビア人。12歳の時にターンテーブルと出会い、まもなくTechniques S-900's セットを購入。1991年には、CAMILOは"CAMILO Vol.1"というタイトルのファーストミックステープを発表。その後の努力は並み大低なものではなかった。CAMILOは毎月ミックステープを制作し、自分の名前を広めた。その後はCAMILOはクラブシーンに乗り出した。2001年までには、主要ミックステープDJとして地位を確立すると同時に週に4箇所のクラブでレギュラープレイしていた。やがてNotorious BIGのDJ としても有名でありNY人気NO1ラジオ局、HOT 97を担当しているDJ Enuffの目に止まる。そしてCAMILOは、HOT 97、Star Buckwildの番組でDJ Enuffの代理を努めることになる。NY人気NO1ラジオ局でプレイできたことは、NY、NJ、ペンシルベニアという3州の幅広いリスナーに聞いてもらえることであり、DJ CAMILOにとって画期的なことであった。DJ Enuffと故DJ Threatは、"The Heavy Hitters"というDJチームを設立、CAMILOがこのチームに入るのは自然の流れだった。

CAMILOの評判は良く、"Take It To The Street"というHOT 97の番組を持てるまでになる。彼の名前はこの深夜番組のメインホストとして大衆に広まった。この成功は、CAMILOにゴールデンタイム番組"The Heavy Hitter Hour"の番組担当へと導かせた。またコロンビア人としてCAMILOは、多くのLatin/Hip-Hop リスナーがreggeton、レゲエビートを持つ新しいスペイン音楽を聞きはじめていることを知り、彼は、HOT 97でこのジャンルの番組を企画、担当した。この日曜の1AMにオンエアされる"Lights Out Show"は、HOT 97では初めてのスペイン音楽番組であり、CAMILOがこのステーションで3つの番組を持つ初めてのDJとなる。

クラブキングDJ CAMILOに輝かしい将来が待ち受けているのは、誰しもが承知であろう。彼は、既にベルギー、スイス、オーストリア、ロンドン、スペイン、フィンランド、ドイツ、スウェーデン、アムステルダム、カナダなど世界各国でプレイしている。2004年初頭、CAMILOは、ヒスパニック系エンタメチャンネルで"The Roof"と毎週のトップ5カウントダウンをするTV番組をコラボ制作。またCAMILOは、Indigo Redという洋服メーカーのナショナルキャンペーン広告の顔として選ばれることになり、メジャーヒップホップ誌、XXL、The Source そしてVibesに取り上げられる。April 14, 2004 付けNew York Postには、彼のインタビューが掲載された。現在CAMILOはNYトレンディーなクラブから3万人動員するドイツのフェスティバルまで、彼の手に負けない観客がいないかのように精神的に週5~6回プレイしている。