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Beppe Loda

アフロシーンの創始者
北イタリアの音楽シーンをリードし続けてきた伝説的DJ
Beppe Lodaなくして、イタリアのディスコシーンを語ることは出来ない。全盛期“Typhoon” ”Cosmic”のレジデンツとして君臨し続け、”Afro”ムーヴメントを興した中心人物だと言えるだろう。 


イタリアの工場都市Bresciaで、DJ Beppe Lodaは生まれた。1973年、彼は北イタリアManerboでDJとしてのキァリアをスタートする。
1980年、彼にブレークスルーの機会が訪れる。
“Cosmic”と同じく、今も尚語り継がれるイタリアの伝説のクラブ ”Typhoon”でのレジデンツDJのオファーである。 “Typhoon”は、北イタリアのGambaraという、とてもとても小さな街にあり、映画 の撮影スタジオ跡地に、サウンドシステム、ライティングを取り付けたキャパシティー400人の箱だった。
彼はレジデンツDJとして、毎週土曜日にプレイしていたが、月に一度だけ月曜日に、"Non-Stop-Music"というタイトルで、当時イタリアで全 盛期だったDisco, Funkミュージックに、ドイツ産電子音楽、New Wave、Industrial Musicを織り交ぜ実験的にプレイした。
ここでのプレイでは、最先端な音を追求しながらも、彼自身リアルにやりたい方向性を探し出すプレイが出来ていたのではないのだろうか。
当時の北イタリアのラジオ局では、Beppe Lodaが”Typhoon”でプレイする最新の音楽をかけていて、そこに他のクラブが追いついていくと言う在り方だった。
”Typhoon”は、北イタリアの音楽シーンをリードしていく中心的存在だったと言えるだろう。

あなたは想像する事ができるだろうか。
”Typhoon”は、普通の民家に隣接され、駐車場も無かった。400人のキャパシティーのクラブの外には、3000-4000人もの人々が、入るのを待っていたのだから。
一人出ては、一人入る。
それは、クラブカルチャーにおける革命だったとも言えるだろう。
実は彼も1984年まで ”Cosmic”のレジデンツをつとめている。Baldeliはマシーン、Beppeのプレイは人間味があると例えられ、両者はイタリアのディスコ界を代表するDJとして君臨していた。
Beppeのスタイルの特徴でもある、Afro Musicにシンセサイザーが加わり、サイケデリックを融合させ、新たなジャンルへと進化させるスタイルは、故Larry LevanやDavid Mancusoにも影響を与え、彼らも好んでプレイしたという。
北イタリアの音楽シーンをリードし続けてきた伝説的なクラブ ”Typhoon”と”Cosmic”は、同じ87年に幕を閉じた。最終日には、1万人ものファンが押し寄せ、皆、伝説的なクラブに敬意を払いお金を置いていったという。

人の心を突き動かす音楽の本質を理解しているからこそ、彼の作り出す音は実にスペーシーにエモーショナルにフロアに届くのである。
今日も彼はレアなレコードを探し続けている。それは彼にとって、鼓舞し深奥の原動力ともなっている愛の出来事だと言えるだろう。