1994年よりオーディオエディターを使用し、Fastrackerというプログラムを駆使したハウスミュージックの制作を開始。レコードプレイヤーやPCを用いQueen’s Another one bites the dustのリミックスワークを手がけた後、1996年にKenguruと呼ばれるパーティーでトランスシーンと出会い、アナログレコードの購入に多くのポケットマネーを費やした。当時既にハンガリーでは多くの有名なサイトランスのDJ達がいた中でもスムーズにシーンに参入し、1998年ハンガリーのオープンエアシーンにおいてパイオニア的な存在として知られるイベントにて長くプレーを重ねてきた。2000年から2005年にかけ、首都ブダペストのサイケデリックシーンの恒久的な実行者として彼は世界の舞台へ向けて昇りつめていく。2001年にポピュラーなライブアクトTurbo pauzaを結成し、2008年まで同名義にてO.Z.O.R.A.のメインフロアーとチルアウトステージでプレーしてきた。彼はまた2007年までドナウ川の土手沿いに位置するクラブSzociálを共同経営し国際的なサイトランスアーティストを招致するなどブダペストのクラブシーンも引率し、現在O.Z.O.R.A.の主催者としてシーンをリードする存在となった。